「くるりの一回転」

 時代は90年代半ば。それは日本のポップ音楽にとってとても芳醇な時代でした。「CDショップ」と呼ばれる業態が全国的に一般化し、それまでアナログ・レコードでは手に入らなかった膨大な過去の名盤カタログがCDという形で一斉に復刻され、誰にでも気軽に手に入るようになった時代でした。しかも、以前なら考えられなかったような巨大な敷地面積の売り場の中で、古今東西の名盤がずらりと並べられることになったのです。今からは想像もつかないことですが、それはそれは壮観な眺めだったのです。

 映画『サムサッカー』の監督でもあり、ビースティ・ボーイズのレーベル〈グランド・ロイヤル〉のカタログのアートワークをいくつも手掛けたグラフィック・デザイナーでもあるマイク・ミルズは、90年代の半ばに僕にこんな風に語ってくれたことがあります。タワー・レコードは僕らの世代のMOMA(ニューヨーク近代美術館)なんだ。そう、まさにその通りだったんです。あるいは、今ではサンフランシスコ拠点のアメーバ・レコードのような存在に取って代わられてしまったものの、当時、渋谷宇田川町は世界中からありとあらゆる時代、ありとあらゆるジャンルの中古レコードが集まる場所として、世界中のヘッズが大挙して、やまほどレコードを抱えていったものでした。いずれにせよ、90年代半ばというのは、所謂音楽ファンならずとも、誰もが血眼になって自分にとって新しい音楽を発見する喜びに夢中になっていた。そんな幸福な時代でした。

 京都出身のくるりという三人組もそんな幸福な文化的背景から生まれてきたバンドだと言えます。98年の世代。かつての彼らはそんな風に呼ばれたこともありました。日本初のオルタナティヴ・バンドとも言えるスピッツをひとつの始祖とするなら、その後の中村一義の発見をひとつの契機として、98年の世代という感性は少しずつ顕在化していくことになります。ざっと挙げるだけでも、宇多田ヒカル椎名林檎aikoドラゴン・アッシュくるりナンバーガールスーパーカーといった一連のアーティスト達がその活動にドライヴをかけていったのが98年のこと。ミッシェル・ガン・エレファントが明らかに覚醒したのもこの時期です。ここにワイノ、プリスクールといったバンドを加えてもいい。そして、その最後尾に七尾旅人を付け加えれば、何となく世代観らしきものが見えてきます。当時いまだ10代だった七尾旅人の1stアルバムにジョン・コルトレーンマーヴィン・ゲイからの引用を発見した時の興奮は今でも忘れられません。凄い時代になった。これからさらに日本のポップ音楽は凄いことになる。彼らの存在はそんな期待と予感を誘発させるに十分なものがありました。勿論、その少し前の世代、フィッシュマンズサニーデイ・サービスブラッド・サースティー・ブッチャーズ、そして勿論、何よりもハイ・スタンダードを筆頭に〈エア・ジャム〉周辺バンドの存在もありました。いずれにせよ、90年代半ばすぎというのは、それまでになく日本独自のポップ音楽が次々と生まれ、それがとても大きな規模で華開いた時期だったのです。

 彼らの共通点と言えば、積極的に過去の音楽を参照しようとするアティチュード。乱暴に言えば、そういうことになります。それ以前のフリッパーズ・ギター周辺バンドが語られる際に、英米のロック音楽と共振する現在進行形云々という言葉が枕詞になっていたことを思えば、ここにはちょっとした断絶があると言えます。あるいは、それ以前の渋谷系アーティスト達による音楽的な参照点が、70年代ソウルやA&Mポップ、どこか時代に見過ごされてきた作品をディグしようとするレア・グルーヴ的な価値観に基づいたものだったとすれば、彼らはもっと強欲でした。悪食だと言ってもいい。その作品が時代に埋もれたものであろうが、誰もが知っている有名な作品であろうが関係なかった。時代やサウンドがどんなものだろうと関係なかった。ただ自分にとって新しい出会いをもたらす音楽でありさえすればよかった。

 つまり、この世代が参照したのは、中古レコード屋さんのエサ箱というよりは、タワー・レコードやHMVといった大型量販店の巨大な敷地に所狭しと並べられた膨大なバックカタログだったということです。そして、その参照点はそれぞれのアーティストによって見事にバラバラでした。かろうじて当時はまだ意味のある言葉として流通していた「オルナタティヴ」という現在進行形の英米のムーヴメントとどこか共振していたことを除けば、取り立てて共通点は存在しませんでした。ポストモダン的と言い換えてもいいかもしれません。それは同時に、洋楽/邦楽といったこの島国特有の不思議な壁がなくなったかに見えた時代でもありました。遂に日本以外のどこの世界にも存在しない洋楽、邦楽といった意味不明な言葉を使わなくてもすむ時代が来た! 余計な壁がなくなった! 世界平和にまた一歩近づいた! そんな風に大喜びする、あまりに楽観的な頭の悪い馬鹿共さえいました。僕のことですが。

 いずれにせよ、国境を越えて、モノやヒトが移動していくことは喜び以外の何ものでもない。と多くの人々がまだ無邪気に感じていた時代の話です。シアトル暴動が1999年。つまり、いまだグローバリゼーションが及ぼすさまざまな弊害が特に意識されていなかった時代の話。特に日本では。1989年にベルリンの壁が崩壊して以来の約10年間。少なくとも日本のポップ音楽にとっては、決して長くはなかった、とても幸福な時代だったと言えるかもしれません。

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 では、それから20年の間にどんな変化が起こったか。端的に言えば、その後の映画や小説といった他のポップ文化と同じく、すべては内向きになっていき、過去を顧みることが少なくなっていきました。参照点となるのは、「ここ数年の間にこの島国の中で起こったこと」。そんな風になっていきました。特にメインストリームのJ-ROCKという世界ではその傾向は顕著でした。ゼロ年代当初、そうした潮流をして、鎖国ロックと揶揄した者もいるにはいました。件の頭の悪い馬鹿のことですが。ただ大方の見方はそれとはむしろ逆でした。日本のロックは遂に洋楽コンプレックスから解き放たれた! なんてことまで言い出す洋楽コンプレックスの塊のような人たちさえいました。その後、ゼロ年代の終わりにそこかしこで日本のポップ音楽のガラパゴス化という言葉が呟かれるようになった頃には、98年世代と比べれば、積極的に過去の音楽や海外の音楽を参照するアクトは極端に減っていきました。

 すべての辺境に足が踏み入れられた後に始まるのは分割だ。という言葉があります。例えば、政治の世界。世界的な植民地時代やアメリカの西部開拓時代が終わった後に訪れたのは、まさに分割でした。同時に生まれたのは、不条理なまでの格差でした。ゼロ年代の日本のポップ・シーンにもとてもよく似たことが起こりました。かつてはMOMAだったはずの大型CD量販店は、Amazonのような業態が力を増し、YouTubeの存在が一般化するにつれ、かつては膨大な在庫を誇ったバックカタログを店頭のはじっこに追いやるようになりました。彼らのビジネスの軸はレコードの発売から一週間でどれだけ新譜をさばけるかという部分に、以前よりもさらに移行することになります。それでも希少盤の発掘と復刻は細々と続けられましたが、むしろごく限られた超有名レコードばかりが何度も繰り返し仕様を変え、再リリースされることの方が目立つようになりました。いずれにせよ、どちらもマニア向けの手堅いニッチ・ビジネスという位置付けになっていきました。もはやかつての誰もが気軽に足を踏み入れることの出来るMOMAはありませんでした。

 こうした環境の変化はそのまま新たな世代が生み出す音楽に影響を及ぼすことになります。大方の新しい世代のバンドたちはより苦労せずとも手が届く手近な場所ーー量販店の新譜コーナー、TSUTAYAやブックオフの店頭で手に入る、ごく限られた作品を参照するようになりました。参照点となるのは、「ここ数年の間にこの島国の中で起こったこと」。すべての辺境に足が踏み入れられた後に分割が始まりました。誰もがよく似たものを作って、互いにその小さなパイを食いあって、その当然の結果として、経済的な力がある者が一人勝ちし、もはや是正することが不可能な格差が広がっていく。こんな無益な競争に誰もが興じるようになりました。

 とても乱暴に言えば、ゼロ年代半ばから10年代にかけて起こったのはこういうことでもありました。だからこそ、K-POPのように欧米マーケットを意識した音楽を作って、ガンガン海外進出しなければならない。なんて話をするつもりは毛頭ありません。こういう話です。もはや一人の人間がすべての映画を見ることは無理。すべての音楽を聞くことは無理。すべての本の存在すら認知出来ない。つまり、今も辺境は無限大なのです。決してすべての辺境に足が踏み入れられたわけではない。にもかかわらず、何故、外側を見ようとしないのか。過去に目をつぶるのか。いや、むしろその内側と外側、今と過去を分け隔てる必要が果たしてあるのか。文化というのは、そもそも異なるものの衝突から生まれるものではなかったか。そういう話です。つい2年ほど前までは、そんな風に憤りを感じる人もいたはずです。勿論、僕がそうなわけですが。

 ところが、時代は振り子です。気がつけば、現在の日本のインディ音楽シーンは凄まじい活況を呈している。最高に面白い。その質と量は、当時の98年の世代をも軽く凌駕する勢いだと言っていい。具体的に言うなら、cero以降のインディ・バンドたちであり、tofubeats以降のトラック・メイカーたちのことです。僕の古い友人のニコラ・テスラという男は、森は生きているの1stアルバムを聴いた時にこんな風に記しています。ここ10数年の間のくるりの孤軍奮闘っぷりもようやく報われるに違いない。実際に質としては確実にそうなってきている。だが、彼らの存在はかつての98年世代のようにはいまだ全国区には至っていない。それは何故か。乱暴に言うなら、かつてのCD量販店がそうであったように、過去や異文化の偉業をずらりと取りそろえたポップ音楽にとってのMOMA的な場所ーーアーティストとリスナーが何かしらポップ音楽の現在を見通すための共通の基盤が失われてしまったことにあります。

 件の新世代アーティストたちはここ数年でまた再び存在感を増してきた個人経営の中古レコード店、あるいは、soundcloudやバンドキャンプといったネット上の新しいプラットフォームにその創作的な刺激の多くを負っていると言えます。そこに新旧のとんでもない音楽的な鉱脈が眠っていることを知って、日夜そこでのディグを続けている。彼らはそうした場所にまだ見ぬ辺境の地を発見した新たな世代なのです。ただ大方のリスナーの誰もがかつてのCD量販店に足を運ぶような気軽さで、彼らと同じようにそこから新たな刺激を受け取っているわけではない。勿論、彼らアーティストと並走している音楽ファンも少なくないはず。ただ単純に数の問題として、それが顕在化していないのは明らかです。もしかすると、web上の音楽メディアの多くが情報のバイラル化を促進することに主にビジネスの軸を置くことで、音楽を紹介するテクストにおける情報性と分析、説得力という部分を少しばかり置き去りにしてしまったことにも何かしら原因があるのかもしれません。いずれにせよ、リスナーひとりひとりの積極性が必要とされる状況にあるのは間違いない。例えば、見るべき映画が見れない、読むべき本が読めないという困った事態に比べれば、音楽は遥かに恵まれている。凄まじく恵まれている。聴こうと思いさえすれば、以前よりも遥かに気軽にどんなものでも聴けるようになった。にもかかわらず、誰もが同じようなものばかり聴いている。ネットというアーキテクチュアによってバイラル化されたものばかり聴いているーー半ば自分自身で選んでいると思い込みながら。それゆえ、こう言い換えるべきかもしれません。聴きたいものしか聴かなくなっている。

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 話をくるりに戻しましょう。日本のポップ音楽シーンが件の分割期というべき時代に突入してからの、くるりの孤軍奮闘ぶりには少しばかり痛々しいものがありました。同胞とも言える98年世代の多くが消えていったり、くるりのようなメインストリームとアンダーグラウンドのちょうど中間にはいなくなってしまった。実際、自らの音楽における先鋭性と大衆性のバランスをどこに置くべきか。一体何を作るべきか。それに迷いが生じた時期もあったかもしれません。もしかすると、『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』から2枚目のベスト・アルバムの時期がそれに当たるかもしれない。

 だが、2012年の『坩堝の電圧』辺りから、明らかにそうした迷いは少しづつ氷解していきます。もしかすると、新世代アーティストたちにどこかケツを蹴り上げられた部分もあったのかもしれない。ただ間違いなくひとつ言えるのは、現在のくるりは黎明期からの彼らがそうであったように、とんでもない音楽ディガーとしての側面が強まっている。新旧を問わず、自分にとって新しい音楽を掘りまくっている。そして、そのディグの矛先の幅は以前と比べても遥かに広い。その結果として、今まさに新たな辺境を発見し続けているという興奮と、それを以前とは比べものにならないほど、自らの血肉として取り込むことの出来るスキル、その両方が見事に結実したとんでもないレコードを作ってしまった。それが現在のくるりだと言えます。ものは試しに、2014年夏の終わりにリリースされる彼らのアルバム『THE PIER』を聴いてもらえればいい。大笑いだ。ボブ・ディランじゃあるまいし、キャリア20年近くになりながら、こんな凄まじいレコードを作ってしまった。

 前段がすごく長くなってしまいました。本来、この文章は彼らくるりが96年の2月に自主制作でリリースしたカセットテープ音源を紹介するためのものです。ここまで敢えて当時から今へと連なる時代の変遷について書いてきたのは、あるひとつのレコードというのは、ある特定の時代に記録された音楽というのは、何かしらそれが産み落とされた時代を反映したものだからです。この『くるりの一回転』と名付けられたレコード音源が生まれた時代背景について意識的になることで、何かしら見えてくるものがある。勿論、そういった時代背景のことなど何も知らずにここに記録された音楽に向きあうことも音楽を楽しむ醍醐味のひとつです。少しも間違ってはいない。むしろもっとも正しい態度と言えなくもない。ただこれは18年も前の音源。この文章を読んで、これから『くるりの一回転』を初めて耳にする人の中には、まだ当時は生まれてなかった人さえいるかもしれない。今はまだこの世に生を受けていない人がこれから先、この文章を読んで、この音に向き合う場合だってあるだろう。だからこそ、ここにこうした形で残しておきたかったのです。ここに書かれていることは、とても個人的なアングルに過ぎないかもしれない。そこここかしこに異論がある人も少なくないだろう。ただ、そうした見方もあった。それを知ってもらうことは決して無駄ではない。僭越ながら、そんな風に思っています。

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 では、本題に移りましょう。この『くるりの一回転』は、97年11月にインディからの1stアルバム『もしもし』をリリースする1年以上前。96年2月に完全自主制作として、いまだ二十歳になったばかりの3人がリリースしたカセット音源。18年ぶりに日の目を見ることになった、とても貴重なお蔵だし音源です。収録曲は8曲。当時はおそらくカセットの両面に4曲ずつが収録されていたはずです。カセット・テープ・リリースとかやるな、くるり。ゼロ年代のUSインディっぽいな。と思うなかれ。時はいまだMD時代、今のようにインディ・バンドがCDRを焼いて、それを販売するようなことが想像もつかなかった時代の話です。

 90年代半ばのくるりーー岸田繁、佐藤征史、森信行という三人組は、乱暴に言うならば、恵まれた時代に暮らす恵まれた糞ガキでした。ロックンロールは飽食の世代の暇つぶしだ。かつて甲本ヒロトがそう語った通りの、どんなモノも持っているにも関わらず、常に飢餓感で溢れていて、少しも満たされておらず、無為に他人を傷つけることと、それ以上に自分自身を傷つけることにかけては右に出るものはいない、だが結局のところ、なーんも考えていない。そんな糞ガキでした。

 この『くるりの一回転』には、そんな糞ガキ共の姿が詰まっています。当時の彼らのことを僕はかつて、同時期の七尾旅人などとあわせて、「アパシーその後の世代」と呼んだことがあります。アパシーというのは無関心、無感覚のこと。欧米のメディアがニルヴァーナを筆頭にするグランジ・バンドたちを指す時に使った言葉です。あまりに痛みが激しすぎたせいもあって、すっかり感情の扉を閉ざしてしまった状態を指したりもします。つまり、そうした無感覚の後に、まるでそれまでずっとため込んだ感情の渦が一気に吹き出したような激情が最初期のくるりにはありました。バンド黎明期から2ndアルバム『図鑑』までには確実にあった。

 ただ、こうした特徴は彼らだけでなく、例えば、欧米でも同じような動きがありました。例えば、初期レディオヘッド。彼らは中産階級の子女たちが住まう学生街オックスフォードの出身です。そう、少し京都と似ている街でもあります。90年代前半のオックスフォードという街はライドチャプターハウスといったシューゲイザー・バンドたちをたくさん輩出した街でもありました。当時、彼らのようなオックスフォード出身のシューゲイザー・バンドはテムズ・ヴァレーと呼ばれていました。そもそもシューゲイザーというのはサウンドのことを指す言葉ではなく、靴のつま先を見つめるように俯き加減で、ぶつぶつ言ってるバンド。そんな意味合いでした。しかも、大半のバンドが「歌うべきことなんかない」などと言ってはばからなかった。抽象的な歌詞を轟音のシューゲイズ・ノイズで塗りつぶすようにして、ぶつぶつと呟くように歌う。それが当時のシューゲイザーの定義でした。レディオヘッドは、彼らの次の世代に当たります。トム・ヨーク曰く、僕らはテムズ・ヴァレーの尻尾に位置するバンドとして出発した。でも、そこから抜け出すために、ぐだぐだと呟くのはやめて、いきなり叫び出したんだ。これは彼らの“ストップ・ウィスパリング・スタート・シャウティング”という、ほぼまんまなタイトルを持つ曲についての説明です。こうした彼らの変化には、明らかにピクシーズスローイング・ミューゼスといったボストン・サウンド~その後のグランジとの出会いが影響しています。

 当時のくるりもこれにすごく似ている。その黎明期においては正直、歌うべきことなど何もなかった。とにかく音を鳴らしたかった。とにかく叫びたかった。おそらくこれに尽きる。年齢的には少し上のシロップ16gのようなバンドがシューゲイズ・ノイズの奥に隠れながらも、しっかりと歌うべきことを持っていたのとは少し位相が違っています。バンプ・オブ・チキン以降のゼロ年代を代表するバンドたちが初めから歌うべきことをありすぎるくらい持っていたことともまったく違っています。ここ日本では、“ストップ・ウィスパリング・スタート・シャウティング”という感性は、その黎明期において、くるりとシロップ16gというそれぞれ孤高のまったく違う二つに枝分かれしたと言えるかもしれません。

 では、くるりにとっての“ストップ・ウィスパリング・スタート・シャウティング”という感性はどのように変化していったのか。それは何よりも言葉よりも音に雄弁に語らせるというアティチュードとして発展していきました。勿論、くるりには、例えば“ハイウェイ”や“ばらの花”のような印象的なパンチ・ラインを持った曲もたくさんある。あるにはある。ただ岸田繁の書く歌詞は全体としては抽象的だし、カート・コバーン同様、ビートニクを通り越して、非常にサイケデリックでさえある。そして、時代が進めば進むほど、音がすべてを語り、歌詞はむしろその音が描き出すパースペクティヴの視点を時には明確にし、時にははぐらかすための句読点のような役割を果たすことが多くなっていきます。特に『ワルツを踊れ』や『THE PIER』といった、何よりも音そのものが雄弁に語っている作品ではそうした傾向はとても強い。この『くるりの一回転』でも、その萌芽を見ることが出来ます。

 ここまでざっと黎明期のくるりというバンドのアティチュードについて記してきました。ここからは個々のトラックについても見ていきましょう。ここから18年。現在のくるりの音楽に至る過程において、何が変わって、何が変わらず、何がどう進化して行ったのか。おそらくそれが手に取るようにわかるはずです。

Introduction
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 『くるりの一回転』はテープの逆回転を使った1分足らずのインストゥルメンタルから始まります。勿論、取り立てて新しいアイデアではない。ただジム・オルークによるプロデュース曲を含む『図鑑』から顕著になり、その後もずっと続いていくことになるレコーディングにおけるプロダクションに対する徹底的な実験とこだわり。それが彼らの中では最初からあったことが端的にわかります。

夜行列車と烏瓜
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 その後、97年11月にリリースされる『もしもし』にも収録されることになる“夜行列車と烏瓜”の最初のテイクがこれです。ウィーザーの“セイ・イット・エイント・ソー”辺りを連想させるイントロのギターのタイム感。こうしたbpm80台のタメのあるギター・リフというのは時代のグルーヴでもありました。90年代半ばの米国グランジ勢にしろ、同時期のブラーレディオヘッドといった英国インディ勢にも必ず何曲かこうしたグルーヴの曲があった。ギター・ソロの音色、最後の3連で短3度ずつ上がっていくフレーズも、この時期のくるりがウィーザー同様、クラシックに出自を持つメタル/グランジ・バンドであったことを物語っています。勿論、クイーンのブライアン・メイを思わせる音色/フレージングでもある。あるいは、森信行が得意とする「タタタタタッ」という細かいフィルーーミドル・テンポのくるり曲における一気に坂道を駆け上がっていくようなスピード感に溢れた細かいフィルは、初期くるりの最大の魅力のひとつでもありましたーーもウィーザーっぽいと言えなくもない。あるいは、コーラス終わりのドラムのフィル。この特徴あるタム回しはビートルズの“カム・トゥゲザー”を思わせます。今のくるりなら絶対にやらないだろう、“ツイスト&シャウト”よろしくドミナントでの、スケールを上がっていくコーラスがとても微笑ましい。あるいは、「さわってみたいな/あの娘の白くておっきなおっぱい/むにゃむにゃむにゃむにゃ」ーー鬱屈した10代特有のリビドーが充満したこの歌詞、そのオノマトペも含め、ローザ・ルクセンブルグ時代のどんとを彷彿させずにはいられません。今、改めて聴くと、90年代半ばのモード、そして、彼らの出自の両方を聞き取ることが出来る好例と言えるでしょう。

 その後のくるりらしさというか、岸田繁らしさが垣間見れるのは、サブドミナントから(ドッペル・ドミナント気味に)ベースが半音ずつ昇ってくるブリッジ部分でしょうか。初期くるりの曲にはとにかくサブドミナントからドッペル・ドミナントを使いながら転調を繰り返す曲が多い。最初の出世作“東京”もまさにそう。“東京”を聴けば、この曲のアルペジオのギター・リフがスマッシング・パンプキンズの“トゥディ”からのヒントに負っているのは明らかです。レディオヘッドの“クリープ”へのちょっと気恥ずかしいオマージュもある。しかし、やはり“東京”を名曲たらしめている最大の理由は執拗なまでに昇り続けるドッペル・ドミナントの使い方にこそある。調性が不安定になり、でも同時にドミナント・モーションに引っ張られていくことで、さらに緊張感が増していって、その後のコーラスに移動する時の爆発にこそあると言えます。と同時に、ヴォーカル部以上にインストゥルメンタル部分のパートが曲の魅力を支えているという、現在のくるりーー特にふぁんふぁん加入以降のくるり最大の特徴のひとつの萌芽がここにあります。

雫が咲いたら
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 この曲からもその後のくるりの特徴をいくつも見いだすことが出来ます。何よりもリズムがワルツ。くるりほど、8分の6拍子や4分の3拍子の曲をレパートリーに持っているバンドも珍しい。正直、この辺りの音楽的な参照点がどこにあるのか、僕にはわかりません。岸田繁のフェイヴァリット・バンドのひとつクイーンにあるのか、それとも、『ワルツを踊れ』以前から彼の幼少時代から親しんだクラシック音楽にあるのかーー歌詞もドイツ語が混じっていますからね。いずれにせよ、黎明期の時点で彼らくるりが所謂ロックだけではない、エクレクティックな出自を持つバンドだったことがうかがえます。演奏面にも着目して下さい。この曲では展開に従って、テンポが変化していき、演奏のニュアンスによって、ダイナミック・レンジにも変化をつけている。まあ、バンド音楽としては当たり前と言えば当たり前の話ですが、現在のポップ音楽の主流であるリズムはすべからくオン・グリッド、音圧はすべてコンプレッサーでとにかく塗りつぶすという潮流に常に楯突いてきた彼らのアティチュードはこの時点でかなり明確だったということがわかる好サンプルと言えるでしょう。


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マイオールドタイマー
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 この2曲については、大方のファンならもうご存知でしょう。“虹”はインディからの『もしもし』と、その後の1stアルバム『さよならストレンジャー』に収録されています。“東京”に続くメジャーからの2ndシングルでもあります。“マイオールドタイマー”は『さよならストレンジャー』に収録されることになる“オールドタイマー”の最初期の音源です。勿論、得意の電車ものでもあります。

 この2曲に関しては、何よりもコード進行に着目すべきでしょう。現在のくるりに比べれば、遥かに稚拙ながら、ここには同世代のバンドとは一線を画する非常に込み入った和声の妙がある。勿論、日本では渋谷系、海外ではアシッド・ジャズのような流れの影響もあるにはあったのでしょう。それにしても果たしてこれが当時はまだほぼ無名だったバンドの書く曲なのか。特に“虹”。しかも、それが所謂ロック・バンドのサウンドに落とし込まれている。現在の2014年では70年代日本のシティ・ポップ全般の世界的な再評価もあって、そのルーツである70年代ソウル/ジャズ・フュージョン/R&Bを思わせる複雑なコード進行を持った曲を書くバンドが増えてきました。当たり前になった。と言ってもいい。でも、98年の世代に限るなら、その黎明期から少しばかり込み入った複雑な和音を使っていたのは、椎名林檎aiko、くるりくらいだと言っていい。勿論、この時期のくるりに比べれば、前者2アーティストの方が遥かに洗練された和音を使っていたとも言えます。ただ椎名林檎の場合、60~70年代の歌謡曲を通じて、40年代のスウィング・ジャズ/ジャズ・ヴォーカルに遡っていっただろうことが想像することが出来る。aikoの場合はキャロル・キングに代表される70年代のA&Mポップ辺りにその和声のルーツを想像することが出来ます。でも、くるりの場合、どういった音楽的な参照点からこのようなヘンテコな和音を持った曲を書くことになったのか。これは正直、謎です。誰かが一度じっくり根掘り葉掘り訊いてみる必要がある。

 ただひとつ言えることがあるとすれば、こういうことです。例えば、andymoriザ・サラバーズ/古舘佑太郎のようにトライアドをギターでジャングリーに掻き鳴らすだけで名曲を作ってしまう人達もいる。でも、くるりというバンドは最初期からそういうバンドではなかった。もっと面倒臭いこと、もっと厄介なことをやらずにはいられないバンドだった。例えば、この“マイオールドタイマー”。ぐしゃぐしゃに歪んだファズ・ギターからどこかメジャー7thの響きが聞き取れたりする。これは渋谷系と98年世代の中間に位置するサニーデイ・サービスが多用した、非ロック的で、ポップス的なメジャー7thの使い方とはまったく違っています。強いて言うなら、当時のソニック・ユースダイナソーJRがファズ・ギターやノイズの中に、テンションを紛れ込ませていたのと感覚的に共振していたのかもしれない。と思えば、この“マイオールドタイマー”の2分半を越えた辺りの最後のコーラスでは、メロディはそのまま、トニックから始まるコード進行に移行することによって、一気に解放感を生み出すという非常にこなれた王道ポップスのテクニックを使ったりしている。おい、誰なんだ、お前は? そんな感じです。

 つまり、この時期のくるりは、いまだいくつもの方向性と可能性がカオティックにとっ散らかっている。言ってしまえば、支離滅裂でもあります。これは一聴すると非常にとっ散らかっているように思えながら、実のところ、すべてが見事に調和している現在のくるりーー特に2014年の時点での最新作『THE PIER』とは実に好対照です。この『くるりの一回転』の後の彼らは、3度の音を明確に鳴らすのを避けることで調性を曖昧にしたり、マイナー7th♭5thやデミニッシュのような曖昧な響きのコードを使って、積極的に宙ぶらりんな感覚を醸し出したり。少しづつそんな自らの訛りを独自のスタイルにしていって、遂には『ワルツを踊れ』というキャリア最大の分岐点でもあるアルバムで、和声に対するこだわりをどこまでも意識的に研ぎ澄ませていく。彼らのキャリアをそんな風に乱暴にレジュメするなら、ここにはそうした感性の萌芽がある。ドミナント・モーションという調和の取れた緊張と緩和だけではどうにも収まることが出来ず、さらなる緊張感が曲の中に存在しないと、どうにも我慢できないという感性を汲み取ることが出来ます。

 そうした傾向をして、岸田繁自ら「和声の中二病」と少しばかり自虐的に語ったことがあります。ただその理由について敢えて抽象的な言い方をするなら、彼らの中にはどうにも「名付けえぬもの」があった。そして、今もある。そして、それを形にするには、こうした形式が必要だった。そういうことなのかもしれません。

家族の肖像
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 この、ルキーノ・ヴィスコンティ映画のタイトルを冠した“家族の肖像”こそが、この時期のくるりを語る上でもっとも象徴的なトラックでしょう。絢爛豪華でデカダンなヴィスコンティ映画に対し、こちらはひたすらスカム&グランジ。スライド・ギターのリフはおそらく、この曲の根幹になっているファンキーなベース・ラインとドラムに対して、何を弾いていいのかわからなかった。そんなところだと思います。そして、この曲のリズムやタイム感は当時はオルタナティヴ~その後はミクスチャーと呼ばれたバンドのそれです。スマッシング・パンプキンズの1st『ギッシュ』辺りを彷彿させるサイケデリック・グルーヴ。と呼べるほど完成されたものではありませんが。
 聴きものは2分前後から。リズムが二倍、ベースがウォーキング・ベースになり、全体としてシャッフル気味に、そして、ドラムがさらに二倍に刻んでーーという展開は、その後の彼らのリズムに対するさまざまな冒険の萌芽を見ることが出来ます。というほどに効果的ではありませんが。というか、グダグダだ。ただ少なくとも、とにかく普通ではないことをやってやろう。という気概は伝わってくる。歌詞の内容はまさにグランジ。展開の途中から聞こえてくる口笛もスカム。その後の悲鳴もスカム。アウトロでは、“白鳥の湖”のメロディがオルゴールの音色で被さってきます。これがさらにスカム具合を際立たせている。ただ同時に、こうしたスカムなテイストが彼らのナイーヴさの裏返しでもあったことがよくわかります。

エレジー
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 カセット・リリース時は隠しトラック扱いだったらしいこの曲。当時のCDアルバムは、隠しトラックという遊びが大流行りだったんです。iTunesのようにアルバムからの単曲買いが可能になった今ではそんな遊びももはや不可能ですが。にしても、当初は隠しトラックだっただけあって、この曲もかなりスカム。これもまさにくるり黎明期を代表するトラックでしょう。ヴァースは4つのコードの繰り返し。「誰もいない部屋/僕はひとりぼっち」に始まり、「歌っておくれエレジーを」と繰り返されるコーラスもかなりグランジ。しかも、「ダサい色は何の色?/それはお前のシャツの色/ダサい音は何の音?/それはもちろんエリック・クラプトン」ですから。70年代からずっとブルーズという音楽が何よりも至高だとされてきた当時の京都という土地の磁場に対して、彼らが感じていただろう違和感と怒りが遺憾なく刻み込まれています。現在の本人たちからすれば、かなり赤面ものだとは思いますが、さすがはティーンネイジ・ウェストランド。怖いもの知らず。グランジ。アパシーその後の世代。その主成分の大半は怒りと八つ当たりで出来ています。

 この曲の一番の聴きものはブレイク部分でしょう。“ペイパーバック・ライター”風のペンタトニックのリフ、そこからリズムが半分になって、ギター・リフはそのままビートルズの“ディア・プルーデンス”、あるいはクリームの“ホワイト・ルーム”よろしく、ベースがトニックから全音、半音、半音と下がって行きます。この辺り、彼らの出自が透けて見えてくる。ブルーズ万歳な環境に明らかに憤慨していただろうに、68年のブリティッシュ・ブルーズ全盛期のスタイルを引用しているわけですから、当時のくるりというバンドが置かれていた場所がよくわかります。

 と同時にこの曲、終始、踏みつぶされたヒキガエルの悲鳴のような岸田繁の素っ頓狂な声を楽しめるわけですが、こうしたスカムな悪ふざけはローザ・ルクセンブルグのようでもあり、解散間際のビートルズのようでもあり、ニルヴァーナのようでもある。自らの切実なエモーショナルさを悪ふざけで包み隠さずにはいられない上品さ。あるいは、ただの馬鹿&いちびり。実際のところは、その両方だったはずです。しかし、それにしても、曲の最後にわざわざ笑い声を入れてしまう辺り、いまだ自分たちの未来がまったく見えない学生バンドがレコーディングという現場にいろんな可能性を夢見ている感じがひしひしと伝わってきます。勿論、これも今の彼らからすると、かなり赤面ものでしょうが。

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 というわけで、『くるりの一回転』はそんなレコードです。もしかすると、かの天才文筆家、山崎洋一郎ならこのレコードをたった一言、変態と呼ぶかもしれない。実際、その通りの内容でもあると言えます。でも、同時に、この30分足らずの音源をいくつもの角度から味わうことで、いろんなことが見えてくる。当時の彼らと現在の彼らの間で、何が変わって、何が進化して、何が変わらなかったのか。だからこそ、この『くるりの一回転』、是非、彼らの来るべき最新作『THE PIER』と併せて聴かれることをお奨めします。ある意味、彼らは何も変わらなかった。と同時に、信じられないほど進化し、洗練され、とてつもなく遠くまで旅することになった。すっかり変わってしまった。誰もがそう感じることが出来る。これにはかなり感慨深いものがあります。

 大方の皆さんも知っての通り、くるりというバンドは常にサウンドの意匠を変え続けた。アルバムごとに次々とそのサウンドを変え続けてきたバンドでもあります。違う。これでもない。これか? 違う。これじゃ十分じゃない。これか! うーん、ちょっと違う。これか! これだろう! 遂にやったぞ、俺たちは! と思ったのに今では違う。これじゃない。じゃあ、次はどうしよう。常にこんな試行錯誤を続けてきました。何故、そんな試行錯誤を続けなければならなかったのか。自分探し? まさか。ロックンロールは帰る場所を持たない音楽であり、だからこそ世界中の誰もがコネクトすることが出来た。ジュリアン・コープがそう語るように、彼らくるりはいつの日か到達出来るだろう理想的な自身のアイデンティティを探し続けてきたわけでも、最終的に帰る場所を探し続けてきたわけでもありません。乱暴に言うなら、ただ旅することが楽しいから旅してきた、生粋の放蕩息子なのです。

 旅を続けること。それは黎明期からくるりのアティチュードの最大のものでした。我々はどんな時も環境の奴隷、アーキテクチュアの奴隷になる危険性を孕んでいます。というか、実際に奴隷です。僕もあなたも。大げさに言うと、ですよ。すべてを自分自身で判断して、自分自身で行動していると確信していても、実のところ、環境によって支配され、規定され、自ら操られているにすぎない。特にインターネットが我々の生活に深く関わるようになってからは、誰もがすべて自分自身で決めて、行動していると、すんなり錯覚することが出来るようになりました。例えば、音楽メディアなんかなくても、俺は自分で好きな音楽を探してるんだ。もうTVに躍らされる必要なんかない、ネットに繋がっていさえすれば、本当のことがわかる。そんな錯覚です。

 勿論、これは誰かを批判しようとしているのではありません。極端な話、これは15世紀半ばにグーテンベルグが活版印刷の技術を発明して以来、ずっと変わることのない近代的な病いでもあります。おっと、話が大きくなりすぎました。ただいずれにせよ、あなたが自発的に選んだはずの情報が増えれば増えるほど、その何千倍も存在する情報やモノの見方からは引き離されていく。自らしかけて、自ら嵌まった罠に気がつくこともなく、自分の賢さと正しさに酔いしれることが出来る。自戒を込めて、そう感じます。

 こうした罠からは誰一人として逃れることが出来ない。この文章を綴っている主体も実のところ何かに書かされているのです。もしそこから少しでも自由になることを望むならーー勿論、望まなくても構いませんーー自分自身が今よりもさらに楽しみたいと思うなら、それまで大切に育んできた自らのアイデンティティが崩壊してしまうような思いもしらない事故に遭うこと。それを恐れず、見知らぬ場所を旅すること。それしか方法はないんだと思います。だから、今すぐパスポートを取って、外国に旅行しろ。なんてことを言うつもりはありません。勿論、それが何よりも手っ取り早くて、効果的なんですけど。YouTubeを例に挙げるでもなく、見知らぬ場所は我々のすぐ側に存在している。でも、ほぼ100%我々の誰もがその見知らぬ場所にアクセスすることなく、自分が観たいものだけを観て、満足してしまう。これってすごく不思議ですよね。そして、やっぱりどうにも恐ろしい。でも、実のところ本当は、まだ見ぬ場所は、辺境はすぐ側にある。実際、あなたの暮らすマンションの隣の部屋でさえ、あなたの住む世界とはまったく別世界なのですから。でも、そこに立ちはだかる壁はーーしかも、自分自身で築き上げた壁はなかなかに越えることが出来ないのです。

 そして、おそらくくるりというバンドは、そうした不思議を、そして、そうした我々の目の前に立ちはだかる見えない壁を越える術を本能的に知っていたバンドなんだと思います。こんな風に言い換えてもいいかもしれません。彼らは自分のことを信用していなかった。自分の正しさや賢さに固執することがなかったーーすっかり自信を失っている時以外は。ひとつ例を挙げましょう。くるりの場合、新しいレコードを作った後にツアーに出ると、そのひとつ前のレコードからの曲をほとんど演奏しないという商業的にバンドを運営していく上では何ひとつプラスにはならない、どうしようもない悪癖がある。つまり、少し前の自分自身を否定してしまうんです。

 あるいは、彼らはいくつもの傑作と同時に、いくつもの失敗作を作ってきた。つまり、間違えることでしか学ぶことはないと本能的に知っていた。勿論、どれが傑作でどれが失敗作なのかについてはリスナーの数だけ答えが存在するでしょう。彼ら自身にとっても、ある時期には傑作と思えても、その後には消したい過去になったり、その逆のケースもある。前者の代表格が『図鑑』、その逆のケースが『魂のゆくえ』なんて風に言えるかもしれない。そういう見方もある。勿論、そうした評価さえ常に流動的なわけですが。ただ少なくとも、そんな風に時代が変われば、評価がすっかり反転してしまうほどの、いくつものヴァラエティ豊かな作品を彼らは作り続けてきた。それを可能にしたのは、彼らが自分自身の正しさに拘泥することなく、常に間違え続けることを恐れず、それを潔しとしてきたからなんだと思います。自分の正しさを証明するために闘う必要なんかない。ピート・タウンゼンドのこんな言葉を借りるまでもなく、彼らは自ら自分自身を常に否定して、次に進んできたのです。

 だからこそ、くるりの曲のキャラクターたちはいつも性懲りもなく旅に出る。安心な僕らは旅に出ようぜ。そういうことです。思いきり泣いたり笑ったりしようぜ。そういうことです。当初はなーんも考えていなかったのにもかかわらず、幾度となく誰かを傷つけ、幾度となく傷つくことで、血の轍を残してきた。革命を夢見る時間を使って、移動し続けよう。旅に出よう。帰る場所を探し続けるのではなく、世界中を帰る場所にしよう。彼らのやってきたことはおそらく、そういうことなんだと思います。

 この『くるりの一回転』の時代から、そんな風に彼らはずっと旅を続け、ひとまず『THE PIER』という場所に辿り着きました。思えば遠くに来たもんだ。今、初期のくるりを、特に『TEAM ROCK』までのくるりを聞き返したりすると、そのあまりの無邪気さに思わず頬がほころばずにはいられなくなります。言わんや、この『くるりの一回転』におけるくるりは、とても身の丈とは思えない、大きすぎる野心と希望で溢れている。とても自分では手に負えない可能性とどこまでも無邪気に戯れている。

 でも、そんな時代はもう終わってしまった。タワー・レコードは僕らの世代のMOMAなんだ。そう胸を張って言える幸福な時代も遠い過去になってしまった。もう帰る場所はない。でも、その幸福な時代は誰かが作った泡沫の夢のような、最初から消えてしまうことを運命づけられた世界だったのかもしれない。もしかすると、ただ与えられただけのどこまでも快適な奴隷の檻だったのかもしれない。というよりは、自分自身が作った、ずっと安心して眠れるコクーンだった。でも、今の彼らはそのコクーンから自ら這い出てーーいや、それはロマンティックすぎるーー望んでもいないのに放り出されて、何ひとつ確かなものも、安心出来る理由もない、寂れた岸辺に放り出された。もしかすると、2012年のアルバム『坩堝の電圧』とは、そんな同時代的な当惑と、よるべのなさを刻み込むと同時に、それをリスナーと共有することで、どうにか自らの足場をもう一度しっかりと固めたかった。そんな作品なのかもしれません。しかし、現在の彼らはそこからまた一歩踏み出しました。

 彼らの11枚目のアルバム『THE PIER』には何度も「海鳴り」という言葉が出てきます。いくつかの曲のキャラクターたちはその不穏な海鳴りの音に誘われるようにして、漆黒の海に向かっていきます。これから先、アベノミクスが失敗して、とんでもない時代がやって来るのかもしれない。でも、これからの方がもっと幸福なんだ。そう決めたんだ。少なくとも、それを決めるのは為政者ではない。市井の生活者である俺たちなんだ。『THE PIER』という作品はそういうアルバムでもあります。まだ辿り着いたことのない未知の世界が待っている。まだ時代の辺境は存在する。だから、まだこれから先もずっと旅は続く。そんな確信のアルバムでもあります。是非、この『くるりの一回転』と併せて、『THE PIER』を聴いてみて下さい。面白いくらい、いろんなことが見えてくるはずです。

 おそらく、これから先も放蕩息子は家には帰ることはないでしょう。この『くるりの一回転』は、そんな永遠の放蕩息子たちの出発点を、そして、旅に出る理由を記録したものなのです。

2014年8月 田中宗一郎(ザ・サイン・マガジン・ドットコム)

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