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たったひとつの冴えたやりかた

 前回はわたしの「もてたくない」という相談にラブフェアリー様が答えてくれました。お返しと言ってはなんだけど、今回はわたしなりの「もてない」ための方法を書いてみようかなと思います。
 「もて」から、というか、様々な加害や侵犯から身を守るための方法としてわたしが知っているのは、ただひとつ「したいことしかしない」ことです。「したいことしかしたくないと知っておく」と言い換えてもいいかもしれません。
 断っておくと、これは別に効果が実証されているものでもなければ、効果があるからといってそうしなければいけないというものでもありませんし、そんなものはないと思っています。あくまでも、わたしの場合の話です。

 セクシャルハラスメントやつきまといに特に遭いやすかったころ、そのことを相談した相手がすごく怒ってくれて、自分では怒れなかったわたしはすごくほっとしたことがありました。けれどその怒りはすぐにわたしに向かうようになりました。
 君は無防備だから変な人に付き纏われる。君が変な人を引き寄せるから周りも迷惑する。なんで○○さんにあんな親しげな態度を取るの? ××さんは危ないから近付かないほうがいい。ほんとうにそういう事態を避けたければ、自分でもちゃんとしなさい。
 僕は人間関係についてちゃんと気を付けて防備している、だから危ない目に遭ったことはない、とそのひとは言うのでしたが、それは後出しじゃんけんなんじゃないかとわたしはひそかに思っていたのでした。にんげんは24時間365日完璧に警戒しつづけることなんてできないし、いくら警戒したってトラックが突っ込んでくるのを止めることはできない。あなたが防備しているから悪いことが起きないのではなく、たまさか悪いことに遭遇しないおかげで自分の「無防備」さに気付かないでいられるだけなのではないでしょうか。
 だってあなたは、「さんざん被害に遭った人間に知ったような顔で自衛について説くなんて無防備なことをしたら逆上した相手に殴られても仕方がないよ」なんて言われなくて済むのだし、あなたを怒らせないようわたしの無防備さについてのお説教を神妙な顔して聞くのがわたしの防備だったのだから。

 それでも、セクハラは悪いことだという当たり前の認識を持った人さえ当時のわたしのまわりにはほとんど見当たらなかったから、このひとの言うことを聞かなければ、また誰かにターゲットにされたときに助けてくれる人が誰もいなくなってしまう、また自業自得だと言われてしまうから。
 わたしは、次の被害を避けるためではなくて(そんなの避けようがないのはわかっていましたから)、次に被害に遭ったときにちゃんと被害者だと「認めてもらう」ために、ちゃんとできる限りの自衛はしたのだと「わかってもらう」ために、必死でした。

 でも不快な目に遭ったことを相談しても「それはさすがにセクハラじゃないでしょ」と笑われるし、あの人には気を付けろと言ったその口で、「表面的には仲良くやってあげてよ」という趣旨のことを言われる。
 じゃあ、気を付けるって何に? わたしはすでに嫌な目に遭っていて、それは充分に不当な侵犯だと思うし怖くてつらくて混乱しているけど、それは何でもないことでわたしが過敏なだけで耐えなきゃいけないことで、だけど「何か起きたりしないように」気を付けないといけない。「何か」が起きるまでは何でもなくて、「何か」が起きてしまったらゲームオーバー。わたしの落ち度。

 別の人に「取り返しのつかないことにならなくてよかった」「何事もなくてよかった」と言われたこともありました。
 取り返しのつかないことって、何なのでしょうね。取り返しのつくことなんてこの世にありますか? どんなことでも、一度起きてしまったら取り消すことなどできないはずです。
 だけど、過去のハラスメント加害者については、「そろそろ許してあげなよ、かわいそうだよ」と言うのでした。

 〈現在〉がないのだ、と気付くまでに何年もかかりました。かれらは、過去の出来事はもう水に流してあげるべきことで、わたしのすべきことは将来において「何か」が起こらないようにすることで、でも「何か」が起こらない限りは過度な警戒をすべきではない、と言う。わたしは〈現在〉つらかったのです。すでに起きたことのためにわたしはずっとつらかったし、いま起きていることがつらかったし、いまにも起きそうなことに怯えなきゃいけないのがつらかった。
 かれらが守りたかったのはわたしやわたしの心ではなかったのだなとそのとき気付きました。苦しんだり、傷付いたり、怯えたりするのはわたしの心です。わたしのことを思うなら(思わなくても)かれらはわたしの心を踏み荒らすべきではなかった。かれらのしたことは、かれらが怒った人たちの行為と同様に、不当な侵犯行為でした。

 わたしは、何年もかけて、わたしがつらいのだということ、つらいと思っていいのだということ(この程度のことでとか、こんな昔のことでとか思う必要はないのだということ)、わたしがつらいかどうかはわたしが決めるということを、自分で学ばなければいけませんでした。
 わたしがつらいと思った出来事には、セクシャルハラスメントやストーカー、DV、二次加害という名前がつく場合もありますし、それらの分類にはぴったり当てはまらないものもあります。それらの名前にしても、概念を発見し、名前をつけ、広めていってくれた人たちがいて、それ以前には名前のない、存在すら認められていない苦しみでした。この世には、まだ苦しみの台帳に登録されていない苦しみがごまんとあるのだと思います。

 だから、わたしが自分と自分の心を守ろうと思ったら、できることはただひとつ、自分が何をつらいと思うのかよく自分の心に聞いてみて、つらいと思ったらできるだけはやく逃げ出すことだけです。他人の苦しみの台帳と照合しようとしてはいけない。
 もっと言えば、つらいと思うようなときにはすでに心がだいぶ追い込まれて判断力を失っていたりするので、そのずっと手前で、なんか嫌だなとかなんか気が進まないなという時点で逃げる。したいことしかしない。したくないことを我慢していると、その上に嫌なことがどんどん積み重なっていってもなかなか気が付かないものだから。良薬口に苦しだと思って、自衛についてのお説教を我慢して聞いている状態なんかは最悪で、苦いと思ったら自信を持って吐き出すしかない。
 できれば、ね。逃げたいと思ったときに自由に逃げられないから兎角に人の世は住みにくいのだけど。

 前回の吉田さんの質問はこれでした。

 今は好きな服を着て、好きな顔をしていいはずだけど、ちょっと迷ってしまう自分もいる。どんな色を着て、どんな顔で生きていったらいいのでしょう?

 吉田さんが古着屋さん巡りに連れて行ってくれたときのことをよく思い出します。わたしはそのとき買ったばかりの真っ白いワンピースを着ていて、やっぱり白無地は目立ちすぎるかなあ、と内心ちょっとうじうじしていたところだったので、「へんなTシャツ」探しにいそしむ吉田さんにこう聞いてみました。
「へんな服を着こなすこつってありますか?」
 吉田さんは間髪入れずこう答えました。
「堂々と着ることです!」

 わたし、この答えがすごく好きで。人から見たら「へん」に見えるかもしれないし後ろ指を指されるかもしれない、かわいすぎる服やドレッシーな服を着るとき、迷いが生じると心の中の吉田さんが腰に手を当てて「堂々と着ることです!」と言ってくれるんですよ。
 好きな服を着て好きな顔をしている吉田さんがわたしは好きです。でもそれで吉田さんが好かれたい人に好かれるかどうかはわからないね。わたしはすぐ、もてなくなっていいじゃん、自分がそうありたい自分を否定するような人に好かれる必要はないじゃん、と言いたくなってしまうけど、好きなものに優劣はつけられないものね。
 でも、自分の着たい服がわかっているのは吉田さんの強みだと思う。したいことをして、したくないことをしないことは最強の魔除けだから。

 前回、ラブフェアリー様が次のように指摘してくれました。

【L】川野は愛がどこか相互的なものだと思ってないかラブ?人の好意を、いつか返さなければいけない負債のように思っていて、自分にはそれができないという負い目がどこかにある気がするラブ。

 ほんとうにその通りです。人は勝手に人のことを好きになって、それで盛り上がったり落ち込んだりするもので、そんなのはわたし自身とは関係ないからほっとけばいい(その気になったら一緒に盛り上がってもいい)とわかっているつもりなのだけど、いつか身に覚えのない大量の請求書が届くんじゃないかと怖い。
 でもわたしのことが好きな人たちにわたしがしてあげられる贈り物なんて、「自由に生きて、自由に死ぬ」ことしかほんとうはないんですよね。それで不満な人のことは知らん。

 わたしが書くものはいつも長くなりますね。わたしが「物語」の人だからだろうと思います。対照的に斉藤さんの書くものは短い。先週の記事で、斉藤さんは「私は人生に物語を欲していないのかもしれない」と言っていました。
 でも斉藤さんは、小説をよく読みますよね。ドストエフスキーとかブロンテとかヘッセとか。ドストエフスキーなんかはすごく「物語」があると思うけど、斉藤さんはそうした物語をどう読んでいますか? もうひとつ、いわゆる現実世界について、「小説で読んだのと違う!」とか、「小説で読んだ通りだ!」と思った経験があったら教えてください。

この記事は怪獣歌会アドベントカレンダー16日目の記事です。

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