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 久しぶりに文章を認めてみようと想起し、こうしてメモを開きました。
 ここしばらくの自分はインターネットと薬に毒されていました。いや原初からそうであっただろうというのはごもっともなのですが。

 気がつけば年を越していました。自分は時間に対する頓着があまり無いので12月31日に買い物へ行くと人がいつもより多すぎて「なんだこの人混みは」と思ったほど。
 年末とかどうでもいいんですよね。クリスマスと被りすぎなんですよ。そのクリスマスの数日後にまた年越しだというイベントがあるのは、まあ子どもにしてみればクリスマスプレゼントなりお年玉なりが貰えるわけですから良いですよね。
 そう、こうして自分は腐っていくのだな。

 くあちるとしてインターネットに生まれ出て2年弱。自分はドン底を漂い続けている。そしてどこにも救いは無い。
 ある時は精神科で薬の量を勝手に減らされてそのせいで苦しんだり、歌舞伎町でアルバイトをしてみようものなら全然つまらなくてすぐ辞めて、こんなのもはや人間と呼んでいいのかすら危ういですね。
 つい先ほどツイキャスをやったのですが、あまりにも時間感覚が無さすぎるのとラリっていたのも合間ってか年越しした事を2025年なのかと言ったほどです。こんな奴どう考えてもヤバいだろ。

 どうしてこんなに苦しいのだろう。
 いつまでこの苦しみは続くのだろう。
 いつになれば自分は救われるのだろう。
 ただひたすらそれだけを模索し続けてきました。
 本当は幸せを知っているのにです。自分にはそれを掴み取れる力はまだ無かった。
 だから自分は弱いんだ。でも、強くなって何をしたいという事も特に無い。富豪になったらピラミッドでも建てようか。

 ドロドロとした暗闇を彷徨い、その最中で鮮やかな極黒を見つけ出したその時こそ自分は救済されるのでしょうか。
 幸せになりたい。ただそれだけなのに。どうして心は黒ずんでいくのだろうか。
 満たされない。何をやってもダメ。楽しくない。そうして鬱々とした感情に呑み込まれてしまい病気になる。
 それはわかってるんだ。やり方もわかる。でも手段が無い。手札が無い状態でどう戦えばいいのだこんな世界。
 生きる気力も目的も無いのに、どうして世間は死を認めてはくれないのですか。生きるのは義務なのですか。どうして自分はまだ生きているんですか。

 自分は生まれるべきではなかった。命さえ無ければ今あるこの苦しみとも無縁だったはずなのに。
 どうしてこんなに苦しくて惨めなのかと考えた時に、やはり己の怠慢が先立つのです。
 自業自得と言われればそうなのです。自分が真面目に働きもせず日々のらりくらりとしている、その罰がこの苦しみなのです。
 しかし前述の通り、自分には労働は無理だ。なぜなら鬱になって死にたくなるから。それでも無理してでも労働をしなければ生きられないのが現実なのでこればかりは仕方がないですが。

 こんな話をしたいわけじゃないのです。そもそもこの文章の目的もありませんが。
 こんな死に損ないが、なぜまだこのように生きていられているのかについて改めて考えなければならない気がしてなりません。
 自分は死ぬべきです。考えれば考えるほど、だって自分に魅力的な何かがあれば今頃既に幸せにでもなっていたでしょう。それが無いから今苦しんでいるわけじゃないですか。

 誰からも必要とされないのなら自分はもう生きてる意味も価値もない。
 烏滸がましいですよね。こんなこと言える身分でもないのに。生きるとか死ぬとか、そんなの生きたいに決まってるじゃないですか。
 生きたい、そして幸せになりたい。しかし幸せを自分は知らない。いいや、知っている。何が幸せかというのは理解しているがいつもいつも、この手では何も掴み取れない。
 そんな希死念慮を薬で誤魔化し続けて生きていく。さて、いつまでこんな生き方をしているのでしょうか自分は。

 とてもつらいです。でもどうすればいいのか自分でもよくわかってないのです。こんな未熟者ですみません。いずれ死んでお詫びします。
 どうして自分はこんな生き方しかできないのだろうか。どうしてこの道を歩まされているのだろうか。
 いつになれば自分は報われるのですか。
 この冬が明ければ、暖かな輝きに導かれていけるのかな。
 どうか、はやくこの地獄から救われたいです。

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