見出し画像

X(旧Twitter)のコミュニティノートに参加して思った事

先月よりX(旧Twitter)のコミュニティノートへの参加申請が承認されたのでコミュニティノートの活動を始めました。

コミュニティノートとはX社が運用しているSNSのアカウント保有者のうち、参加資格を得た有志が日々投稿されるポストについて誤解を招く表現や誤情報に匿名で追加情報を付与する活動を指します。

それ以前からポスト(以前はツイートと呼称)に返信や引用を使って指摘することは可能でしたが、ブロック機能によって表示されなくなることから、インフルエンサーによる囲い込みが進み閉鎖的な空間でエコーチェンバー化による誤情報や陰謀論、ヘイト表現の蔓延が問題視されており、その対策としてコミュニティノートが実装されました。

コミュニティノートはブロックなど直接阻止する手段が用意されていないことから、エコーチェンバーに不都合なポストに匿名で直接補足情報を付与できるところが画期的でした。

このため誤情報発信で耳目を集めていたインフルエンサーやその支持者からは大変な不評で「誰でも書けるノートは信用できない」などシステムをあげつらう反応がありましたが、それだけ効果があったとも言えるでしょう。


コミュニティノートに参加しようと思ったきっかけ

直接の切っ掛けはデマインフルエンサーに対抗しようと思った事と、既にコミュニティノート活動をしている有志の支援をしたかったと言うものでした。

予てよりSNSプロバイダは拡散と囲い込みで広告収入を得るビジネスモデルで成り立っている事から、SNS空間内での誤情報も自由が保証される言論とされ対策が後手に回っていましたが、フェイクニュースを発端とした事件や特定の勢力による世論工作や情報戦に用いられた事が知られると問題視されるようになり、様々な対策が講じられてきました。

X(旧Twitter)においても問題のあるポストを通報する事でアカウント閉鎖など出来ましたが、個人的に動いても殆ど効力がないのですが、コミュニティノートであれば賢明な有志の力を借りられますのでデマとの戦いに大きなアドバンテージを得ることが出来ると思われました。

ノートを付けるのは難しい

コミュニティノートの有効性に異議を唱えるのによく用いられる「誰でも書ける」についてですが、実際にやってみるとそう簡単にはいかない物であることが分かります。

まず、コミュニティノートに参加するのに時間が掛かります。
6ヶ月以内の違反行為がないとか携帯電話番号を登録するなどいくつかの決まりはありますが特別な資格は必要なく誰でも参加申請は出来ます。
しかし協力者の属性が片寄らないように配慮しているからか、申請が受理されるまでの待機期間は人によっても違うようです。

自分の場合も数ヶ月は掛かっていました。

参加すると最初は自分の評価ポイントが一定数に達するまではノートの作成は出来ませんが、これは他の協力者が提案するノートを評価しているうちに比較的早期にノートを作成できるようになるでしょう。

ノート作成権を得ることができたら晴れて他の人のポストにノートを付与できるようになりますが、ここからが一筋縄では行きません。

自分の提案したノートが他の協力者から充分な数の「役に立った」評価を得られないと一般に公開される事はなく提案のままコミュニティノート協力者にしか見えない状態になります。

また、自分の作成したノートがあまりにも多く「役に立たなかった」評価を受けるとノート作成権を失います。この時、コミュニティ参加資格まで剥奪されるのかは実際なった事がないので分かりませんが、意趣返しで攻撃的なノートを作成したり連投で自分の意見をごり押ししようといい加減なノートを量産するのはかえって逆効果になります。

評価が少ない内は1日に作成できるノートの件数も少なく制限されています。

評価ポイント獲得合戦

参加して分かったのは、いかにして自分の評価ポイントを上げられるかが重要だと言うことです。

コミュニティノート参加者の評価には「評価ポイント」と「作成ポイント」の2つの評価ポイントがあります。

「作成ポイント」とは自分が提案したノートに対する評価で、他の協力者から「役に立った」評価が集まり公開されるほど1日のノート作成数の上限が引き上げられ、低ければノートの権限が剥奪されます。
ひょっとしたら「ノートの評価が必要です」と他の協力者に評価を依頼する通知の掲載順位にも影響していたりするかも知れません。

「評価ポイント」は他の人の公開前の提案段階のノートを評価した結果、「役に立った」と評価したノートが公開されれば得点でき、逆に自分が評価したノートが役に立たないと評価されるとポイントダウンする仕組みになっています。

この評価ポイントが内部でどう活用されているかは判然としませんが、これも世間の認識の逆張りを押し通そうとすると評価が下がっていく仕組みになっています。

これらの事から一次情報を無視して世論誘導をしようとしてもなかなか上手く行かない仕組みが考えられている事が分かります。

自分の所で見られるデータでも公開されたノート1に対して非公開のままのノート3くらいの割合なので提案されたノートのうち公開まで漕ぎ着けるのは提案されたうちのごく一部であることから「誰でも書ける」から価値がないという指摘はそれ自体あたらないと思われます。

執筆時の自分のコミュニティノート「評価ポイント」

しかし仕組みが分かっていると、それを利用した「ポイント稼ぎ」も実は出来てしまう事に気がつきます。 

例えば「投稿ポイント」は、既に支持者に囲まれたエコーチェンバーの中のポストに対してノートを付けても、公開にこぎ着けたとしてもすぐに反発され「役に立たなかった」が殺到して非表示にされてしまうため、そういう所へのノートはあえて避け、「お金配り」や「虚偽広告」の広告に対してノートを付けてやれば出稿者以外から反感を買うリスクが少なく支持を得られやすいといったポイント稼ぎが思い浮かびます。

実際ポイントを稼ぐためにそういったポストを専門に狙い撃ちしたり、或いは他の人の付けたノートをまるごとコピペしている事例もあるようです。

こういった事は自分がやりたい事とは思えないのでスルーしています。

また他の人の作成した公開前のノートを評価する際も「評価ポイント」を意識してしまいます。

どうやらこの評価態度も内部では数値化されているようで、同じような話題のポストに付けられたノートに一貫性のない評価をしていると自分の評価に影響するようで、それを考えるとどうしても「分かりやすい」や「重要な背景情報を示している」ばかり選んでしまいがちです(それ以外妥当な選択肢がないという事もありますが)

また、ポストの投稿者によってはいつもデマばかりだから罰したいという意識が働きます。
このため罰したいのに違う観点からのノートが提案されていたら判断せずスルーする事もありました。

それに気が付いてからはノートを評価するのに消極的になってきました。

一部の人が指摘するようなノートが「お気持ち表明」の場になっているかといえば、自分の観測している範囲ではそれは少ないのですが、それでも「この指摘は必要なのか、リプや引用で良いのではないか?」とは評価を下す時に考えるようになりました。

コミュニティノートの気になった点

まず、公開されるまでにタイムラグがあるためノートが付与されても目にする人数が限られるのでエコーチェンバーを打ち破る効果が半減しています。

ノートの公開されたポストに返信などのリアクションをしていると後日「あなたが返信、いいね、または再投稿した投稿に読者がコミュニティノートを追加しました」という通知を受け取った事がある人も居ると思いますが、全員が見に行くわけではないし、リアクションはしていないけど初稿のポストの情報を鵜呑みにした大勢には届きません。

これはノート合戦になるのを避ける事を考慮された設計ゆえの問題ですが、有用な情報が付いたにもかかわらずニュース記事の見出しと同じように内容を深く理解する助けになれていないのはもったいないと思います。

自分がノートを作成する時も平日には基本的に本業の業務が終わってからのタイミングでしか書けないため元のポストが公開されてから時間が過ぎてしまうと読まれる回数が減ることからノートの評価も上がりにくくなるようで、公開まで漕ぎ着けたノートはフォロワーが13万人付いている所謂「万垢」が元ポストを問題視して引用リポストしてから程なくして公開の評価を得ました。

図らずも「ファンネル飛ばし」になった事が功を奏したのかも知れません。

※「ファンネル飛ばし」とはTVアニメ「機動戦士ガンダム」シリーズで登場人物が操縦するロボ兵器が子機を多数分離して遠距離から有利に戦闘をする様になぞらえてフォロワーが多いアカウントが疑問を呈したポストにフォロワーが一斉にクレームをつける現象を指します。
ネガティブな表現として「犬笛を吹く」も猟犬を他の人には分からない犬笛でけしかけるように「攻撃するように仕向ける」仕草があります。


ここから推測するにノートを公開しやすくするにはクローズドな弱小アカウントは相手にしても評価を得にくくリスクが高いので大勢が注目している事で既にエコーチェンバーが破られている対称性のある衆人環視の巨大デマアカウントに張り付くのが手っ取り早いのかもしれません。

また、折角のノートも党派性やイデオロギーが先にたって信用されずに読まれもしないまま「役に立たなかった」で非表示にしてやろうという試みは本当に残念です。

問題意識からデマを信じるのは思想信条の自由としても、問題提起の出発点がデマやフェイクニュースでは到底解決は覚束きません。

正しく対処するには多様な視点からの論理的な探究こそが求められるのに一部の人には「ノートが付いたということはやはり不都合な真実なんだな」といった思考停止を助長することになっている現状は改善の余地が大いにあるでしょう。

ノートが公開されたポストは収益化対象外となる事が知られていますが、これはデマやフェイクニュースで収益を得ているアカウントに対する措置としては機能しますが、災害支援など本当に必要な重要情報はリプライや引用では埋もれてしまうため直接ポストに追記するのが効果的な筈ですがネガティブな印象を与えてしまうためそれも躊躇われます。

また、Xのポストが主な収益元ではなく他のリンクに誘導している場合の収益化までは制限できません。

NNN問題

海外のノートを見ていると、問題ポストにはたいてい数件のノートが提案されており、またそれらにNNNが付いているのを目にします。
NNNは恐らくNo Need Noteの事と思われ、「このノートは不要」という意思表示なようで先のノートと対立する事が多いようです。

読んでみると「このポストはお気持ち表明に過ぎないのだからノートを付ける必要はない。そういうのはリプライで充分である」といった指摘が多いように感じます。

確かに元のポストを読むとわざわざノートである必要は薄いのですが、NNNが付いていると「役に立った」を押すのが躊躇われます。

それを逆手にとって明らかに萎縮するのを期待してNNNを付けている例も見受けられます。

個人的には「役に立った」

参加してみると世間で言われている懸念の多くがいかに的外れかが分かりますが、同時に見たくないポストも沢山目にすることになります。

参加後は登録した使用言語でフィルターされるようになるので参加以前のような世界各国のデマ博覧会のような様相は和らぎましたが、それでも今誰がどんなデマを広めようとしているのか、どんな問題が起きているのかを目の当たりにし続ける事から直視するのが辛くなってきます。

ここら辺がコミュニティノート参加者の多くがノート作成件数が0件~数件止まりといった要因になっているかもしれません。

それでも何のテーマでも業界の専門家や玄人裸足の事情通というのは居るもので、自分が知らなかった情報を提案しているノートは読むだけで勉強になりますしノートを鵜呑みには出来ませんが背景情報を調べる手間は省けます。
これまで通説として信じられてきたものも根拠が無かったり間違って広まったものであったりと言う気付きもありました。

「誰でも書けるものだから意味がない」という人はコミュニティノート作成時には誰でも納得できる情報ソースを記述する事が推奨されていますが政府や官庁の一時情報なら信用するのでしょうか?きっと読んだ事も無ければ納得もしないでしょう。
こういった層にリーチする事も求められるようになります。

とにかく、こういう試みを思想信条に反する指摘が入って邪魔だから唾棄すべきものとしてしまうのではなく、問題点をよりよく改善して全SNS利用者の利益になるようにしていかねばならないと思いました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?