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小さいことはいいこと!?

ちょっと前の話ですが、9月のはじめ、教皇フランシスコはモンゴルを訪問しました。(↑Erdenebayar BayansanによるPixabayからの画像)
教会刷新を進めるフランシスコにはさまざまな抵抗があり、教義問題や倫理基準、教会人事など、その周辺は何かとかまびすしい中、教皇が目指す、教会のあるべき姿が垣間見られる記事と思います。モンゴル教会はmargin(周縁部=フランシスコの好むことば)にある教会だから、です。

教皇フランシスコ モンゴルで理想の教会に出会う(ラクロワ2023年9月5日)

モンゴルは人口330万人で、そこにいるカトリック信者は1400人ほど。しかし教皇は、モンゴルで、「小規模であることは”問題”なのではなく、”資源”」と語っています。「神は小ささを愛され、それを通して偉大なことを成し遂げることを愛されるのです」。然り。
モンゴル教会は小規模で、社会福祉や慈善活動をすることで教会が始まったとのこと。そこでは、孤児、病者の世話をし、障碍者施設を運営してきました。今回の訪問でも、ウランバートルに「愛の家」という新たな慈善活動のセンターの落成式を祝いました。そこに集う、ボランティアたちの「無私の奉仕」に教皇は感謝を表しました。
ここでは、イエスの時代にその弟子たちと行っていた、また、イエスの死後、弟子たちが実践した「最初のキリスト教共同体」の活動が行われていることを喜び、「布教する(信者数を増やす意味で)ことで教会が成長するわけではない」「征服の精神で社会活動を行うことも問題」と述べています。
日本で言えば、キリシタン時代の社会奉仕活動が一般民衆の心を捉えたことや、明治期のプロテスタントも含めた宣教活動が教育、医療、福祉などから活発化していったことも思い起こさせます。
記事は皮肉も込めて、司祭が少なく、司教が1人しかいない国では「聖職者主義」の弊害を心配する必要もなく、権力闘争に明け暮れたり、司教の指導力を批判し続ける必要もない、と言及。さらに、「ローマから遠く離れている」ことも幸いしており、その共同体が「キリストのみ顔に接し続け、聖書の中にキリストを求め、(契約の箱が入った)幕屋の前で黙想し、そこで奉仕する人々の顔にキリストを見るようになる」よう、教皇は促しています。実際に、それに近い姿で働いているモンゴルのキリスト者たちが「このカトリック教会の味」だと、モンゴルの枢機卿は語ります。「その味を、フランシスコはローマに持ち帰りたいだろう」と記事は結んでいます。

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