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ゴジラ −1.0(2181字)

結局劇場へ行くことなく、今日の日を迎えてしまった。
どれだけ巷で好評を得ようが、40年来のゴジラファンとして、人の意見などはまったあてにしない。あくまでも怪獣映画なんていうものはエンターテイメントであり、人の感想というものは酒の肴程度で十分なのだ。
そう、映画を見て楽しみ、ひとの感想を見て楽しむ。
「そうじゃねぇだろ、お前わかってねぇなぁ」なんて口では言ってみても、感想文を書いた人はみな戦友。

いつものようにネタバレしながらもストーリーはめんどうくさいので書きません。気になれば、ネット上にいくらでも情報はありますので、どうぞ。

主役は、完全に敷島浩一(神木隆之介)。
ゴジラが出てくる作品で、ここまでしっかりと主役がいたのは初めてじゃないたろうか。ゴジラが出てくると、どんな人間も吹き飛ばされて、ゴジラに覆い尽くされてしまう。自分のようなドシロウトにもそんなことはわかるので、作る側は前提問題として熟知しているはず。
前作「シン・ゴジラ」では、ゴジラは存在感を薄め、ぼーっと立っているだけだった。つまり「脅威」でさえあれば、キムジョンイルでもよかったわけだ。
単に「共通の敵」であればよかった。
しかしゴジラを見せるのであれば、歴史的、生物的に於いてゴジラでなければならない。
ゴジラが長時間出てくるわけではないが、その意義を主張するに十分過ぎるほどの姿を見せてファンを喜ばせ、かつストーリーを確立するという大切な「準主役」の主役になっていた。この設定自体が賞賛されていいと思う。
だからこその終戦直後だった。

ゴジラ映画としてのアイデンティティは不滅だった。
きのこ雲、黒い雨、不死性。
きのこ雲の登場は、金子修介監督のゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃以来だと思うが、今回の表現の方がすさまじい。
が、熱線を吐く理由や爆心地についての情報などは意味がわからない。
この辺りは「ゴジラだよ〜ん」ってとこなんかな。
黒い雨の中で泣く主人公は、少し衝撃的ではあった。

3つ目に触れるのは、ゴジラの再生。
もうこのたぐいの表現いらんのじゃない?
ゴジラ、死んどけよ(笑)
細胞が再生するということは、劇中でも少し語られているけれども大した解説はないので、「そういうもの」ってことなんでしょう。公開中のネット情報では、ゴジラ細胞に再生能力があるという話題があって、典子がその力で生きているのだろうと書かれていたが、そんなことはどうでもよろしい。
ゴジラが不死であるということは、「続編あるかもよ〜」ってことでしょ。
こんだけの作品がまだ作れるんですか?
すでに、4つくらいのパラレルワールドを有しているのに、まだ増やすの?
どこかにつなぐの?
助さん、角さん、もういいでしょう。
こんなに素晴らしい作品見せてくれたら、もういいです。
この世界観を使うなら、また同じ方法で倒せばいいでしょ。
普通はそう思いませんか?
ゴジラvsビオランテでは東京に残されたゴジラ細胞を争奪する話になっていたし、ゴジラ2000ミレニアムでもオルガはゴジラのエネルギーを吸収し、遺伝子情報から自分の体を再構築しようとした。
そうしてみると、ゴジラvsビオランテはとても先進的な作品だったんだな。
平成ガメラに至って、それは最重要な要素になっていく。
遺伝子レベルとかいう話は、それこそ「ゴジラのエネルギー源は放射線」程度の扱いでいいと思う。
その点、モンスターバースのゴジラはバランスよく作られている。
もっとも、あちらはすでにゴジラが主役とは言い難くなってきているけれど。

いろいろ泣くポイントはあるわけなんだけど、いちばんのポイントは立花さんとの関係じゃないだろうか。
かつて敷島は大戸島で、怪獣を狙撃できずに仲間を見殺しにしたことがトラウマになっており、彼にとってはそれが戦争そのものになった。
特攻から戻った人たちは、当時巷でどういう環境に置かれていたかは知らないが、目の前で仲間が敵艦に突っ込んでいく姿をみれば、生きて帰ったら「生き恥」と思うかもしれない。
しかし本音の部分で「生きること」が一番大切であることは全ての人が知っている。
立花にしても同じことで、彼もゴジラという自分の戦争を終わらせるために、尽力する。
その表現が予想とは少し違った。
コクピット内に「死ぬな」とでも書くのかなあと思ってたけれど、脱出装置の装備とは。まあ現実的!
まぁ、作中で描かれているように、ゴジラが大量の放射線を帯びているなら、脱出しなくとも死ぬんだけどね。
だから、それを言ったらダメだって!(*^◯^*)

ところで、とっても下卑た話で恐縮ですが、典子のような愛らしい女性とひとつ屋根に下に住んでいて、何もなかったんですか?
敷島が女性に手を出せないほど傷ついていたって設定なんでしょうけど、それはありえないでしょ。
本能は理性では制御不能なんですから。
あ、ついでに典子の話も。
ゴジラの熱線に吹かれた時、敷島だけを突き飛ばして路地に押し込んだのはなぜ?
自分が飛び込む方が早いのでは?
一緒に飛び込まないのはとても不自然だと思うんだけど。
前述したように、典子はゴジラの再生能力に侵されている(?)とする感想があるけれど、つまりはそれについて語りたいから、そうした設定にしたのかしら。
病院での典子のうなじには何かの傷が見えたけれど、あれも自作への伏線?
もうそういうの、いいって^^


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