「文化的成熟」という代替不可能な価値

『なぜそんなに百貨店にこだわるのか』と聞かれて、はたと立ち止まって考えたことがある。

そこから時間をかけて自分に問い続け、私なりに考えて出した答えが、『百貨店は文化の番人だから』というものだった。

百貨店には、合理性だけでは割り切れないものたちで溢れている。

D2Cの台頭によって原価率やコスパに敏感な世の中ではあるけれど、夢に原価率もへったくれもあるものか、と私は思う。

もちろん、いいものが安く手に入る世の中は素晴らしい。しかし、単に素材や工賃といった目に見えるコストだけがそのモノの価値ではない。

むしろブランドやデザインの思想性にこそ多大な労力が注ぎ込まれ、そうやって作り上げられた夢の世界に私たちはお金を払っているのだ。

ファッションであれインテリアであれコスメであれ、百貨店で扱われるものにはすべて思想がなければならない。そしてその思想の蓄積を、私は『文化』と呼ぶ。

***

気分が落ち込んだ時、私はいつも日本橋三越に行く。
日本で一番『日本的なるもの』が詰まった場所だと思っているからだ。

ここには、文化の風が吹いている。

そしてパワーを充電すると同時に、もしいつか外資がこの場所を欲しいと言い出したら、三越の名前は残ってもこの独特の文化の香りは消えてしまうだろう、という危機も感じる。

三越も伊勢丹も高島屋も松屋も、その名前自体に価値はない。それぞれが長い間かけて培って来た文化を区別するためだけに名前がついている、そういう順番だと私は思う。

文化というのは例えるなら天然資源のようなもので、気の遠くなる程長い時間をかけて、様々な無駄を内包しながら自然に形成されていくものだ。

以前高橋祥子さんから『自然とは何か』という話を聞いていて、一見人為的な営みに見える文化的活動も、実は自然と同じかたちをしている、と思った。

文化はゴールから逆算して作り上げることはできない。常に『なっていく(ing)』という活動の後ろに文化はできる。

(ちなみに「なっていく」という表現は「<インターネット>の次に来るもの」で重要なキーワードとして出てくるのだけど、本書を読んでから私はこの概念がとても気に入っている)

そして私は、文化の多様性を心から愛している。

なぜならば、成熟した文化は何よりも代替不可能な価値を持っているからだ。

日本には日本なりの、フランスにはフランスなりの、中国には中国なりの文化風土があり、それはどんなに真似しても代替することはできない。

ニューヨークの街中にある洗練された空気も、バンコクの街角で感じる熱気も、別の場所で再現することはできない。

なぜなら文化はその場所の地形、歴史、そしてそこに暮らす人々の思想といった気の遠くなるほど多くの要因によって織り成されて生まれた奇跡だからだ。

これはまさに石油や天然ガスといった天然資源が、いろんな奇跡によって長い時間をかけて生成されたことと近いように思う。

そしてそうした天然資源も採掘の限度があるように、文化も消費してしまえばいつか枯渇する。

先日、猪瀬さんがゼミで三島由紀夫のこんな言葉を紹介していた。

「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう。」

三島由紀夫も、文化という人間の美しい営みが消失することへの危機感を強烈に抱いていた人物であり、だからこそ惹かれるところがあったのだろうとこの言葉を聞いて感じた。

文化とは、『存在の意味』だ。

人は言葉を発明したことによって、意味と意識という概念を手に入れた。そして今や、意味を失うと生きていられなくなってしまうほど、私たちの人生にとって『意味』が占める割合は大きくなっている。

三島の言う「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない」社会には『意味=文化』がない。

『人はパンのみにて生くるにあらず』という言葉は、現代にこそ必要とされているのではないかと思う。

そして、存在の意味は多様であればあるほど救われる人が増えるはずだと私は思っている。

だからこそ日本的な精神文化を伝え残していく場所として『日本的なるもの』の粋を集め、海外の文化を日本的視点でキュレーションし、文化を形成する存在が必要なのだ。

とはいえ、名前や箱だけが残っても意味がない。むしろ名前や建物が変わったとしても、日本的なる精神を受け継ぎ続けていくこと、帳簿に現れない価値を信じ続けることの方が重要だと私は思う。

そしてそのためにこそ、百貨店が『売る場所』から脱却しなければならないときがきているのだろうと。

本来、百貨店の社会的意義はメディアであり、アクセラレーターでもある立場として、文化を守り育ててゆくことだと私は思っている。

ただ、それには多額のお金がかかる。

『道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である』という二宮尊徳の言葉があるけれども、文化の多様性を保ち、エコシステムを作り上げるには自分たち自身が稼がなければならないのだ。

そのための方法を、私は日々考え続けている。

とはいえ、百貨店に限らず『文化的成熟に寄与する』ということは突き詰めればあらゆる企業の最終的な目的なのではないかと思う。

どれだけ真似しても、思想とそれによって作られた文化までは真似できないものだからだ。進化のための次の一歩は、目に見えないものによって作られている。

そして代替不可能な価値を作るには一見無駄で非合理に見えることを積み上げていかなければならない。

その無駄に耐えられるだけの圧倒的信念を持っているかどうかが、代替不可能な価値を作れるかどうかにつながるのだろうと思う。

ちなみに冒頭の質問をされたとき、私は『もしファーストキャリアが百貨店ではなかったとしたら、同じようなことをその業界で言っていただろう』と答えた。

百貨店という手段が私にとってはもっともイメージしやすかっただけで、『文化的成熟に寄与する』という目標はどこにいても同じだっただろう、と。

私は、私ではなければこの世に生まれなかったであろうものを作りたい。そしてその思想のぶつかり合いによって生まれる文化というものを心から愛している。

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今日のおまけは、文化の話に関連して、私の有料マガジンとコミュニティ運営において一番大切にしている『増やさない』『がんばらない』そして『やめない』という信条の意味について。特に役に立つような話ではありません。

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最所あさみ

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