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言語と文化

日本人が主体性の発揮を苦手とし、イギリス人が状況の把握を苦手とするのも、言語学的制約によるものです。もちろん、個人差はあります。

二系統の思考

もともと、私たちは二系統の思考を持っています。一つは、状況から主体へ向かう思考であり、もう一つは、主体から状況へ向かう思考です。

しかし、東洋人および日本人は前者を優先し、西洋人およびイギリス人は後者を優先しているため、言語に埋没すると無意識に制約が掛かります。

つまり、日本語の思考では、常に状況の把握を強いるので、日本語が話せるようになる頃には、無意識に状況を把握するようになり、英語の思考では、常に主体性の発揮を強いるので、英語が話せるようになる頃には、無意識に主体性を発揮するようになるのです。

言語活動は意識領域を耕している。
良く耕される領域が得意となり、
耕されない領域が苦手となる。

文化のあり方

言語共同体の文化は、言語活動が耕す意識領域に即して、得意な領域に沿う文化だけでなく、苦手な領域を補う文化もあると思われます。

だから、東洋人が西洋文化を受け入れる場合は、自分たちの言語意識を踏まえて、異文化を変容させなければなりません。そうしないと、異文化の知識だけが頭に付いて、身に付かないことになります。

西洋人どうしの交流なら、異文化を変容する必要はありません。状況の把握を助ける学問体系や自己変容を促すスピリチュアルな気づきが、彼らの苦手な領域を補うものとして、容易に身に付けられるだろう。

以上、言語学的制約から自由になるために。