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個性のベースには愛がある…

最近よく考えていることが星と人のこと…
何じゃそりゃって感じですが…


天体の持つ要素

天体の持つ要素がやっぱり人に入っていると思っています。
これについてはここにも同じようなことを書いています

そしてその要素はタイミングによって開花したりしなかったり、したように見えたり、していないように見えたりすると思うのです。

どういうことかというと人によって表現方法が違うので傍から見える要素と見えない要素があると思いますし、本人の自覚があって出てくる要素と自覚がないけれども漏れ出てしまっている要素があるということ…

漏れ出ている部分は本人よりも周りのほうが気づいていると思います。
これは顔と同じですよね。
撮影されるような仕事や立場出ない限り、自分よりも明らかに周りの方が自分の顔を見ています。
だから顔がどうなっているのか?は周りのほうが知っているのと同じように外に表現されている要素は周りのほうが見えている(感じている)。

経験により要素は発動したり引っ込んだりする

じゃぁどこにも出ない要素ってどんなのだろう?
これは多分経験によるのではないか?と思います。

こういう経験をしたら発動する要素。
例えば海外に行くとか、ジャングルに取り残されるとか、人前で歌うことになるとか、執筆することになるとか…
そのやったことのない経験をするたびに少しずつその自分がもともと持ち合わせた要素が出てくるのではないか?
だからその経験をしないと出てこない要素もあるという事。

逆に経験をするごとに消えていく要素もあると思います。
それが例えば自信。

人って生まれた時は恐れ知らずなのでこれをしたら落ちるとか思わずに高いところに登ったり、自分が作ったものが素晴らしい誇らしいと自信を持って『見て見て〜すごいでしょう?』って無邪気に見せてくれますよね。

でも大人になるにつれて誰かと比べたら相手の方が上手だったから自信を失ったとか、高いところに登って落ちて怖くなってもう登れなくなったとか…

そして大人になったころに自分になくなった自信を取り戻すためにまた自己啓発に励んだりしながらその要素を少しずつ取り戻して行きますよね。
この要素と呼んでいるものって何かというと個性ということになるのではないか?と思うのです。
この要素が個性を構築していると言った方がしっくり来るかもしれません。

個性のベースになっているのは愛?

そしてこの要素ってもしかしたら全てベースにあるのは愛なのではないか?と思うようになりました…というかそういう意識が降りてきましたって言うと怪しいけど、突然そう思いました。

自分に対する自己愛があるから見てみて〜って自分ってすごいでしょう!って人に見て認めて欲しいし。
『見てみて〜、これ見てワクワクするならあげる!』って嬉しそうな人にあげたくなるのも人に対する愛情ですよね。

褒めたり慰めたり安心させてあげたいとかこんなにすごいもの見つけちゃった…とか共有や共感をしたいのは愛があるから…

時々偏った愛や間違った使い方の愛とかもありますけど…
あと憎いとか嫌いって思うのも愛の逆だから愛がベースにありますよね。

だから自分から出ている表現ってある意味すべて自分の中の愛がベースにあるんじゃないか?と思いました。
逆に言うと愛がない個性ってないんじゃないかな?と思いました

春分の日の次の日もまだ眠くてぼーっとしたような感覚のまま書いた文章になので何だかなぁ?という感じになりましたw

この記事に関する愛についての気づきを午前中に音声でもお話しています。
お聞きいただけたら嬉しいです。


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