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デエビゴが効くまで書いた文章

 不定期的に過眠ぎみになってしまいます。きっと何かしら要因はあるはずなのでしょうがそんな事逐一記録しているわけでもないので心当たりは何もありません。
 精神状態がどうかというところでは、躁か鬱かで言ったらギリギリ躁、たまに鬱。食欲は普通。それなのにこうなるのはどういうことなのでしょう。
 別に眠らなくて済むならそれでいいんです。ここ最近は何も無くて引きこもっていますから、体力だけは有り余っているのです。その割にお金は無いんですねという冷たいことはどうか言わないでくださいお願いします。

 さっきデエビゴを飲んだのですが変な頭痛がします。それに今日はカーテンを開けて朝日を部屋に差し込ませていたら思い出すべきではない余計な記憶を詳細に思い出してしまうし、もう一刻も早く意識を失いたいところなのです。それなのに、今日に限って、しかも眠剤も飲んでおきながら眠気がこれっぽっちも来ない。
 あああ……今にも泣いてしまいそうだ。どうして自分はあの時あんな事しかできなかったのだろう。明確に、自分の過ちを自分で認めて、これ以上に苦しいことはない。胸がジクジクと痛む。

 所詮自分──くあちるなどという、まともに思春期を送ることさえできなかった矮小な人間は社会にとっての夾雑物でしかないのです。
 現に自分が存在しないことでの社会に対する影響というのは、こうして存在している世界線と比べても大したことはないだろう。だからこうして何もせず数日も引きこもっていながら何も感じない。
 もしかしたらこの思考が根底にあったから過眠ぎみになっていたのかもしれない。ともなれば自傷と何も違いませんねこんなの。自分がいらない存在だと再確認しているようじゃないですかまるで。

 誰かに必要とされているのはわかっているんです。では誰がこの暗く寒い部屋で自分に寄り添ってくれるんですか。インターネットの、電波での繋がりだけでは人間は満たされない。なぜなら本来人間は電波で繋がってきた種族じゃないから。だから誰だってこれは同じなんです。

 ああでも、この胸の痛みはあれだな。まだ自分はちゃんと理性も人間性も失っていないんだなと再認識するのに十分すぎますね。本当に限界ならこんな文章すら書けなくなっているはずなので。
 かつては非日常を切望していた身ですので、何が日常でそれをどう過ごせば良いのかを知らないのです。平凡な日々は精神を病ませる。それは過去に適応障害という形で身に起きていますし、やはり自分は非日常に生きるのが良いのでしょう。
 ただ非日常とは一体何をすればそうなるのか。もっとも、ポジティブに物事を考えるのならこの過眠こそが非日常だという結論に至るのでしょうが、過眠をしたからなんだという話でしかない。寝てお金が増えるはずでもないのにくだらない。

 とかなんとかぼやいていたら眠気が来ました。
 こんなのツイートでやれという話ですが、ここまで長くなるならやっぱりnoteにして正解だったかもしれない。
 それではおやすみなさい。起きたら夕方がいいです。夜は寝過ぎなのでやめてくださいね。

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