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未開発能力覚醒願望~タントラマンへの道(第64話)

ここまでは、残りの人生を健康に過ごすために必要不可欠な、食事・運動・睡眠を充実させるための方針を書いてきました。

でも、健康は今生の人生の目的そのものではなく、目的を達成するための重要な土台なのです。

今生の使命は、生命の神秘を探求、解明を深めるという手段によって、未知の領域を堪能することが真の幸福につながるのだということを身をもって体験することであり、後に続く人たちへの道しるべになることです。

そして、そのためには、自分自身の深い部分と繋がることが必要なのですが、僕はまだそれが出来ているかどうかすらわかっていない段階のようです。

そもそも、「自分自身の深いところ」、「本当の自分」、「ハイヤーセルフ」等々の言葉はいろいろ聞かされてきたけれど、それらの違いも判らないし、実感もない。

「チャクラ」だとか「オーラ」なんかもわからない。感じないし見えもしない。

「氣」もまた然り。

これらの中で本当に体感したことがあるのは「氣」だけ。
それも、自分が氣を使って何かをするというのではなく、氣を操れる人によって自分が操られたことがあるというだけ。

人の身体に一切触れることなく、一人の相手でも複数の相手でも自由に動かしたり、動けなくさせたりというようなことできるのは不思議でならなかったのだけれど、実際に自分もコントロールされてしまったので否定はできないのです。

要は、人間にはまだまだ発揮されていない、眠っている能力がたくさんあるのは確からしいということ。

そして、はるか昔から、そういったことを探求し続けてきた人たちがいて、現在でもそれらの技術を継承している人がいるのも間違いない。

じゃあ、それらの能力は誰でも発揮できるようになるのか、
それとも一部の選ばれた人だけが可能になるのか。

年齢は? やはり幼少期から修行しないと身に付かないのか。

・・・というように、昔から今に至るまで疑問だらけのまま先に進めていなかったのだけど、こうして書きながらよくよく考えてみるうちに、思い当たったことがあります。

それは、「年齢を気にしたり、選ばれし者だけしかできないのではないかと考えるのは、挑戦しない理由を考えているのと同じだ」ということです。

言語を習得するにはそれに最適な時期があって、その時期を逃すと習得が難しくなるということがあるように、「氣」にもそのようなことがあるのかもしれない。

でも、それを言ってしまってはお終いですよね。これ以上生きていても仕方がないってことにもなりかねない。

幸いなことに、氣に関しては、トレーニング方法も伝えられてきているのだから、地道に練習を続けて行けばいいだけなのではないか?

氣の訓練によって、呼吸法や瞑想のスキルも同時に向上する効果も期待できるだろうし。

というわけで、「よし! やってみよう!」と決めたのでした。





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