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大相撲から見る日本の衰退

先日の日曜日の話。
たまたまテレビを見たら相撲をやっていた。結構な盛り上がりを見せていた。

幕内から3年で優勝かという若手がいたが、負けてしまい結局MAX4名の優勝決定戦となる展開となってしまった。ところが、その他の候補も次々と負けてしまい結果的に2名で優勝決定戦を行うこととなった。

横綱不在場所の大関と若手対決だ。

まあ、「普通」ならベテランのはずの大関が胸を貸して若手の勢いに正面から立ち向かい、やっつけて「流石、大関!」というのが大相撲だろう。

大関側からすれば、久しぶりの優勝は絶対にほしかったのは正直なところだし、次のステップに行くためには優勝が不可欠というところだろう。だから、万が一負けるわけにはいかない。し、相手の隙は見え見えだった。
ワザワザ稽古場でもないのに胸を貸してやる必要もない。
この言い分は分かる。

だが、ここ数年大相撲の衰退や表面的な人気は、本来の相撲道といった番付による精神的な各力士の成長や心構えと言った、人としての尊敬できる育ちを成人になっても我々が共に見ていけるところに魅力を感じるのではないのだろうか。

横綱は、チャンピオンではない。
チャンピオンならトーナメントで決めればいいだけの話。
横綱と言う格は、格式であるから誰もが認めるような明らかな実力者、相撲、精神、人格を伴ったものが望ましい。

相撲界自体に対してはジャーナリストからの問題提起もされている。

以前問題解決の兆候はつかめていないように見える。

しかし、問題は大相撲に限ったことなのだろうか、とフト思う。
この問題の形状はどこかで見たことがある気がしてならない。
そう、日本のここあそこでだ。
問題の本質を見ずして、先送りする体質。

あ~あ、今日もネガティブな文章になってしまった。

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