くあちる

この人メンヘラです

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最近の記事

堕ちる日 昼下がり

 気まぐれでパソコンでnoteを書いてみている。  数日前からゲーム制作に再度着手したので、キーボードでの文字入力に手を慣らしておきたいという所感からです。  いつもはiPhoneの標準メモに文章を書いて、それをここにコピペしているのですが、こうして画面に向き合ってリアルタイムで文章を綴るのは、さながらブロガー。それともシナリオライターか。いずれにしても、自分はその器なんかじゃない。  ええ、卑屈になっていますとも。ゴールデンウィーク? そんなもの知ったことじゃない。とにかく

    • 遺書②

       23歳、人生で初めて葬式に参列する。  2日間、祖母の遺影と目を合わせながら妄想に耽る。もしもこの場が自分の葬式であったのならばと、ありきたりな場面だが、葬式の最中にそれを考えるのはとても恐ろしいことだと知った。  知っての通り、自分など社会不適合かつ精神異常であり、それこそ1年程前まで、いつ自ら命を絶っていてもおかしくないような状態だった。  自分が死んだ後のことなんてどうやっても知りようもないし、知ったところで記録に残せるわけでもない。だからこそ死後に執り行われる、自

      • 遺書①

         2024年4月、自分は病気から目を逸らさざるを得なく、日雇いのアルバイトを2週間行った。本当はそれよりも前に普通にアルバイトに幾度と申し込んでいたのだが、7つほど受けても結局全て不採用であった。高望みしたわけではない。資格が必要だったわけではない。ただただ、社会従事する人間として失格したのだ。7つも。  情けないと思うだろうか。これが普通だと思うだろうか。自分は、これは普通ではないとしか思えない。もう自分はこの社会では生きていけない。いいや、生活保護制度さえあれば生活こそ

        • 「普通」の生き方について考える

           普通と言われるのはつらい。  よくある会話の流れで「普通は〇〇だ」というものがあるが、厄介にも理屈的に考えてしまう自分はそのようなよくある流れの、いわばテンプレートの言葉だと理解していながらもその「普通」という部分に引っかかってしまう。  わかっている。そんなのただその人にとっての一般論でしかなく、そのような普通というものは曖昧極まりなく明確な基準なんて存在しない。誰しもに「普通」の観念と基準があり、それに従い何の気無しに言葉を使ってしまう。これ自体は、これこそは万人に共

        堕ちる日 昼下がり

        マガジン

        • 遺書
          2本

        記事

           どうか、どうか助けてください。どうか、どうにでもこの苦しみと不安を取り除いてください。  死なないことは簡単だ。死の反対が生きることであるのならば、呼吸をしているだけでそれが成されるのだから。つまり「死なないこと」とは「呼吸をしている状態」に他ならない。こんなの詭弁でしかないが、果たして「生きること」とは死なないことよりも遥かに難しいのだ。  ある人はこう言うだろう。生きることだって呼吸をしている状態と何も違いないじゃないかと。たしかにそれはそうだ。死なないことと生きるこ

          終わりかけの日常

           日に12時間も起床していれば良い方であるこの生活は誰にも褒められたものではない。  起きて、食事をして、昼間ならば掃除や買い出しをして、夜ならば配信なりインターネットに浸る。  たったこれだけの生活。そして収入などたかが知れてるから、内心では常に焦っている。しかし、惨めったらしい言い訳でしかないが社会不安が酷すぎてそれどころではないのだ。  本来ならば多少なりともアルバイトでもしていれば家賃くらいは払えているのだ。しかし社会不安だなどという陳腐な言い訳を並べるからして、そ

          終わりかけの日常

          一過性の軽い躁

           自分的にとって精神状態とは軽躁である時が最も危険であるのだが、それでいながら、これくらいでなければ日常生活をまともにこなせない自分の社会性の無さにはため息が出る。  くあちるという人間性が芽生える以前はさほど問題なく送れていた社会生活や人間関係も、以降からは2年経過しても崩壊したままだ。  これが本来の自分の在り方だったのだろうと言えばそこまでだが、そうなると「普通だったはずの社会性」というものに懐疑的になる。素直に話を進めるのだとすれば、本当は社不だったのにそれを自覚せず

          一過性の軽い躁

          集団心理に屈しないメンヘラの在り方

           何がどうでもいいかなんて、自分に言わせてみれば「集団心理」ただそれだけだ。  それは一致団結とはまた別のことで、一つの目的に対して多くの人が力を合わせるという行為はむしろ素晴らしいものだと思う。  だが集団心理とは、たとえば針が1本あったとしよう。単純な話、その針が山なりに連なっている状態でもあって、この山は、全て同じ思想でありながら、その頂はそこより下層と比べて最も鋭利な部分であり、扱い方によっては人の人生を容易く狂わせる。それが思想を振るう側であれ、振るわれる側であれど

          集団心理に屈しないメンヘラの在り方

          くあちるを生み出した初恋の元恋人へ

           もう自分はダメなんだ。  もちろん、新しい部屋での生活は楽しみであるし、確実に言えるのは去年よりも配信活動をする頻度が格段に上がるということだ。  くあちるには何を求められている? 自分には何がやれる? もしもみんなの期待に添えられなかったらくあちるはどうなってしまうのだろうか。ここでも生活すらも成り立たせられなくなったのならば、自分に待ち受けるのは再び最悪の選択肢である実家への強制送還であろう。  社会不適合は今に始まった話でもない。専門学生、18歳の頃にはスーパーでア

          くあちるを生み出した初恋の元恋人へ

          2度目の東京生活の終焉

           2023年3月、自分は宮城の実家を見限ると言い捨て2度目の東京での生活を送る道を選んだ。結論から言えばこれは大失敗なわけであったが、それなりの収穫もあったと言えよう。  題するなら「くあちる東京編その2」といったところだろう。その1は過去に散々語ってきたので割愛。  昨年、自分は実家にいながらも適応障害に苛まれていた。言い訳に過ぎないが、それはこんな自分が今さら家族にどう接したら良いのかという戸惑いの感情が主で、母に冷酷な態度を取り続け、父に意地を張り、自分は人として本当

          2度目の東京生活の終焉

          デエビゴを飲んで外を歩いたアホ

           朝にデエビゴ(眠剤)を飲み、その直後に外出をする。これ以上に愚かな行いはないように思える。なんの目的があってデエビゴを飲んだのか正直なところ自分でも理解していない。  今日の予定は3つあった。スマホの使用料金の支払いと役場と病院。  スマホの使用料金の支払いはコンビニですぐに終わらせられたが役場に着いた頃にはどうも体がふわふわして異常をきたしかけていた。その時に手足がとても温かくなっていたのもデエビゴの作用で、窓口で話をしている時にうつらうつらとしてしまっていた。そのせい

          デエビゴを飲んで外を歩いたアホ

          デエビゴが効くまで書いた文章

           不定期的に過眠ぎみになってしまいます。きっと何かしら要因はあるはずなのでしょうがそんな事逐一記録しているわけでもないので心当たりは何もありません。  精神状態がどうかというところでは、躁か鬱かで言ったらギリギリ躁、たまに鬱。食欲は普通。それなのにこうなるのはどういうことなのでしょう。  別に眠らなくて済むならそれでいいんです。ここ最近は何も無くて引きこもっていますから、体力だけは有り余っているのです。その割にお金は無いんですねという冷たいことはどうか言わないでくださいお願い

          デエビゴが効くまで書いた文章

          愚者の生き恥

           何かを作り出さないと自分から全ての価値が無くなってしまうのではないかという強迫観念に襲われています。現にこうして文章を書き始めたのはそれが理由です。  数日前から自分は得体の知れない何かに酷く焦っている。その要因はそれとなく自認しているのですが、まさかこのような事態を引き起こすとは思ってもみなかった。  この人格、くあちるがインターネットよりもたらした福音と苦悩は現実を生きる自分には荷が重いように思えて仕方がないのです。  それなら肩の荷を下ろすのかと問われてもそれには応じ

          愚者の生き恥

           久しぶりに文章を認めてみようと想起し、こうしてメモを開きました。  ここしばらくの自分はインターネットと薬に毒されていました。いや原初からそうであっただろうというのはごもっともなのですが。  気がつけば年を越していました。自分は時間に対する頓着があまり無いので12月31日に買い物へ行くと人がいつもより多すぎて「なんだこの人混みは」と思ったほど。  年末とかどうでもいいんですよね。クリスマスと被りすぎなんですよ。そのクリスマスの数日後にまた年越しだというイベントがあるのは、

          憂鬱に生きる

           こんな夜は、そう、市販薬ODで偽りの幸福を得た夜は幸せについて考え込んでしまう。  単純な話、お金や愛があれば幸せと言えよう。では自分の胸中にあるこの温かな気持ちの正体は何なのだろうか。  いやこれが偽物の何かであるのは明白である。しかし確かな感情として脳髄と心臓を突き動かすこれは単純な感情の所為とは考えがたい。  まあ答えは薬の作用であるのだが、この偽りの幸福を得るために自分は生きているのかと思うと、途端に違和感を覚える。  自分は何のために生きているのだろうか。将来

          憂鬱に生きる

          心の沼から湧き出る呪い

           心の奥に沼がある。  沼からは強い毒が湧き出てきていて、対処しなければそれは体と心を蝕み始めます。  なので頻繁に毒を浄化するために自分は向精神薬を飲む。実際、デパスを飲むと毒で腐り果ててしまった心がすぐにスッと楽になりますし。  今日は精神科の通院日でした。  実はまだ主治医が決まってなくてそれについて軽く怒られたり(その病院も説明不足だったから自分の責任だけではない)、そもそも現在自分は向精神薬としてデパスの1mg錠を1日3回飲むような処方を受けているのですがそれにつ

          心の沼から湧き出る呪い