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コレクターズがコレクターズでしかない理由

「THE COLLECTORS〜さらば青春の新宿JAM〜」を見た。
日本の音楽史上、超メジャーでもないロックバンドを長く続けていくのは経済的にも肉体的にも環境的にも厳しいだろうと思われるなか、コレクターズがここまで長く愛され、大きなトラブルもなく活動し続けている理由はなんだろう。
それは「コレクターズがモッズではないからだ」ということをあらためて感じた。

「さらば青春の光」という映画がある。この邦題はもう少しなんとかならなかったのかと当時から思ってたし、布袋さんや漫才師さんまで使うともう口に出すのも恥ずかしい感じはあるのだけれどそれでも僕にとって最強の青春映画である。なんで英国の60年代のモッズ・ムーブメントの頃の話に日本の田舎のガキんちょが感情移入できるのよという話にはなるかと思うけど、初めて見た時に心を奪われ、何度か見たあとに「やばい。この映画だけは見飽きたくない」と、それ以上見ることを封印したぐらい好きなな映画なのです。「まだ何者でもないのに何者かになったような生意気な若者」で「威勢のいいことを言ってる割には好きな女の子ひとりすら真面目に口説けず」「仲間はとっくに大人になっているのにいつまでも時が止まったまま成長しておらず逆に成長して去って行った仲間を裏切り者だとさえ思う身勝手な若者」である主人公ジミーにティーンエイジャーの僕は完全に自己投影してしまったのですね。細かいことは書かないけど本当にあんな感じのヤバイ子だった。映画の中で、好きだった女の子に、(モッズとロッカーズで大暴れした)ブライトンでは一緒にラブラブで過ごしたじゃないかと詰ると「は?ブライトンなんてお笑いよ」と返される姿に泣きたくなった。あれもモロ似た経験があったので。

音楽青春映画の傑作だと思うからコレクターズのリーダーがあの映画に影響を受けるのもよくわかるし、きっとまわりから「日本でモッズなんてお笑いだよ」に近い嘲笑も受けてきたであろうはずなので、彼らにとってモッズムーブメントとは青春であり人生そのものだったんだなということは理解できるし、日頃からベスパやスーツやM-51などファッションにこだわるのもよくわかる。

その一方で、この映画を見てて「ああコレクターズは真にモッズではないからここまで長持ちしたんだな」と再認識することにもなった。

それはインタビューを受けている当時のモッズ関係者からの発言にも感じられるけどコレクターズは当時もいたし今もいるいわゆるモッズを経典のように崇め奉る原理主義的なバンドではなくもっとライトに己の個性を打ち出す1つの手段としてのモッズカルチャーにフィットしたことが伝わってくるからだ。あの頃、生粋のモッズはきっと当時の「ポップで聴きやすいコレクターズ」に対する違和感を持ってたろうし、逆に普通のロックファンからすればネオモッズの潮流に乗って出てきただけの少し企画系のバンドにも思えたろうし、要するにコレクターズはずっとどこのカテゴリーに入れず常に「ザ・コレクターズ」という専用の枠しかなかったんじゃないかとさえ思った。こうもりが動物でも鳥にも入れてもらえないような感じ。ま当時の新宿JAMとか行ってないのでこれもあくまで映画を見ての憶測だけどね。

でももし「俺たちは死ぬまでモッズだー!」とオジさんになっても叫んでるようなそんなバンドだったらもう解散してるかメジャーではない活動をしてただろうな。映画の中でもJAMのステージに久しぶりに立った感傷とかまるでなく「本当はもっといいところでやりたかったけど、あの頃JAMしかワンマンをやらせてくれなかったから仕方なく出てた」はリーダーの本音だと思う。
周囲が彼らをモッズのアイコンとして崇めるのも結構だし、本人たちも好きでそれに乗っかるのはぜんぜんOKだけど、コレクターズはむしろモッズではないところで踏ん張って生きてきたからこそ今があるのではないかと個人的には強く感じる。

昔「冗談画報」でネオGSのくくりでストライクスやザ・ファントムギフトと一緒に出てたけどあそこで「僕はコレクター」を演奏してたときのコレクターズがモッズパロディの象徴としては僕の中ではピークだった。かっこよくて見ててめちゃくちゃ楽しかったけど。でもあのブラウン管の中のリーダーはすでにどこか冷めてた。いや、冷めてるように見えたんだ。

モッズは生き方である。確かに。それはそうだと思うし、「さらば青春の光」の主人公ジミーも、上司や親や警察や権威的なものに対して常に反発している。反体制を貫いている。それはモッズ的なのかもしれないが、一方では働かないと食えないのも事実なので自分はメールボーイなんかやってる。そのくせ、憧れのエースがホテルのベルボーイをやってるのを見て勝手に幻滅し怒るけどね。それが現実なの。
コレクターズもメジャーなレコード会社でアルバムをつくり、大きなハコでライブをやり、物販もして、たまにテレビやラジオなどメディアできちんと発信をしているメジャーで実績のある名バンドになった。「We are the Mods!」だとずっと言い続けてたらこういう方向や結果にはならなかったかもしれない。僕はそれでよかったと思う。ちゃんとバンドで生活できているならなによりじゃないか。

くるりはオリジナルメンバーでつくった最新作「感覚は道標」で、おっさんの同窓会にはしたくないと言った。それでいうと新宿JAMのコレクターズはきっとおっさんの同窓会だったんだろうしそれはそれでよかったんだろう。だってもう何十年も前から彼らはこの視界ではない次元でパフォーマンスしてるわけだから。
でもそれは決してネガティブな意味ではないよ。たまには同窓会したっていいと思うし、ポール・マッカートニーが企画でリバプールの思い出の地を練り歩くのだってファンも喜ぶしメディアも儲かるわけだからね。ただもうポールもそこにはいないしその頃やってたことももうやってないよというだけのこと。

だからコレクターズの新宿JAM物語であるこの映画を見て「そんな時代もあったな。でもモッズでないからコレクターズはさらに大きくなったんだな。ザ・フーが早々に「俺たち別にモッズじゃないかんね」と宣言したようなもんだな」とあらためて感じたということです。感想としてはとりとめがないけどこうとしか言いようがなかったす。

今もファッションとしてのモッズは好き。映画「さらば青春の光」で対抗するロッカーズの革ジャンファッションを見て「うわぁこれはやりたくねぇな」と心底思ったもの。フレッドペリーのポロは体型が合わなくなって似合わなくなったし、M51フィールドコートはもう青島にしか見えなくて着なくなったけど、やっぱいいなとは思う。ただそれはもう終わったこと。これからも「今を走り抜ける」コレクターズを見守り続けていきたい。以上です。


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