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私は誰よりも、彼の「努力」を評価したい。

プロの世界は、結果が全てだ。
どんなに努力しようと、結果が伴わなければ意味がない。

勝負の世界はよりシビアで、結果によって応援の量も露骨なほどに変化する。
勝てるチームは人気がでるし、活躍しない選手は忘れられていく。
ある意味とてもフェアで、残酷な世界だ。

結果が重視される世界だからこそ、前人未到の記録を打ち立てる人たちは「天才」の名をほしいままにする。
あの人は私たちとは違う、神に愛された人間なのだと。

さらに家族もその道で有名な人であったり、幼少期から名を馳せてきた神童タイプは、本人の努力よりもその天賦の才ばかりが注目されがちだ。

「○○さんの子供だから」
「あの子は小さい頃から才能が違った」
「天才は何をやらせてもうまくいく」

才能や恵まれた環境が彼らのような「天才」を作ったのだと、私たちは思い込む。

しかし才能だけで一流になった人がどれだけいるのだろうか。何の努力もせずに人の羨むような地位を手に入れることは可能なのだろうか。

「天才」という評価がときに人を傷つけると知ったきっかけは、菅野の幼少期のエピソードだった。

母方の祖父は東海大相模高校、東海大の監督を歴任したアマチュア界のレジェンドであり、叔父はジャイアンツのスーパースター。父親もドラフトで注目されたことがあるほどの野球選手。
絵に描いたような野球一族である。

そんな家系で育った菅野は、当たり前のように自分もいつかは野球選手になるのだと信じて育つ。
しかし幼少期の菅野は体格こそ立派だったものの注目されるような選手ではなく、高校でもすぐにプロにいけるような評価は受けていなかった。

とあるインタビューで、高卒でプロに入るとしても下位指名しかこないだろうと当時の監督に言われたことで大学進学を決めたというエピソードも披露していたほどだ。高校3年間で菅野が甲子園に出場することもなかった。

現在の菅野しか知らない人は、彼が幼少期からその才能を開花させ、順風満帆な野球人生を送ってきたイメージを持っているはずだ。
しかし実際には何度も挫折し、傷つき、「コネではなく自分の実力で巨人に入りたい」という一心で努力してきた人なのだ。

菅野が幼少期を振り返るとき、「原監督の甥だからできて当たり前」と言われることが辛かったという話がよく出てくる。
大学時代に怪我でベンチにも入れなかったとき、「原監督の甥なのに応援席にいるなんて」と言われたときの悔しさも語っている。

周囲の菅野評を見ていても、彼は決して「天才型」ではない。はじめからなんでもできたわけではないし、飲み込むまで時間がかかることもあったという。

それでも日本を代表するエースになれたのは、出自ではなく才能でもなく、彼のたゆまぬ努力があったからだ。
菅野ならきっと、野球一家に生まれなくても自分の力でプロ野球選手になっていただろう。彼のインタビューを読むとそう感じさせられる。

菅野はずっと、「できて当たり前」を背負い続けてきた人だ。
幼少期は家系ゆえに、今はその立場ゆえに。

プロ野球選手になってからは「原監督の甥」ではなく「巨人の菅野」として評価されるようになったとはいえ、伝統ある球団ゆえに期待とプレッシャーも大きい。

どんな好成績を残しても、「巨人のエースとしてはこれくらいできて当然」と評価されてしまう。

菅野の努力が過小評価されているのを見るたびに、私はもどかしさを感じる。
これだけ必死に考えながらトレーニングに打ち込み、常に変わろうと挑戦している人の努力がなぜ評価されないのだろう、と。

しかしやきもきしているのは私ひとりで、当の菅野は「結果で示せばいい」とばかりにいつも飄々としている。
そしえ彼にとって努力は結果を出すための過程でしかないのだと思い知る。
努力を評価されようなんて、微塵も思っていないのだと。

エースは、結果を出してこそエースなのだから。

それでも私はやっぱり、菅野の努力がもっと評価されてほしいと思う。
彼が残している成績は、できて当たり前なんかじゃない。
毎年必死に試行錯誤をして、もがきながら作り上げた成績だ。

「菅野だったらこのくらいの成績は残してほしいよね」と誰もが期待する結果の裏側には、想像以上の努力がある。

私は彼に「天才」というレッテルを貼って、その努力を過小評価したくない。
彼のプレーが与えてくれる夢や希望は、「努力によってトップに立つこともできる」と教えてくれることにあると思うからだ。

すごい結果を残す人を見て、あの人は私とは違うからと諦めることは簡単だ。
しかし結果の裏には必ず本人の努力がある。
そのことを忘れたくないと私は思う。

きっとこれから先も菅野には「菅野だからできて当たり前」という評価がずっとついてまわるのだろうと思う。
でも私は菅野がその結果を得るまでの努力を評価しつづけたい。

それこそが何の肩書もない「菅野智之」という人間そのものを応援することなのだと思っている。

この菅野が王子さますぎて、みんな菅野を好きになりそうなので本当はひみつにしておきたかったやつ!勝った日に見せる「嬉しい」よりも「ホッとした」に近い表情を見るたびに、彼が背負っているプレッシャーの大きさを感じます。


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