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堕ちる日 昼下がり

 気まぐれでパソコンでnoteを書いてみている。
 数日前からゲーム制作に再度着手したので、キーボードでの文字入力に手を慣らしておきたいという所感からです。
 いつもはiPhoneの標準メモに文章を書いて、それをここにコピペしているのですが、こうして画面に向き合ってリアルタイムで文章を綴るのは、さながらブロガー。それともシナリオライターか。いずれにしても、自分はその器なんかじゃない。
 ええ、卑屈になっていますとも。ゴールデンウィーク? そんなもの知ったことじゃない。とにかく昨日から日中は快晴でいて、そのくせ湿度がやけに高い。シンプルな高温多湿にストレスが高まっています。
 そもそも暑いのは嫌いなんですよ。汗をかくと臭うし、不快感があるし、洗濯物が増えるし、スマホのフリック入力ができなくなるし、それに最悪なのは虫の出現。昨日の夕方ベランダに出たところ、部屋に戻る瞬間に気がついたのですが、大きな蚊が軒下に群がっていたのです。このせいでベランダ側の窓を解放する気が一切なくなった。虫は大嫌いです。

 ドラッグストアへ行ってきました。
 みなさんはこう思うことでしょう。「くあちるがそんな話を始めるということはきっと市販薬関係だな」と。まったく理解が早くて助かります(なにが?)。
 市販薬、買いました。本当は買うつもりはなかった。なんだか、ほら、普通の人がストレスを酒やタバコで解消するように、自分は酒もタバコもしない代わりに市販薬をする。なにが「ほら」だったのかはわかりませんが、これはほんのありきたりなストレス解消法に過ぎないのです。世間には容認されざる行為ですがね、違法行為でもないので誰にもこれを咎めたり非難することはできないのです。
 そんなことどうでもいいじゃないですか。生きるためならば。
 死を人質にしてODしたいというわけではないです。そもそも死を回避するためにODするならば、それならば生きる意志があるのだから少しくらい優しくされて然るべきです。ちょっと文章が支離滅裂になってる気がする。
 いやもしかしたら既に市販薬で脳がふやけてきているせいかもしれません。怪文書を生み出せるのなら、それでいい。後世の人がこれを見たときに、意味なんてないのに意味を見出そうとすればそれでいい。これを先に言ってしまってはまるで意味が無いけれども。

 自分の人生って何だろうと思い続けています。
 哲学とか論理ではなく、ただ単純に、この社会で最底辺のままでいて、生きてることで他人に及ぼす影響というものは、ある面から見ればプラスかもしれないが、また別の面から見ればマイナスである。これ自体は時と場合によって変わってくるからどうでもいいとして、そういうことではなく、普通に生きる意味がよくわからない状態になりつつあります。
 鬱屈としているのは常ですが、それよりもわからないのが、一体自分は何に卑屈になっているかというところです。
 自分は本当に適応障害なんですか。確かにそれはそうかもしれないけれど、やっぱりもっと他に何かあるようにしか思えて仕方がない。
 他、といっても思い当たらない。きっとそれは自分の想定外の知らない病気や障害になるだろうから。
 母のADHDが最近になって強くなってきていて、その血を引く自分もいつADHDを発症するかわかりませんし、いやなんとなく過集中とかすることがあるあたりすでにその気があるかもしれませんが、とにかく未来が今から少しづつ苦しくなり始めるのは明白です。病気や障害での生きづらさに苦しむのは本当に嫌だ。それならばせめて、社会性のない自分にやれることといえばこうして病みを何かに昇華することのみです。それ以外には何の能力もない。既に苦しいのにこれ以上苦しくなってたまるものか。

 でも、だからといってそれ以外に何もできないのも現実。なんせ、直近で7つもバイトの面接を受けたのに全て不採用だったのですから、もう自分は本気で終わりを覚悟しました。
 そうかそうか、そうだよな、適応障害なんて持ってる奴はすぐ仕事を辞めるかもしれないからそりゃ採用するわけないよな。
 社会に適応できず、家族に適応できず、人間関係に適応できず、そうして自分は孤独になりただひとり朽ちていく。強がりなんかではなく、別に一人だって構わないがそれならそれでまともに生きられる能力が欲しかった。

 産業廃棄物以下。虫よりも命を粗末にしている人間。精神病をアイデンティティにしている哀れなピエロ。なんだっていいです、何かになれるのならば。
 問います。くあちるはあなたにとってなんですか。

 

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