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音楽とお金とファン

岡崎体育くんのファンクラブ運営を巡る騒動(めんどくさいので、ここには書きません興味ある方はググって調べてください)を横目に見ながら、コレはくるりのファンクラブの今後のあり方のことも、いろいろ考えないとなぁと思う次第。

岡崎体育くんは、ストイックな宅録青年かつ優れたアイデアマン、そして良い意味で目立ちたがりで、頭もいいので、虎視眈々と色んなことを狙ってると思う。そして誰もやってないことで何かをひっくり返すことにカタルシスを感じているはずだ。それでも、ただ音楽作ることが好きなんだと思う。私はいちニワカファンとして、彼のことをただ傍観している(たまに聴いたりビデオみて笑ってる)だけだが。

彼は旧来身の回りのスタッフがやるような仕事にも介入し、ワンオペとは言えないだろうが音楽制作のみならずいろんなことを自分の手でやっている。別にそれが偉いとかそういう風には思わない(それについては後述する)が、彼は少なくともメジャー音楽シーンにおいては誰もやってないことをやり続けているわけで、彼自身が舵を切らないことには、周りのスタッフを育てることもできないだろうし、彼自身も自分自身の音楽制作やその活動を守るために、ファンクラブの運営のことまで自分自身でしっかりやっている。彼はエネルギーと意欲、野心に満ちているのに、笑いとユーモアと詩情に溢れながら凄いことをやっているから見てて気持ちがいい。

岡崎の話にこんな文字数を割いてしまうのに損した気分にもならない俺は相当アホだが、彼は少なくともこの騒動さえも楽しんでいるはずだ。ファンは幸せものだ。彼はきっと、拗ねてイケズをした一部のファンたちのことも長い時間をかけて大きな創造力で巻き込んでいくことだろう。

彼の言わんとしていることに私が便乗して言いたいことのひとつが、音楽とお金とファンの話である。

資本主義の世の中には、お金を稼ぐことに長けているひとたちが沢山いて、その人たちが沢山の人達の生活や生命、文化を支えている。良い人も悪い人も、どっちでもない人も沢山いて、そんなことは大して重要ではないと私は思っている(騙されて腹を立てることはあるけど)。

ミュージシャンやアーティストにとって「金儲け」がどの程度重要かというと、ひとつは活動費である。録音費、ツアーの人件費や場所代、宿泊費、広告宣伝費など、まあ金を掛けようと思えば掛けられるけど金を掛けずにやろうと思うと骨の折れることで、皆んな四苦八苦しながらやっている傍ら、あまり音楽そのものが真ん中にない人が利権を握っていたりするパターンも少なくないので、なんだかしんどい世界であることに変わりはない。

音楽業界が潤っていた時代にデビューした私たちは、はっきり言って恵まれたお金の使われ方をしていたと思うが、今に至るまで変わらず電車移動、寝間着は余った物販、服は殆どユニクロ、間接照明などのない質素な暮らしをしている。自動車の免許もない。これは、私の稼ぎと関係なく、私自身がそういう人だからであるだけである。

「売れたい」という気持ちは、ミュージシャンにとって「認知されたい」という承認欲求にほぼ一致する。金が欲しかったら、それほど野心持ってる人なら何も音楽家である必要もない。

「認知されたい」という気持ちを紐解くと見えてくるものがある。

「私の思いついた、誰も知らないこんなことが、凄く感動するコレなんですみんな聴いてよ観てよ」という承認欲求である。

くるり新曲「その線は水平線」の評判が良く、メンバー、スタッフ一同とてもとても嬉しい。

くるりのことを好きな人、ずっと好きで居てくれてる人にとって、コレぞくるりの真骨頂だ、と言えるものだからなのかも知れないと、多くの人々の反応を見て思うことだ。

私個人的に思うのは、この至ってくるり的な新曲と、私が以前書いた「交響曲第一番」に差はない。どちらも至って私の全てであり、それが分かりやすいとか分かりにくいとか、そんなことを考えたこともない。

エネルギーを使って作り上げた作品には、必ず力がある。その力とは、周りの人を動かす力である。ワンオペでやっていることが凄いことなのではなく、周りの人が動くような作品を作ることが凄いということだ。

マネージャーであれパシリであれ何が凄いかというと、その作品の「核心」に入ると、その作品の力を自分のもののように使うことが出来るということだ。「ファン」と呼ばれる人たちも、それを実践している。だから、投資をするのだ。感謝料なのである。

だから私は広島東洋カープに投資をし、JRの方が速くても阪急に乗るのだ。ただ私に広島の打線オーダーに決定権はないし、阪急3300系の廃車を食い止めることはできない。そして、絶対にファンとしての「ルール」を守る義務がある。

試合の妨害はしない。自分でチケットを買う。いち野球ファンとしての自分を貫く。列車運行の妨害はしない。いち利用者として安全運行に努めるスタッフに敬意を払う。何故自分がそれを愛しているかという私個人的な理由を盾にしない。対象のその理念が他のファンたちにとって愛されている理由を知り、心から応援を出来るか自分自身に問う。

金を払っているから偉いとか、常に対象のことを考えているから偉いとかはない。

対象の「核心」に対して、自分自身がどのように振る舞えるかが、ファンの役割だと思う。



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