ゾンビランドサガ11話から「源さくら」を考える

はじめまして。自分のことを美少女Vtuberだと思い込んでいる水槽の脳だと思い込んでいる成人男性系Vtuberの久遠ありあです。

プライムビデオでゾンビランドサガ11話を観てきたので、この記事ではそのちょっとした考察をしてみます。
考察の内容は主に主人公「源さくら」について、そして「物語」、つまりは「サガ」についてです。
短いですが、どうぞ最後までお付き合いください。


源さくらとはどういう存在なのか

11話を観た私が真っ先に整理したいと思ったのは、「源さくらとは一体どういう存在なのか」ということについてです。

彼女の「持っとらん」という自嘲的な台詞に注目してみましょう。

この台詞は、彼女がその人生でしてきたあらゆる挑戦にことごとく失敗していることに由来するものです。

学芸会はおたふく風邪で、運動会は肉離れで、高校受験は親切心が裏目に出た焦りで、そしてアイドルになるためのオーディションは不慮の事故で台無しになっています。

ここで注意したいのは、「源さくらは本来これら全てを達成する実力、ポテンシャルを持っている」というところですね。
学芸会の練習では主役を完璧にこなし、運動会では3年連続でリレー選手に選ばれており、高校受験直前の模試では県内屈指の名門校でA判定を受けています。

この調子でいくと、恐らくオーディションを突破してアイドルになるポテンシャルも当然持っていることになります。
そのことは本編で何度も証明されていますね。


さて、では「持っとらん」とは単に「肝心な時にミスを犯す」というだけの性質なのでしょうか。
そうではない、と私は思います。

そう思う根拠は2つ。
まず1つは「アイドルのオーディションを直接失敗していない」ことです。

「持っとらん」が単に「肝心な時にミスを犯す」ことを指すのなら、さくらは「オーディションを受け、肝心な時にミスを犯し、失敗する」はずです。

学芸会、運動会、受験、オーディションという並びの中で、唯一この過程だけは「頑張ったけど」と言えるような部分がありません(オーディションを受けようという決心がそれに値するのかもしれませんが)。

となると、彼女の「持っとらん」という性質は、少なくともゾンビランドサガという物語を解釈するうえでは、もう少し深い意味がある、と考えないわけにはいきませんね。


では、その少し深い意味とやらを語るためにもう少し捕捉しましょう。

「持っとらん」を「肝心な時にミスを犯す」と分ける2つ目の根拠は、「高校受験に落ちた理由」です。

高校受験に落ちた理由は「具合の悪いおばあちゃんに立て続けに遭遇し、試験には間に合ったものの、冷静さを欠いてミスを連発してしまった」です。

「おたふく風邪」「肉離れ」「死」と比べると、なんというか少し和んでしまう理由ですよね。
そこがポイントなんですよ。

高校受験についてさくらの口から語られる際、「大好きだった歌番組、ドラマ、友だちとの時間、その他一切を断ち」という台詞があるんです。
高校受験だけ「望まぬ努力」としての描写がされているんですよね。

そして、失敗ばかりを経験してきた源さくらにとっての救い、「失敗とか後悔を全然ダメと思ってないからです」という水野愛の台詞は、多分受験に失敗してないと聞けないんです(成功してたらこの台詞は恐らく耳に残らないでしょう)。

これらの要素(和む理由、望まぬ努力、結果的な救い)から推し測れる「持っとらん」の性質。それは「願いと結果が反比例する」です。

源さくらの願いが大きく真摯なものであるほど、結果の悪さもひどいものになる、ということですね。
普通のアニメ、というか普通のサクセスストーリーでは「願いと結果は比例する」ものなので(かなり大雑把な言い方ですが)、ちょうどその逆をいくのがこの「持っとらん」性質なわけですね。


ここでもう一度1つ目の根拠、オーディションと事故死の関係に立ち返って考えてみると、源さくらの「アイドルになりたい」という願いと対になるのが「オーディションで失敗する」ではなく「死」であるのが物語的に重要な意味を持つようになります。

単に死と言うよりは「絶望」と言った方がこの作品に限っては適切ですね。
死そのものというよりは、死による絶望がここでは問題なのです。
努力が無駄であることを今度こそ確信してしまう。自分が主人公に、アイドルになれないことを確信してしまうのが、源さくらにとっての『死』であり、彼女を「生ける屍」のようにしてしまった……というのが、11話の内容でした。


ゾンビランド「サガ」

さて、ここまでで源さくらの「持っとらん」についての分析をしてきたので、今度はその彼女が主人公を務めるゾンビランドサガという「物語」についてまとめましょう。

先ほど、「持っとらん」はサクセスストーリーのちょうど逆をいく理念だというような話をしました。

この「持っとらん」を運命として負う源さくらを、私は「主人公ならざる主人公」と呼びたいと思います。
ゾンビランドサガという物語の主人公は紛れもなく彼女なのですが、彼女は「絶対に主人公になれない」という設計理念から生まれたキャラクターでもあるわけですね。
「徒花」と言い換えることもできるでしょう。

生ける屍、「努力なんて無駄」「もうどうだっていい」という、限りなく物語や主人公から遠い『死』から彼女が蘇生を果たす。
そんな、咲くはずのない徒花が狂い咲く物語(サガ)こそが、ゾンビランドサガなのです。



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