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【手放して得る】あなたは、借りたものをどう扱いますか?

皆さん、おはこんばんちは。

いつもの様に、パタヤの端っこからお送りします。

いつもと言っても、新年のご挨拶から、約2ヶ月が過ぎ去ろうとしていますが…笑

娘の学校が再開し、やっと自分時間が持てるようになり、久々の更新です。

カンバック第1弾は、

ひとつのこだわりを手放した話です。

私の住むタイは、皆さんもご存知のように観光産業が大きな収入源の一つです。

しかし、それも今は昔。

長いロックダウンの果てには、まだまだ閑古鳥の鳴く観光地。

たくさんの労働者は職を追われ、明らかに、街の人口が減ってしまいました。

そこから連鎖して、インフレになり、街の経済は立ち行かなくなってきています。

海外からの旅行者を呼び戻すためには、ワクチン接種率をあげること。

それが、国の政策のようで…

職種によっては、既に4回接種を完了している人もいます。

ビックリしますよね。

そして先日、3歳から12歳未満の子供たちも摂取の対象になりました。

学校からの通知

私の娘は11歳。自閉症で、中度の知的障害のため、養護学校で2年生の学習をしています。
しかし、2年生に進級してからの授業は、ずっとオンラインでした。

2月に入り、学校より通学再開に向けて、次のような通知がありました。

家族全員のワクチン接種の状況調査。未接種の者は学校敷地内の出入りを禁止するため、家庭内のワクチン接種状況を至急グループラインで提出してください。

そんな、強制的な、、、最初は、そう思いました。日本では、考えられない事です。

でも、ここはタイ。

タイでは当たり前のように、児童の通学の為に、親が送り迎えをしなければなりません。

だから、親も対象なのです。

学校の方針は国の方針に従ってのこと。現段階で、それが一番安全で、皆にとって良いと判断されたのです。

私も娘も未接種でした。

旦那さんは、昨年のうちに2回摂取を完了していました。

こちらも強制的な措置だったのですが、働いていた市場が、クラスター防止のためには全員摂取が必要との判断でした。

彼は、無駄な抵抗をせず、すぐに状況を受け容れたのです。

彼は、市場で働く人達と共に病院へ行き、集団接種をしました。

皆、働けなくなるのは死活問題ですからね。

『長いものに巻かれたくない』という、私のこだわり

旦那さんから、『摂取の為の予約に行こう』と、何度か勧められていたのですが、私は渋っていました。

注射が怖いわけではなかったのですが、、

ただ、強制されるのが嫌だったのです。誰かが敷いたレールの上を歩きたくない。そんな気持ち。

何故かわからないけれど、大きな力に押しつぶされないように、必死で抵抗していたのです。

このこだわりは、昔から私の中に宿っていて、何かにつけ私を意固地にさせるのです。

そして、当時は、ほぼ引き籠もりのような生活。

だから、自分が出掛けなければいい、本当に必要に迫られたら、その時考えようと、、
今思えば、無駄な抵抗をしていたのです。

私を更に頑固にさせた出来事

そんなある日…

旦那さんが、良かれと思い調べてくれた地域の保健センターの情報が、逆効果となり、更に私を憤慨させました。

保健センターでは、2回摂取ではなく、いつの間にか2社混合の3回摂取が義務付けられていたのです。

『輸入をやめる』と国が発表した会社のワクチンが、プラス1回分、必須接種に採用されていたのでした。

『嫌だ!何で3回も!!絶対受けたくない!!!』

私は、頑なに抵抗を続けました。

在庫処分のような、強制的な3回接種を受け入れられず、また、接種を見送ることにしたのです。

昨年の11月頃の出来事でした。

だから、今回、学校からの通知を受け取った時『とうとう、その時がやって来たのだ』と心の声が聞こえました。

学校には保護者からの相談があったのでしょう。追加でビデオメッセージが届きました。

児童のワクチン接種を見送る場合や、まだ通学させる事が不安な場合、引き続きオンライン授業を受ける事も可能です。ご家庭でよく検討の上、通学か否かをグループラインで連絡してください。

私達は、子供のためにどうするのが最良か、家族で考えることにしました。

娘は学校が大好き。

先生も大好き。

書くことが出来るようになる喜び。

友達の名前を覚える、呼びかけることの楽しさ。

しかし、1年以上つづいているオンライン授業では、だんだん集中して席につくのが難しくなり、勉強にも身が入らなくなってきていました。

制服を着て、教室に行かないと、集中するのがなかなか難しく、すぐに歩き回ったりしてしまうのです。

そして、私達の出した結論は、、、

学校に行かせてあげたい。

だから、娘にワクチンを摂取させる。

どの道、12歳になれば接種しないといけない。少し前倒しになっただけ。

だから、私も娘と共に摂取する。

長いものに巻かれたくない、そんな自分を満足させるだけのこだわりを捨てて生きる時が来たのです。

娘はこれからの人生、そういう時代に生きていくんだ。

だから、そんなこだわりは手放そう。

集団接種

学校に通学希望の連絡をした翌日。
同じような回答があったからなのか、学校から、集団摂取の希望者が募られました。

日程は2日後。
摂取場所は病院ではなく、郊外のお寺。大きなお寺に簡易の摂取場が設営されているとの事でした。

学校で問診票の準備をするので8時前に学校集合とのこと。

このスピード感がタイらしい。

決めるまではモゾモゾしていても、決まったらすぐ行動なのだ。

そして、当日――――

娘は摂取できることが、概ね決まっていましたが、私は当日受付で当日摂取は難しいかもしれないと言う状況の中、一緒にお寺に移動しました。

そのお寺は、私達も何度か参拝したことがあったお寺でした。

最後に来たのは、数年前。

お寺から海に続く桟橋があり、桟橋の先に、天国への入り口のような美しい大きな門が建設中だったので、覚えていました。

人の集まる場所には、必ず屋台があるタイ。境内にはたくさんの飲食店が軒を連ねていました。

お寺は、地域の皆のために使われるんだな〜

ふと、そんなことを思いながら受付を探すと、屋外テントの下で、3台ほどのPCを並べ、スタッフが受付入力をしていました。

しばらく並んで私達の順番が来ると、娘はタイのID カード、私はパスポートを渡して個人情報を入力してもらうのを待ちました。

受付の人の話では、1日1000本分の受付をするのだが、毎日2000人はやってくるから、新規の希望者の半分以上の人は返されてしまう、とのことでした。

受付が終了すると、私は、新規希望者な250番目くらいで、当日摂取が可能となり、

『子供と同じ会社のワクチンで2回摂取のみ。』
そう告げられたのです。

子供が接種するワクチンは、日本の摂取で主流とされている会社のものと指定されていました。

旦那さんが、『ラッキーだったね』と、そう私に言って笑っていました。

子供、1回目(新規)、2回目に色分けされた問診票が配布され、旦那さんと娘とは別行動になってしまいました。

それから、私は黄色の問診票に記入して、色別に指定された屋外の椅子の列に座り順番を待つこと約1時間。

問診票に記入漏れがないか確認され、2、3人ずつ会場へ通されて、

通会場の中でも、椅子の列があり次の受付確認を更に待つこと数十分。

その間、みんな静かに、少しずつ前に進んでいく。

何だか、処刑場に向かうような気がして来て、集団に飲み込まれるように
感じていました。。

この碁に及んでも、そんなことを考えていたのです…。

そんな時、会場の外から子供の叫び声が聞こえてきました。
泣きながら何かを訴えているようでした。

娘の学校の生徒だ。

7、8歳くらいの男の子が、母親と祖母、係員に囲まれていました。

障害があるため、人混みが怖くて中に入るとパニックになるため、特別に外で摂取する事になったらしく、、、

防護服を着た係員を見て、更に恐怖が襲ったきのかもしれない。

何かタイ語で叫んでいたけど、私には何を言っているのか、全くわからなかったのです。

ところが、それを聞いた周囲の人達が吹き出して笑い始めました。そして、みんなが、外のその子を見ていました。

子供の抵抗の言葉が可愛かったのだろうか、、、、

その出来事は、明らかに周囲のムードを変えて、一気に和やかな雰囲気にさせました。

注射はあっという間に終って、お菓子を貰って泣き止むその子が、窓から見てとれました。。

次に現れた担当者の2人が、私の受付データをダブルチェックし、2回目摂取の予定表が印刷して渡してくれました。

さあ、準備完了です。

受付の工程が終わったその先に、摂取の為の席とテーブルがありました。

次だ。

私は用意された椅子に座り、前の人に習い左の袖を肩までまくりあげました。

そして、右を向き、瞬時に目をつぶってしまいました。

その時、確かに聞こえたのです

『大したことないよ〜』って。

ハッキリ聞こえたんです。

決して、空耳じゃない!

誰だろう?

私の守護霊さんだろうか、、、?

そんなことを考えていたら、注射は終わっていました、、、

そのまま出口に向かい、旦那さんと娘を見つけて、その傍らの椅子に座り、しばしの休憩。

娘は、ほんとうに、大したことなさそうに、のんびりと座っていました。

娘は元気だった。

私も元気だった。

借り物の体、預かりものの娘

『体は、この世を生きるための魂の入れ物、言わば、今生の姿は借り物である。』と聞いたことがあります。

私は、この借り物を大事に取り扱うあまり、ジタバタ抵抗し遠回りしていたようです。

魂は、色んな事を体を使って体験したくて、体を借りて生まれてくるのだそうです。

世の中の価値観で善悪で区別されている事も、言わば、地球のルール上の善悪。

生命の大きな枠組みの中では、大した意味もないことで…

だから、今生の全ての体験は、魂の成長につながることであり、魂が望んでいる体験であったりするのだそうです。

そして、借り物の体は、いつか返す時がくるのです。

それが寿命。

不本意なタイミングでも、それはやってくるし、自分では決められないのです。

だから、大事なのは、入れ物ではなく、その中身。言わば魂。

今回のことで、借り物を粗末に扱ったとは思わない。

だって、こだわりを捨て、今ある事実を受け容れた先に見えるものを経験しなければ、真実はわからない。

私にとっての真実。それは私が選んだ先にある。

そして、借り物の体を返したあとも、魂の旅はつづくのだ。

子供だって、この世界で、自分の身を自分で立てれるようになれば、いつか私のもとを離れ、社会に出ていく。そして、彼女の魂が望む体験をしていくのだ。

それまでの天からの預かりもの。

社会に出た時、彼女が困らないように導くのが私の役目。

だから、私のこだわりなんて、ポイっと捨ててしまえばいいのだ。

『大したことないよ〜。』

ほんまや〜笑

こだわりを手放したら、怒りのスイッチもひとつ消えて、楽になりました。

皆さんは、借り物の体をどう扱いますか?
それでは、また。

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