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天地開闢以来の神教なり(第294号)

神皇一如の義

このたび天地神明のお導きにより山口究宗(保吉)著「瑞穂古事記 坤巻ひつじさるのまきを読んだところ、古代神都高天原・瑞穂の国が東三河にあったという「古代神都東三河説」を昭示する串呂が多数解明されていることが判明しました。

これは、いよいよ神風串呂の奥の院に参入し根本義を研究すべし!という神命が下ったのだと直観しましたので、同上著「芳花鶴水園の聖地」(山口究宗堂/1943年)を再読して見ました。

すると、巻頭7頁に、前号で紹介させて頂いた「船山の聖地と長慶寺九ヶ寺略図」に続いて、下記の串呂図「神皇一如の義」が掲げられていました。

「芳花鶴水園の聖地」7頁の串呂図

この串呂図は、地名の位置や地名間の距離など(縮尺)を適当に描いた一種の絵図のようなものですが、各串呂の意義は重要であるように思います。

そこで、上記「神皇一如の義」の中から、4本の串呂を特記して見ました。
(地名住所は最新のものに改めました)


🟡三河御所鶴水園とは、上に掲載した⛩相良神社のある蒲郡市相良町(小畑ケ、門成)を中心とした地域一帯を指します。

小畑ケこばたけは吉野山から三河遷都を断行した後村上天皇の側近「北畠きたばたけ親房」の一族を表わし、門成かどなりは、「御門みかどなり」(南朝宮廷)を表わします。

蒲郡市相良町は、「芳花鶴水園の聖地」では後村上天皇の行在所であり長慶天皇の降誕地(丹野=丹頂鶴=誕野)とされ、「瑞穂古事記 坤巻」では、伊邪那岐命いざなぎのみことを祭る古代高天原・瑞穂の国の聖地です。

長慶天皇の降誕地「丹野」は、丹頂鶴から来ている地名

三河御所「鶴水園」の神風串呂

(1)南部🔴(和・日高郡みなべ町)-「三河御所鶴水園」宇連山うれさん(愛・ 新城市)-南部🔴(山・南巨摩郡)

三河御所鶴水園は、天下を治める南朝の新しい御所であると解読できます。

宇連山(愛・ 新城市と北設楽郡との境)

宇連うれとは
ア、宇に連なるの意。「宇」は天空が地上を覆うの意。(宇内=天下。世界。あめがした。宇治=宇内を治める)

イ、どんづまり、末端の意(『宇連山- Wikipedia』)
京都➡吉野山➡東三河地方と避難してきた南朝副統(後村上天皇)は、後がない崖っぷち(どんづまり)に置かれたことを意味するか?実際、1392年の明徳の和約以後、三河吉野朝は消滅し東三河に南朝の宮廷が存在した事すら正史に書かれていません。

(2)周参見すさみ(和・西牟婁郡⛩熊野本宮⛩皇大神宮内宮「三河御所鶴水園」〽三河本宮山(豊川市)-〽宇連山山巓(愛・ 新城市鳳来地区)-水窪町(静・浜松市天竜区)

【参照】(『三河吉野朝- Wikipedia』)
三河吉野朝の新都を定めるに当たって、南朝宮廷(北畠親房)は、卜占の結果、熊野本宮と伊勢神宮との串呂線上に、⛩廟社神明宮(蒲郡市大塚町)、後醍醐天皇副陵・天皇山(蒲郡市相良町)を建立し、その串呂東方にある三州宝飯郡御津府(現・愛知県豊川市御津町御馬長床)に新都を建設することとした。

周参見すさみとは、海を波風が激しく吹きすさんでいたことより命名された(『周参見町- Wikipedia』)。周参見は、東三河の新都建設時の南朝副統(後村上天皇)の切迫した厳しい状況を表わすか?

(3)串本町(和・東牟婁郡)-神島(三・鳥羽市)-「三河御所鶴水園」

「三河御所鶴水園」(蒲郡市相良町)が、神の別れ(島)であり、串呂の本部(古代神都高天原)であることを昭示すると解釈できる。

(4)串本町(和・東牟婁郡)-⛩熊野本宮⛩橿原神宮京都市

これは串呂というものが実に霊妙不可思議な世界である事をよく物語っていると思います。

・・・・・

天地開闢かいびゃく以来の神教

さらに読み進めると、神風串呂について下記のような興味深い記事がありましたのでご紹介します。

宗風そうふうとは天地開闢かいびゃく以来の神教にして線呂とは宗の線にひ奉るを呂と称す。

「芳花鶴水園の聖地」12頁

宗風とは皇風であり神風です。
宗風線呂=皇風串呂=神風串呂 です。

神風串呂は、「天地開闢かいびゃく以来の神教」であると書かれてあるのです。

「芳花鶴水園の聖地」を出版した昭和18年(1943年)に、このような断言をするには、よほどの確信が無ければ出来ないと思います。

著者の山口保吉氏は、愛知県豊川市御津町の生まれで、後醍醐天皇崩御後、興国と改元し、三河吉野朝の新都を定めるに当たって活躍した北畠親房の子孫「小畑家」から出た山口家に生まれました。

山口氏は、山口家に三河吉野朝についての先祖伝来の口碑が伝承されていたので、それを天下に広めたいと先師・先哲の教えを受けたようです。

【参照】
🟡呂の地名と皇室崇敬
三河吉野朝の御霊蹟を神示する本は宗風線呂の義に基づけるなり。宗風と
は天地開闢かいびゃく以来の神教にして線呂とは宗の線にひ奉るを呂と称す。
皇国の天皇に仕えまつる宮人を麻呂と称する義と同一なり[。]呂は「つらぬ」と訓し連も亦同意義なり[。]呂に一字を加うれば宮となる。皇陵皇居を拝するに呂を以てす[。]共理違う事なく神に仕えまつる意を以て遙かの地点より線呂して崇敬し奉る地点を呂と称し。之を地文に顕わし里人等の蛇縄麻だじょうまの迷想佻蔑ちょうべつおそれ。且つ霊地の史実を文字の上にかたどりて聯通れんつうの義を覚らしむるところなり。

(「芳花鶴水園の聖地」12頁/新漢字・新仮名遣いに変換し[。]を補いました。)

🟡蛇縄麻だじょうまの迷想とは、夜道を歩いていたところ、目の前にヘビがいて驚いたものの、よく見ると麻のロープだったと。人は事実に対して、記憶や思い込みから錯覚し、時に妄想してしまうことのたとえです。(仏教の教えと瞑想〜原始仏教の世界より)

🟡佻蔑ちょうべつは、軽卒に判断してバカにすること。


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🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№293)
穂の国の神風串呂
🟢次号(№295)
三河御津府御所の神風串呂1

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。