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生きた知性

これまでのカテゴリーでわけてきた学問をすべて雑学として取り扱うべく、法以外、生きる上で要らなくなった。そこで、これまでの学問を下等なものをみなし、雑学として取り扱うことにした。
それはなぜなのかをここで弁明を踏まえて紹介したい。

〈雑学;理学・語学・社会・芸術〉

これまでわからなさすぎて、上級・下級というものを偏見的に作ったがために、かえって、吸収率が偏ってしまっている。
常々、既知と未知のバランス(3;7)や、知識の偏りを注意してきたが、ここまできたら、かなり偏見が強くなってきていると、考えられる。そこで、すべてのそうした上級・下級をやめ、下級と扱い、そもそも生きる上で必要のない学問が大半であることから、生きるために、必要な学問のみ、上級(関心ごと)とし、その他の学問を下級(無関心で機械的)なものとして取り扱うことに決めた。

〈しつこくやっても覚えないし、連想や、想像力の方が遥かに必要だし、エネルギーとしては、興味関心が1番であるから〉

云々カンヌンいっても、どうせ覚えられないことがある。バフェット流にこう言いたい。

“やる価値のないことを、一生懸命する必要がない”


こう言われる通り、私としては、法学(弁護士)以外の職は、専門外であり、興味がない上に、成長が遅いものだといえる。
それをどう片付けるか、といえば、連想、想像力、興味関心、好奇心で解決するべきであろうことは、明らかなことであろう。
では、ここで、機械論を論じて、生きた学問(知性)と、死んだ学問(知識)とをわけることにしたい。

〈機械論〉(theory  of AI〉

死んだ学問とは、生活に支障をきたすことのない学問であり、それがなくても生きられる学問のことである。さらに、機械的にこなせるため、自動(オート化)が可能である。
それに、それにかかるコストや、エネルギーは、最低限の電気エネルギーで良いとされる。

「死んだ学問」

①機械的
②最小限のエネルギー(約100分の1)
③自動
④生活に支障をきたさない
⑤知識偏重
⑥√2
⑦答えのある

「生きた学問」

①人間的
②最大限のエネルギー
③手動
④生活に支障をきたす
⑤知性偏重
⑥√3
⑦答えのない

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