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量子テレポーテーションは、送信者から見たらモノの本当の瞬間移動である

この『入門現代の量子力学』(講談社サイエンティフィク)では、量子力学はなんらかの実在論ではなく、情報理論つまり認識論的な理論であるということを強調をいたしました。物理量の確率分布の集合に収納された量子情報を扱う理論であるという意味です。これは実に意味深長な内容を含んでいます。

物理学とは、「物(モノ)」の「理(コトワリ)」の学問ですが、情報理論としての量子力学では、この「モノ」も観測者にとって情報に過ぎないのです。例えば様々な個性をもつ猫や人間や、ブラックホールに落ちるコーヒーカップも素粒子の集まりですが、それらを構成しているその1つ1つの素粒子自体には個性が全くなく、どこでどのように作られたのかという記憶も各粒子は持ち合わせません。「モノ」を区別できるその個性や特徴は、素粒子の集合の量子状態に収められている量子情報が生成をしているのです。その意味で個性を持った「モノ」の正体は、量子情報という「コト」だとも言えるのです。

「モノ」は本来「コト」であるというこの事実を、きちんと腹落ちさせられれば、量子テレポーテーションが本当に「テレポーテーション(瞬間移動)」であるということも正しく理解ができるようになります。ただし瞬間移動であるのは飽くまで送信者にとってだけであり、受信者にとっては瞬間移動として利用はできません。

送信者のアリスから受信者のボブに、ある「モノ」の量子情報を量子テレポーテーションによって転送すれば、その「モノ」自体の転送と等価になります。その過程でアリスは手元の「モノ」の量子測定を行います。その瞬間にアリスにとっては、ボブの手元の素粒子に、その「モノ」の量子情報全てが転送されています。ただしその測定結果をまだ知らないボブは、その「モノ」の本性である量子情報が自分の手元に既に到着していることを知りません。しかしアリスにとっては、まさに測定の瞬間に「モノ」がアリスの場所からボブの場所に移動をしているのです。ただし到着したばかりのその「モノ」は壊れており、ボブによるユニタリ操作での修復が必要となります。このボブのユニタリ操作の特徴として可逆性が挙げられます。修復された「モノ」を元の壊れた状態に戻すことも可能なのです。

ボブが行う修復のこのユニタリ操作の選択は、アリスがボブに伝えた測定結果に応じて自動的に行いますが、その測定結果自体は「モノ」の情報を全く含まない乱数です。つまりこのユニタリ操作自体は、転送された「モノ」の個性としての量子状態に依存をしません。つまりボブの操作は、ボブの素粒子が持っている量子情報を増やしたり減らしたりはしない可逆操作なのです。ボブが直す前の壊れていた元の状態も、アリスが持っていた「モノ」の完全な情報全てを既に含んでいたことが、これから分かります。つまり修復前にはボブの素粒子にアリスの「モノ」が持っている量子情報が全て届いていたことは確かなことなのです。これは物理として非常に面白い点です。操作前のボブの素粒子がアリスからの影響を全く受けないように完全隔離で保管されていても、その厳重保管されたボブの素粒子にはアリスのところにあった量子情報が到着していたのですから。

しかしボブにとって「モノ」が届いていたと分かるのは、光速度以下のスピードでのアリスからの通信結果が届いた後になります。このために物理法則としての相対論的な因果律が破れることはないのです。しかしボブの修復前でもアリスが持っていた「モノ」の十分な量子情報がボブの手元の素粒子に届いていたのですから、その量子情報はアリスの測定直後にはそのボブの手元の素粒子に既に届いていたのだろうと、ボブは後になって考えることも可能です。

更に相対性理論を考えると、状況はもっと複雑になります。アリスのすぐ隣で異なる速さの慣性運動をする観測者クリスにとっては、クリスの時計で測ったアリスの測定前の時刻にでさえ、ボブの手元の素粒子にはアリスの「モノ」の量子情報が到着をしていたとも言えるからです。因果的に結ばれない空間的(spacelike)な領域でこう考えても矛盾が起きないことは、相対論的な量子情報理論で保証をされています。詳しくは、上のはてなブログの記事をご覧ください。このように量子テレポーテーションは、瞬間移動という見方だけでなく、時間を遡るタイムマシンのようにも理解ができるのです。なおこのことは、アリスとクリスが相対論における異なる慣性系にいるという条件付きであることを忘れないでください。

またアリスとボブ以外の外部観測者を置けば、その観測者にとって、転送される「モノ」の量子情報は異なる歴史の間の干渉によって転送されていることも分かります。これについては以下の記事を参照してください。

一知半解の理解で「量子テレポーテーションは瞬間移動ではない」と簡単に言い切ってしまう方もいますが、それは正しくありません。量子力学は情報理論であり、情報は観測者依存性のある概念です。これをきちんと踏まえると、少なくとも送信者での立場では、確かに瞬間移動になっているのです。そして更に測定結果を得た受信者が過去を振り返る立場では、アリスの測定時刻以前に既に量子情報が届いていたとも言えるのです。このような量子情報物理学の深い、そして面白い理解が広まることに期待をしています。

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