人の発信力にタダ乗りはできない

Twitterのフォロワー数が約3万5千、noteが6万弱という数字になってくると、「これを紹介してもらえませんか」と声をかけられる機会も増えてくる。
それでもプロフィールに「友人であっても拡散の依頼はお断りしています」と明記していることもあって、同じようなフォロワー数の人たちと比べると依頼数はかなり少ない方だとは思う。

それでも毎月のように明らかに定型文の依頼が送られてくるのを見るにつけ、「ああ、私はこの人たちに"数字"としてしか見られていないのだな」と暗澹たる気持ちになる。

私が「これを拡散して欲しい」という依頼を一切の例外なく断っているのは、その依頼の大半が「私」ではなく「私の数字」にフォーカスが当たっているからだ。

かくいう私も以前ブロガーマーケティングに従事していたこともあり、ある程度数字で判断せざるを得ない事情もよくわかっているつもりだ。

ただ、自分自身がいわゆる「インフルエンサー」と呼ばれる人たちとプライベートでも仲良くなったからこそ感じるのは、フォロワーに信頼されている人ほど自分のインフルーエンス力の使いどころにとても慎重だということである。

長く活躍するインフルエンサーほど、お金を出すだけでは投稿してくれない。

むしろたとえお金のやりとりがなくても、本当にいいと思えば自発的に発信したいと思うのがインフルエンサーのインフルエンサーたる所以であり、彼ら彼女らとどう信頼関係を築くかという点が本当の意味でのインフルエンサーマーケティングだ。

この信頼は、お金を払ってショートカットすることはできない。
友人や恋人がお金で買えないように、インフルエンサーが「発信したい」という気持ちも一朝一夕に醸成できるものではないのだ。

そもそもインフルエンサーたちが何万、何十万というフォロワーを抱え、人の行動を変えるほどの力を持つようになった裏側には何年もの努力がある。

価値のある投稿が何かを考え、トライアンドエラーを繰り返し、フォロワーと丁寧にコミュニケーションをとる。
その繰り返しによって、多くの人の信頼を勝ち得てきたのである。

もし他の人がその積み上げられてきた信頼に相乗りさせてもらおうと思うのなら、同じだけの努力をインフルエンサー相手に行う必要があるということだ。

「今」だけを見てお金との等価交換で影響力を活用しようとする姿勢は、本物のインフルエンサーには必ず見抜かれる。

コミュニケーションに手を抜く人だという烙印を押されたら、もう二度と信頼はもとには戻らない。
彼らはコミュニケーションに手を抜かないことによって今の地位を確立し守ってきたのであり、同じような熱量でコミュニケーションができる相手をビジネスパートナーとして選ぶ。

どれだけお金を積むかではなく、いかに普段からその人の発信を見ているか、その上で自分たちのやっていることと相手の関心がリンクするポイントをいかに見極めているか。
つまり「その人だからこそできること」「やる価値のあること」を考える手間を省かない姿勢こそが、本物のインフルエンサーとの関係を作る唯一の手段なのだと私は思う。

それは本人への伝え方ももちろんだが、どうすれば見つけてもらえるかという情報流通の設計を考えることや、共感してもらえるメッセージをどう自分たち自身で発信していくかという戦略も含んでいる。

インフルエンサーと呼ばれる人々はいいものであれば自発的に発信したいという性質があり、たとえ頼まれていなくてもいいものを発見したらそれを広め、貢献したいという気持ちが強いからだ。

つまりいいものを作り、彼らのアンテナに引っかかるような情報流通設計を考えれば、いちいちDMで定型文をコピペして送るよりも自発的に投稿してもらえる可能性が高まる。

むしろその努力なくして、「拡散お願いします」という一言だけで人が築き上げてきた信頼にタダ乗りすることはできない。

「なぜその人がその発信をする価値があるのか?」を考えるのは依頼する側の仕事であり、その努力なくしてインフルエンサーの先にいる人々を動かすことはできないのだ。

コミュニケーションに近道はない。
相手の信頼を勝ち得るための努力こそが、いいものを広めていく唯一の手段なのだと私は信じている。

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今日のおまけは、具体的にインフルエンサーとのコミュニケーションで「もっとこうしたらいいのに」と私が思っていることのまとめ。
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