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終わりかけの日常

 日に12時間も起床していれば良い方であるこの生活は誰にも褒められたものではない。
 起きて、食事をして、昼間ならば掃除や買い出しをして、夜ならば配信なりインターネットに浸る。
 たったこれだけの生活。そして収入などたかが知れてるから、内心では常に焦っている。しかし、惨めったらしい言い訳でしかないが社会不安が酷すぎてそれどころではないのだ。

 本来ならば多少なりともアルバイトでもしていれば家賃くらいは払えているのだ。しかし社会不安だなどという陳腐な言い訳を並べるからして、それならば少なからずアルバイト以外の方法で金銭を調達する必要があり、そこで今の自分は眠りこけることよりも、血反吐を吐いてでもインターネットに向き合わなければならないのだ。
 とはいえまともな睡眠を摂らなければ頭が動かなくて文章を書くことも配信で長時間の雑談をすることもままならないはずだから、いずれにしても綺麗事を抜きにして睡眠を摂らなければやっていけない。

 昔から睡眠時間が他の人よりも長い自覚があった。学生時代は無理矢理いつも決まった時間に起きて決まった時間に寝ていただけで、しかし退屈な授業中は時間を問わず毎回居眠りをしていた。そのせいで成績がクラスで下から3番目くらいだったというのはさておき、このような生活をしていたら学生時代の成績など何の指針にもならない上に何の役にも立たないのは自明の理。
 かくして学校という教育機関が最も伝えたいのは勉学や知識ではなく、定められた場所へ定められた時間に到着して定められた何かしらの物事に向き合うべしということなのではなかったのだろうか。
 普遍的な社会人生活を想像してみても基本的な生活サイクルそのものは学生と大差がないだろうし、学校で学んだことをほとんど活かすことがない場合であるのならやはり重要視するべきなのは勉学なんかよりも基本的な生活リズムなのかもしれない。
 だからといって学校には意味がないと言いたいわけでもないが。

 自分だって思考を放棄して盲目的に就職をしようとした時期があった。
 これまでの全てを否定するような気持ちに塗れて、本心ではそんなこと絶対にしたくなかったのだが、目先の幸せを掴むべくそのような意地は捨てたのだ。
 果たしてその意地はものの2ヶ月で手元に戻ってくることになり、なんとか試用期間中に仕事を辞めることで就職からは逃げた。だがこれにより、心の安寧は取り戻しつつも経済的な安定を手放すことになった。
 せっかく掴みかけた真っ当な人生を自分可愛さに投げ捨てたのだ。今でも、あの時向けられた全ての冷ややかな目線が忘れられない。お前は社会においては不要な存在でしかない、お前がいると迷惑なんだ。そう言われているような気がして、やっぱりもう何も頑張れない。

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