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何色でもない量子情報が作っている、この世界 -It From Qbit-


現代物理学の基礎である量子力学は、下記の記事にあるように「実在」を否定しています。

量子力学自体も情報理論の一種に過ぎません。これまで目の前に在ると思っていた「モノ」も、観測者にとっては情報に過ぎないのです。この世界には色などの様々な個性をもつ「モノ」があふれています。それら全ては素粒子の集まりです。場の量子論では、その1つ1つの素粒子自体には個性が全くなく、どこでどのように作られたのかという記憶も各粒子は全く持ち合わせていません。たとえて言うと、色も形の個性も持たない同一素材のレゴブロックのようなものです。素粒子の集まりである「モノ」を区別するその個性や特徴は、その多数のブロックで組み上げられた量子状態に収められている量子情報そのものだと言えます。つまり現代的物理学の理解では、個性を持った「モノ」つまり「存在」の正体は、量子情報という「コト」だとも言えるのです。この世界のあらゆる存在(英語ではIt)は、量子情報の基礎単位である量子ビット(英語ではQbit)から生まれているという思想を It From Qbit(イット フロム キュービット)と呼びます。これは現代物理学を表す1つの象徴的なワードになっており、現在世界の多くの物理学者が取り組む研究テーマになっています。

もともとは量子情報である「素粒子」の1つ1つには、色というものはありません。人間の眼に届く光にも色はありません。「色」は量子情報を基にして人間の脳が作ったイメージです。

色のない量子情報である「光子」や「素粒子」を記述するには、波長という数字に基づいた数式を用いるしかありません。その数学を通じて、物理学はこの世界のバックヤードに人々を案内してくれるのです。

自分がこの世界の像の中に見ている色を他の人も見れているかは、原理的に回答不能な問題なのです。哲学ではそれを「クオリア」と呼んだりもします。色を見るという行為でも、飽くまで観測者としての意識、つまり<私>こそが主体であり、見えているこの世界は、その<私>が認識する量子情報を基にして創発しているものなのです。

どこまでも客観的であるはずと言われている科学ですが、それでも科学をする主体の<私>の存在は大前提です。「我考える、故に我在り」、「我感じる、故に我在り」。これを否定してしまうと、科学の活動を始めることさえできないのです。でもこの<私>の存在を、他者は客観的事実としては実証しようがありません。自身は確かにこの<私>であると思っている自分を、プログラムによってうまく会話している機械としてのAIと、外部の他者は原理的にそして客観的に区別しようがないのですから。つまり<私>の存在は、他者にとって「確かめようのない」事実とも言えます。それでも科学という営みは、この<私>の存在を真実として全肯定するところから始まります。公理(原理)としてまず<私>がいて、その<私>の五感やその先にある様々な機械装置も使って、<私>にとっての外部世界に刺激を与えてその応答を収集し、その情報を解析するのが、科学なのです。

宇多田ヒカルさんの『何色でもない花』という曲は、ご自身のコメントによると、現代の実証科学の進展によって崩壊していく実在概念と、それに対する恐怖に近い不安感、そしてご自身によるその超克を表現されているようです。他者には「何色でもない花」のような不確かな存在でしかない、この<私>を腹の底から自身で肯定することで、現代物理学の進展で揺らいでしまった「自分という存在」の哲学的な困難を乗り越えていけるのだろうと思います。実在性の否定という物理学の実験結果が、芸術や人文系の学問を含むあらゆる文化へ衝撃を与え、波及していく世界は素晴らしいと、私は思います。

ニュートン以来、物理学の最大の売り物は「世界観」です。現代物理学のIt From Qbitという世界観は、これからも多くの人々と共有をされていく価値のあるものだと、私自身は考えております。

なお量子ビットから量子力学の理論を現代的に構築していく現代的な教科書を、講談社サイエンティフィクから出しております。It From Qbitの精神がその構成の背景にある教科書です。


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