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嘘について。あと好きな漫画を教えて

 嘘が嫌いだ。つくことも、つかれることも、良くないことだと思っている。

 嘘にも様々な種類の嘘があるが、最も多いのは、本当のことを言うと自らの不利益になるので嘘をつくパターンだと思う。とてもよく理解できる。私も嘘をつくことがある。なおもて、嘘が嫌いだ。
 私が思い出せるいくつかの私の嘘のうちのひとつ。飲み屋で異性(に見える人)からセックスしようみたいなことを言われた。クソほどうざくて、gayだからあなたとはセックスできないって答えた。語の定義によっては嘘ではないんだけど、あえて誤解される言い方を選んだし、まあほとんど嘘と呼んで差し支えない。このとき私はとても良くないことをしたと思う。分かりやすく相手に納得してもらうためだったし、そのときは実際に納得してもらえたけど(余談だがこの世に数多あるポルノファンタジーのせいでgayだっつっても異性間性交渉に“目覚め”させようと諦めず誘ってくる人はいる。消えてくれ)。分かりやすさというものはとても危うく、誠実さから遠い場所にある。
 ヤマシタトモコ『さんかく窓の外側は夜』は霊感のある主人公と、彼のことを「運命の人」と呼ぶ祓い屋の2人が霊や呪いに関わる事件に携わっていく漫画だ。同じ作者の『運命の女の子』よりやりたいことがアガっている感じが良い。ヤマシタトモコは一貫して、人間が人間を壊せるってことを描いている。もしかしたら直せる、かも、ってことも。『さんかく窓の外側は夜』の祓い屋、冷川の語彙は乏しいが、嘘つきではない、のかもしれない。冷川は誠実だからこそ、分かりづらいまま、乏しい語彙のまま、喋る、のかもしれない。5巻で冷川が、「言語が記憶をひもといてくれる」「自分の過去の記憶の意味が初めてわかるんです」と言っていて、とても共感した。自分の現在というものがあり、過去があり、私はそれを言語で繋いでいる。嘘をついてしまうと、その嘘を表現するための言語が、記憶にくっついてしまう。私はその、嘘を表現するために使った言語を思い出す感覚が、とても苦手だ。不味いと分かっている料理を食べなければいけないような気持ち。
 さもえど太郎『Artiste』はフランス料理人が主人公だが、料理よりメインのテーマとして「生きづらさ」があるのは明白だ。それぞれのキャラクターが、生きづらさを抱えたまま生きている。おそらくASD(自閉スペクトラム障害)だろうなと思われるリュカをめぐるストーリーも魅力的だが、4巻で給仕長(メートル)がお客様の障害を想定できず「みんな当たり前にできることが…自分にはできないと思わせてしまった」「痛いほど知っているのにまた思わせてしまった……」「俺は間違った…」という後悔の台詞を、私は何度も読んだ。私にも「自分にはできない」ことがあるから(でも『Aritste』がただの生きづらさ大辞典みたいにすすんでいかないかは不安だ)。
 私たち(私たち?)は同じではないのに、同じではないということを忘れてしまう、想像力の乏しさがある。だから「自分にはできない」ことをたまには説明して、相手に想像してもらってもいい。だがしかし。「自分にはできない」ことが、なぜできないのか、どんなふうに困難なのか、説明するのはとても難しい。なので分かりやすい代替、つまり嘘で説明するときがある。私は準備とか見通しとかがすごく苦手でよく遅刻するのだが、発達や特性というものへの想像力が働かない人には「起きられなくて」とか答えておく(睡眠障害もあるので、本当に起きられなくて、なときもあるんだけど)。「起きられない」人って多分想像しやすくて、分かりやすいだろう。でもどうにも嘘をつくのが嫌になってきたので、件の想像力が働かない人とはそもそも交流自体をやめることにした。礼儀がなってないとか色々言われた。知るかばーか。
 以前に、山階基が『詩客』で私の連作評を書いてくれた。

自分・相手の性についての考えかた、を探って自分の身をまもる(うまく見きわめなければひどく傷つけられる羽目になることだってある)ための作業、……。人と関わるなかで少しでも安心するために必要となる、そういう途方もない緻密な作業があって、わかりますか

って言ってた。
 とてもよく分かるし、勇気づけられた。山階の言っていることと、嘘、は密接に関係している、と思う。分かりますか。分からない、人には、分からない、だろう。嘘をつかなければならないときがある。「ひどく傷つけられ」ないために。身を守るために。似たようなことが、隠れ特撮オタクがヒロインの丹波庭『トクサツガガガ』1巻に描かれています。こっちは隠さないといけない状況に置かれてるんだよ、傷つけるのはそっちなんだよ、って話。
 それでも嘘をつくことは、私自身を損ねることでもある。真に平等な世界がくればいいと思っているのに、嘘は、真に平等な世界から私を遠ざける。私がついた嘘を本当だと思った人が、私を「あちら側の人間だ」だと思うかもしれない(あちら側っていう概念も嘘なんだけど。つまり強者ってこと。特権を持っているってこと)。私が本当のことを言うのは、自分のためでもあるし、話している相手のためでもあるし、遠い誰かのためでもある。私の想像力を超えた遠くにいる誰か。
 嘘は嫌いだけどフィクションや物語は好きだ。山口つばさ『ブルーピリオド』めっちゃ良いです。美大受験を目指す主人公が、美術のことを「分かって」いくのが読者のこちらも「分かって」いく。話の運び方が今のところ大変に気持ち良い。表現する、ということを覚えた人間の業と救いの話だ。2巻ではちゃめちゃに傷つくことになった主人公の、「俺の絵で」「全員殺す」「そのためならなんでもする」。めっちゃ分かる。私も私の作ったもので全員殺したい。これは比喩です。分かりやすい嘘よりも、私の表現の力で、人を惹きつけたい。そしてその人の世界が一回バラバラになる。それってすごくないですか。かくも複雑で、不平等で、クソッタレな世界で、嘘をつかないことは難しい。でも嘘をつくよりも楽しくてイカしていて傷つかないやり方がきっとあるはずだと信じている。そのためにやっている。これからもやっていくので、見てろよ。

 山城周
自己紹介 フェミニストです。
吉田による紹介 飛び方を教えてくれる始祖鳥
鳥居による紹介 クソみたいな世界のクソの部分を殴る血まみれの拳
この記事は2018年11月に文フリ東京で配布した怪獣のフリーペーパー「Quaijiu Free 1」に収録した文の再録です。怪獣歌会アドベントカレンダー22日目の記事でもあります。

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