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私たちが信じなければ、存在できないもの

GW中に遠藤周作の「沈黙」を読了しました。

つい最近ハリウッドで映画化されたので、あらすじを知っている人も多いかもしれません。

江戸時代の中でも、キリシタンの弾圧が激しかった頃、日本に密入国した司祭・ロドリゴが日本の様子を伝える書簡から物語ははじまります。

キリスト教を信仰しているがためにひどい拷問を受け、次々と殺されていく農民たち。

神のために死んでいく信者の姿を見ながら、なぜ神は奇跡を起こすことなく沈黙し続けているのか、本当に神はいるのかと司祭でありながら信仰がゆらいでいくロドリゴの姿を丁寧に描いています。

そして後半の井上筑前守との議論と、フェレイラが棄教を諭すシーンは、宗教とはなにか、人間にとっての「信仰」の意義という議題を読み手に突きつけてきます。

遠藤周作自身、洗礼を受けたカトリック教徒でありながら何度も棄教しようとした経緯があり、ロドリゴの信仰への懊悩には鬼気迫るリアリティを感じました。

この「信じるとはなにか」というテーマに対して、ふと思い出した作品があります。

それは、小学生のときに借りて読んだ「サンタクロースっているんでしょうか?」という児童書です。

100年近く前、「サンタクロースはいるの?」という女の子からの投書へ、社説欄で回答した新聞社の実話がもとになっています。

Yes, Virginia, There Is A Santa Claus!

という一節が有名なストーリーですが、この物語は大人になった今、改めて読んでもハッとさせられる記述にあふれています。

この世の中で一番確かで本当のもの、それは大人の目にも子供の目にも見えないのです。

ヴァージニアへの回答の中で、サンタクロースや妖精は私たちが信じてあげなければこの世に存在できないのだ、という記述があります。

そして、人は目に見えないものは信じたがらないけれど、目に見えないものほど人生にとって重要な意味があるのだ、と。

それはサンタクロースや妖精のみならず、友情や愛情、奇跡、平和といったかたちのないものすべてを指しています。

この本を手に取った当時、私は投書したヴァージニアと同じ8歳だったので、ちょうどサンタクロースの存在に疑問を持ち始めた年頃でした。

しかし読み終わった後、実際に存在するかしないかではなく、私たちの心の中にしか存在できないものもあるのだと衝撃を受けたことを覚えています。

また、先にご紹介した「沈黙」の中でも、ラストは他の宣教師や教会からの非難ではなく、自分の中に神を住まわせ、信仰することの尊さが描かれています。

私たちは愛情や信頼など、かたちのないものの存在を欲するからこそ疑ってしまいます。

そしてそれを可視化しようとして、書面にしたり物に変換したりします。

でも本当に大切なのは「あるかないか」ではなく、「そこに確かにある」と信じることだと思うのです。

私たちが信じるからこそ、存在できるものがある。

「そんなものありっこないさ」と斜めに構えて生きる方が楽なこともあるかもしれません。

それでも私は、「信じる」ことによって、世の中の素敵なものに命を吹き込んでいきたいと思っています。

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(Photo by tomoko morishige)

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