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不定期特集 くるり岸田繁「電車の花道」第一回:阪急2300系

それは2月某日のこと。阪急電鉄京都線で長年活躍した2300系電車が、きたる2015年3月22日に営業運転から引退するということで、その前に乗りおさめをしておきたい――という岸田さんが、noteでの新たな企画をひらめきました。

題して「くるり岸田繁『電車の花道』」!

子供の頃から親しんだ阪急電車。"チアノーゼ(2ndAl「図鑑」収録)"の歌詞には「東向日駅の梅田方面ゆきホーム」というフレーズを織り込むなど、阪急にひとかたならぬ深い想いを持つ岸田さん。しかも1960年から阪急京都線で活躍し、様々な歴史とともに半世紀以上にわたって京阪間を走り続けた名車、2300系の引退が間近に迫っている……というわけで当然、この不定期特集の第一回は「阪急2300系」をお送りします。

そして大阪、午前8時20分集合。岸田さんが時間よりも早く現れた!阪急梅田駅に向かう道すがら、さっそくパチリ。

そして本日、いい感じで2300系に乗れるようまずは阪急梅田駅近くのお社にお参り。

「京都に住んでいた僕は、阪急がきっかけで電車が好きになったんだと思います。千里に母方の祖母が住んでいたので、烏丸から梅田まで、阪急京都線をよく使っていました。よく乗っていた車両は当時花形の6300系特急車(現在は本線運用から撤退し、嵐山線で余生を送っています)でしたが、子供の頃はレアなもののほうがカッコいい、っていう感情が芽生えるでしょ?だからなのか、車窓から見える古い車両が物珍しくて、そっちに乗りたくて仕方がなかったんです。当時は途中の桂に特急が止まりませんでしたが、通過中の車窓から、出発を待っている嵐山線の710系や1600系といった旧型車、そして本線系統の各停専用だった2300系や3300系を眺めていました。家で電車の本を見ながら、『これに乗りたい乗りたい、いつも窓から見えるけど乗ったことがない』などと言って、父親が休みの日に、乗りに連れていってもらったりしてました」

「あの頃2300系に乗っていると、停車中や信号待ちの時なんかにブレーキやドアの開け閉めに使う空気を作るコンプレッサー(空気圧縮機)の稼働音がするんです。今は新しい物に換装されてしまいましたが、もともと2300系はD-3-NHAという旧式の歯車式圧縮機を積んでいました。稼働音が独特で『プシュ…ホニョニョニョニョニョニョ…』という不思議な音でした。僕はその音が大好きだったので、録音したサウンドをレコーディングの際、コラージュしたり加工したりして使っています(2ndAl「図鑑」収録"ABULA"、11thAl「THE PIER」収録"浜辺にて")」

そして2300系、梅田駅3号線に入線します。引退記念ヘッドマークを取り付けた2313Fがやってきました!

「阪急の車両って、エレガントでしょ? 木目調の車内が、阪急のポイントだと思うんですよね。あと、高級感が漂うシートは緑色のモケットだったりとか…。こういう車両へのこだわりは阪急独自の世界観ですね。他にはないです」

「2300系は、阪急の車両デザインの礎になった車両なんですよね。最新の1000系や1300系などに至るまでの55年間、細かな部分とかは時代の流れに沿いながら、車両増備ごとにマイナーチェンジしていっているんですけど、2300系のシリーズ以前に作られた車両は、その後のものと全然デザインが違うんです。現在の阪急のオリジナリティを確立した車両ですね」

「(阪急電鉄は)車両を大切にする会社だっていうことは、けっこう知られてますね。最近の鉄道車両はステンレスやアルミ製で、無塗装のメタリックな車両が増えてきていますが、阪急はしっかり車両を塗装するという伝統を守っています。このアズキ色、マルーン・カラーと呼ばれる一見地味な色なんですが、落ち着いた色なので京都や阪神間の街並みや景色にも馴染みがいいんです」

「阪急の車両はできるだけ金属同士の接合部を見せない丁寧な仕上げで、ビスの頭を隠す技術などが車内でもふんだんに使われています。まるで高級ホテルみたいです。それは2300系など古い車両からの伝統ですね。鉄道車両というのは言ってしまえばただの金属の塊ですが、車両にこだわっている鉄道会社ならではの哲学を感じます。阪急ファンは、そういうところも好きなんじゃないですかね」

(上の写真は最新型の1000系。梅田駅ホームにて撮影)

「2300系は、1960年から作られた形式です。阪急は京都線、神戸線、宝塚線3つの本線系統が走っていますが、神戸・宝塚線の車両と京都線の車両では、見た目は同じように見えても寸法が少し違うとか、使っている電機品のメーカーが違うとか、規格が少しずつ違います。そのために、同時期に異なる複数の型式が、京都線用と神戸・宝塚線(以下神宝線)用に分けて作られます。現在では、車両形式番号の百の位が0〜2のものが神宝線用、3の位のものが京都線用となっています」

「2300系は戦後の復興が落ち着いた1960年から1963年くらいまでの間に作られた2000系、2021系、2100系というシリーズの京都線版で、2300という形式なんです。ちなみにこの世代の車両のなかで、最後まで阪急で活躍していたのが京都線用の2300系でした」

「2300系のエンジニアリング、つまりメカニックな部分の話をすると、トランジスタを使用した制御器で速度制御をおこない、ブレーキは回生制動と言って、自動車のプリウスなんかと同じように、ブレーキをかけながら電気を発生させ、架線に戻します。つまり省エネ電車のはしりでもあるんですよね。電車はもともと、運転台にあるマスターコントローラーを使って、モーターに流れる電流の量をコントロールしながら走るんです。車のアクセルみたいなものですね。最近の電車は、インバータを使って速度を制御するので昔のものとシステムが随分違います。昔の電車の制御システムは、例えるならステレオのヴォリュームなんかと同じ。つまり可変抵抗器を使用しています。可変抵抗器を、小さいカムがついた棒を回してガチガチと切り替えることで速度をコントロールしていました」

「2300系は前述したアナログな抵抗制御のシステムながら、トランジスタとサーボモーターを使用した複雑な界磁制御を行い、定速運転機能と回生ブレーキを常用していました。のちに制御部分は界磁チョッパという7300系などと同じものに換装されましたが、150kw出力の大容量複巻電動機、つまり主電動機は当時のままです」

「定速運転機能とは、速度を指定し、上り坂であろうが、お客さんがたくさん乗って重かろうが、指定された速度で走り続けるという機能でした。「人工頭脳電車」の触れ込みでデビューした2300系や2000系などは、当時オートカーと言う愛称で呼ばれ、優れた鉄道車両に贈られる『ローレル賞』という栄誉ある賞を、同時期に製造された神宝線用2000系と共に1961年に初受賞しました。ちなみに当時の関西私鉄では、カタカナの何とかカーという愛称を付けるのが流行していました。京阪はスーパーカー、阪神はジェットカー、近鉄はラビットカー、南海はズームカーといった風に、それぞれの性能や特徴をうまくとらえた愛称が付けられていました。各社の車両とも、当時の先端技術を積極的に導入していました」

(阪急電鉄提供:1961年6月ローレル賞受賞 無断転載を禁ず)

「阪急京都線ってね、元々は阪急じゃなかったんですよ。淀川を挟んで対岸を走る京阪電車のバイパスとして開通しました。『新京阪』っていう名前だったんです。それが戦後に、当時の阪神急行電鉄という別会社だった現在の阪急神戸線・宝塚線などと合併しました」

「後年京都線が、京都口のターミナルを街の中心部、河原町まで延伸開業させたのが、1963年(昭和38年)のことでした。それ以前は大宮が終点でした。その開通を走った形式で現存するのは2300系だけになってしまいました」

「阪急千里線という京都線系統の支線があるんですが、淡路から天神橋筋六丁目を経由して、現在は大阪の地下鉄堺筋線に乗り入れています。堺筋線が開通する以前、阪急京都線の大阪側のターミナルは梅田ではなく天神橋でした。1969年(昭和44年)に堺筋線が開通し、京都線、千里線と相互直通運転を始めますかが、それ以前、まだ天神橋がターミナルだった頃から2300系は走っていたんです」

「京都と大阪の府境あたり、話題の山崎のウイスキー醸造所がある天王山のあたりに、上牧駅、水無瀬駅、大山崎駅があり、この区間では東海道新幹線と並走します。山に挟まれた地形で、阪急と東海道新幹線、東海道線、京阪、名神高速道路などの大動脈が数キロ圏内で集中する交通の要所でもあります」

「2300系デビュー間もなき1963年頃、東海道新幹線の工事が完成しました。本格的な試運転の前に、線路の地ならしを兼ねて、一時期線路を付け替えた上で、阪急の電車が新幹線の線路を試験的に走っていました。その区間を走ったことがある車両は、現存する形式では2300系になりました。そういう意味でも2300系は、激動の時代を生き抜いてきた、歴史の生き証人なんです」

2300系を前に、岸田さんは熱く語ります。

(上の写真はレプリカのシールですが、2313Fの側面には引退を記念して、旧社章が取り付けられました)

せっかくなので2300系の取材に加え、「阪急と言えば阪急そば」と岸田さんが断言する阪急そばにもおじゃましました。

「僕が子供の頃、夏休みに『阪急電車スタンプラリー』というイベントがあって、何度か参加しました。一日乗車券と、阪急のいろんな駅でスタンプを押すブックレットがセットになっていて、一日中阪急電車に乗りまくりながらスタンプを集めました。おなかがすいたら1000円札を握りしめて、長岡天神とか西宮北口の阪急そばで、一人で月見そばを食べていました」

「僕はきまって、月見そばを注文します。関西人やから、こういう関西風のお出しのそばが大好きなんですよ。ただの月見そばなんやけど、阪急そばで月見そばをたべると嬉しい(笑)」

「阪急は、十三駅のホームにマクドナルドを出店させたりとか、そういうのも早かったですね。衝撃やったのを覚えています」

「駅そばのいいところって、通過する車両を見ることもできるし、こうやって梅田駅だと、折り返し停車中の電車を気にしながらソバを食える(笑)。やっぱり、ホームが食べるのがいいんです」

「2300系って、さっきも話していましたが、『オートカー』と呼ばれていました。受賞時のポスターにも『人工頭脳電車』って書いてありますしね。当時の人工知能と今の人工知能とでは雲泥の差がありますが、なんというか、今見るとレトロ・フューチャー感がありますね。しかし、長年の活躍のなかで、前述の制御器換装や、冷房機の取り付け、行先表示幕の取り付けや、車内外の傷んだ部分を取り替える工事などが行なわれながら、2015年まで活躍したわけです。引き際まで美しさを保つ阪急の車両ですが、行き届いたメンテナンスあってのものですね」

「2300系の頃はとてもポジティヴな考え方で車両が作られていますよね。高度成長期の黎明期ならではの現象なんでしょうか。新幹線や有料特急なんかとは違う一般車なので、豪華絢爛というわけではありませんが、古い時代からの脱却を想起させる斬新な車両だったことが想像できます。55年間活躍した現在も古さを感じさせません」

「2300系デビュー当時の資料とかを見ていると、例えがアレですが、ロックがロックだった時代に少し似ているような気がします。今を否定する気はありませんが、前しか見ていない時代はとても素晴らしいなと羨ましく思ったりします」

(阪急電鉄提供:1960年11月撮影 無断転載を禁ず)

――第一回「くるり岸田繁の『電車の花道』」、いかがだったでしょうか。

長年丁寧に手入れされた車両の美しさ、メカニックな部分での挑戦、そして様々な歴史など、2300系にまつわるストーリーはそのまま、この車両に関わってきた人々の想いが凝縮されているかのようです。

55年を駆け抜けた2300系が引退するのは、2015年3月22日。ありがとう2300系。

取材協力:阪急電鉄株式会社  
*写真の無断転載を禁じます

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