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神経発達障(発達障害)息子の母になる。


2016年春。
不妊治療にて32歳の時に母になりました。


待ち侘びて待ち侘びて生まれた息子は
とても可愛かったのですが

とても育てづらい子供でした。
私がいけないんだ、私が未熟なばかりに…と、
ノイローゼのようになり

地獄のような育児が始まりました。


息子は壮絶なお産でしたねと産院の院長に言われるほど難産で、
正産期ギリギリ、早めに生まれました。


生まれてからすぐに
時折呼吸が止まることと、黄疸で入院が延び
わたしは過度の貧血があり、毎朝鉄剤注射をしなければならず一緒に入院していました。

しかし貧血であっても
息子の授乳時間には呼ばれます。
息子の場合1時間おきくらいに泣いているから
来てくださいとコールがあります。
(これがとってもしんどく、眠かったです)

あまりにも体が辛いので
『みんなこんなに呼ばれるんですか?』と
聞いてみたのですが

やはりそんなに呼ばれてる人はいなくて、
『この子は神経質なタイプかもしれないわ。』と、看護師さん言われたのが

一番最初に感じた、この子への違和感でした。


退院後

退院後は、帰りの車の中で
延々と泣いていました。

いつか疲れて寝るだろうと思いましたが
全く寝ません。

結局、病院から家に帰るまでの道のり
約ニ時間の間ずっと泣いていました。


まだ何も気づいていなかった私たちは悠長に
ずっとこの調子なら遠出は無理だね、と夫と話していましたが

今思えばこれが二番目に感じた違和感でした。


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