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私は「家族」をアップデートしたい。
20歳の誕生日、生まれてはじめて父から誕生日おめでとうのメールが届いた。
いわゆる九州男児気質の父とは実家にいたころからたいした話をした記憶もないし、反抗期も長かったので連絡がきたことにまずびっくりした記憶がある。
当時はガラケーだったので保護していたメールのデータももうなくなってしまったけれど、ざっくり言うとこんなことが書かれていた。
あさみは勉強や仕事が好きな子なので、しばらくは結婚よりもそっちの方がたのしいだろうと思う。
でも、お父さんは君たち兄弟をもってよかったと思うから、あさみにも家庭をもつ幸せを感じてほしいと思います。
結婚は、いいものです。
これを受け取った当時、あまりかわいげのない娘である自覚はあったので、それでも私たち兄弟を育ててよかったと思ってくれてたんだなあ、と20歳ながらに感動したのを覚えている。
父の願い叶わず今のところまだ家族ができる予定はないが、「家族」に憧れを持つきっかけになったのは間違いなくこのメールがきっかけだ。
一人暮らしの自由を満喫して、己の力で生きる強さを得て、自分の幸せを追い求めるのは十分味わったからこそ、人の幸せを自分の幸せとして喜んで、一緒に何倍も幸せになる関係性に憧れるんじゃないかと思う。
誰でも、「家族」を手に入れられる世の中にしたい。
毎週のようにFacebookやInstagramで流れてくる結婚式の写真を眺めていると「何やってんだろ、私…」と思うこともある。
だからといって結婚がしたいわけではなく、私たちの「結婚したい」は「幸せになりたい」と同義だ。
「関係性のラベルと、グラデーション。」にも書いた通り、関係性のラベルよりも自分たちがお互いに快適で過ごせることが一番大事だし、法律婚をするかどうかや一緒に住むかどうかは正直どうでもいいと思っている。
一緒に人生の喜怒哀楽を味わう相手は、今のところ夫婦という言葉が一番わかりやすいから流通しているだけであって、その関係をなんと呼ぶかもどうでもいいと思う。
だって、結婚しないと「家族」を作れない世界って難易度が高すぎる。
誰もが結婚できる世界より、結婚してもしなくてもそれぞれ幸せに暮らせる世界の方を、私は目指したいと思う。
そして結婚したらしたで今度は子供を産むことを迫られるけれど、子供ができるかどうかはわからないし、何より産める状況になるまで時間がかかることもある。
下田美咲さんが、「子どもを作るのは、人生最強の暇つぶし」の中で、こんなことを言っていた。
だから「産んであげる」という気持ちは微塵もなく「私のわがままに付き合わせてしまって申し訳ないけど、産まれてもらう!! でも、私はどうしてもあなたにいてほしいの! その分、最大限に良い環境は用意するから!! 私の子ども枠に、あなたを招待させてください!」という一心で産む。
(中略)
子どもは親を選べない。だからこそ産む時は「もし選べるなら、私はこういう親を選びたい。こういう夫婦の間に産まれたい。こういう家庭で育ちたい」という環境を用意することにこだわることを、私はずっと自分に課していた。
下田さんの記事は、いつも鋭く本質を突いてくる。
私も親のエゴで産む以上は最高の環境を用意したいと思っているし、子供をもつのは自分の中である程度仕事をやりきって、セミリタイアしようと思った時だと思う。
でも、私たちの体にはタイムリミットがある。
キャリア女性は、35歳から40歳の間に仕事か子供かを選ばなければならない瞬間がくるのだ。
もしそこで仕事を選んでしまえば、「子供を育てる」という選択肢は永久に手に入らないものになる。
もともと子供が苦手な人はそれでいいけれど、気づいたら産むタイミングを失っていたという消極的理由で子供がいない人も多い。
それは今「仕方ないこと」として受け止められているけれど、本当に仕方ないことなのだろうか。
自分の子供がほしいと思ってもいろんな事情があって産めなかった人は、諦める方法を見つけるしかないのだろうか。
私は子供たちが大好きだし、できることなら3人でも5人でも育てたいと思っているけれど、もし産まない選択をしたとしたら、40歳から約40年間ずっと後悔しながら生きていくのだろうか、と思うとぞっとする。
そしてその解決方法は私が結婚して子供を産む努力をすることではなくて、もし産まなかったとしても子供たちを一緒に育てられる環境を作ることなんじゃないかと思っている。
もちろん自分の子供ができたら格別にかわいいのだろうけど、私は子供たちみんな大好きなので、一緒に遊んでいるだけでとっても幸せな気持ちになれる。
もし子供を産まなかったとしたら、その分の浮いたお金を子供たちに使ってほしいと思うし、1日預けるからどこか遊びに連れていってあげて、と頼まれたらめちゃくちゃがんばると思う。
でも今それができる相手は自分の兄弟の子供くらいだし、突然養護施設のボランティアに行くのはハードルが高すぎる。
だから、もっとその中間のカジュアルな関わり方ができてもいいんじゃないかと思う。
(まずは子供たちの安全と感情が第一なのは前提として。)
私は田舎育ちなので、親戚や近所の人たちみんなから育ててもらった。
そこには
「保護してあげないといけない」
「支援してあげないといけない」
という意識などなく、子供は全員「その町の子」という扱いだった。
そんなことを考えていた時に読んだのが、児童擁護施設で育った方のインタビュー記事だった。
「血のつながりは関係なく、私にはたくさんの”家族”がいます」児童養護施設で育った畑山麗衣さんが伝えたい家族のかたち
これまで周りに養護施設で育った友人はいなかったし、なんとなく「聞いちゃいけない」雰囲気があると思っていたけれど、この記事を読んで考えがガラリと変わった。
インタビューに答える畑山さんの表情はとても朗らかで、何よりすべての言葉に温かな強さがあった。
「私にとって、家族は定義がとても広いもの。家族に、血縁のあるなしは関係ないと思います。安心できる存在や、ホッとできる居場所。そんな、家族や家庭のような集合体が、社会にたくさんあればいいなと思います。」
彼女のように恵まれた環境で幸せに育つことができる子ばかりではないかもしれないけれど、両親がいる子は幸せで施設の子は不幸、というわけではないのだと改めて考えさせられる記事だった。
私たちは、産んでくれる親を選ぶことはできない。
でも、居場所なら選ぶことができる。
「夫婦とは、自分で選べる唯一の家族」という言葉をどこで聞いたか忘れたけれど、家族そのものにもっと選択肢があっていいんじゃないかと思う。
極端に言えば、同性婚とか事実婚とか養子縁組とか全部ひっくるめて
「私たち家族です届」
を出せばそれですんでしまうような、フラットな世界が実現してほしい。
私はいつも結婚について話すとき
「籍をいれなくても、一緒に住まなくても、『この人が私の人生のパートナーです』と宣言したらそれが結婚だと思います。」
と答えている。
社会的に「チーム」として認めてもらうこと。
それが家族になるということなんじゃないかと思う。
***
とはいえ、こうした考え方が浸透するにはきっと長い時間がかかるし、他にやりたいことがたくさんある私が取り組むには、時間が足りない。
だから同じ価値観をもつ人や団体、企業をできるだけ支援して、私の代わりにより生きやすい世界を作ってほしいと思っている。
そのひとつが先ほど紹介したインタビュー記事を掲載しているメディア・soar。
家族だけではなく、障害や病気、LGBT、高齢者など幅広い社会課題を明るく柔らかく伝えるために、ひとつひとつの記事がとても大切に作られていることが読み手にも伝わる素晴らしいメディアだと思う。
もちろん、彼らがメディアを通して紹介することで急に課題が解決するわけではないけれど、少しずつ温かな速度で社会がアップデートされていく気がしている。
ずっと何かsoarの力になれないかと思ってきたのだけど、ちょうど今月私が誕生日を迎えることもあって、バースデードネーションを通して、NPO法人である彼らへの寄付を集めたいなと思い立った。
【寄付プロジェクト】
自分の生まれた日だからこそ、改めて「家族」を考える機会を作りたい。/最所あさみ バースデードネーション
プロジェクトページの最後にも書いたけれど、今年の誕生日プレゼントは「今」の自分がほしいものではなく、「未来」の自分が叶えたい社会に向けた支援をお願いしたいと思っていて、そして私が思う理想の未来に賛同してくれる人が増えたら嬉しいなと思う。
未来の幸せな自分を作るには、小さくても今なにか動くことが大事だと思うから。
ぜひ、誕生日祝いにsoarを支援していただけると嬉しいです。
2017.09.16
最所あさみ
(ちなみに、今日の表紙は1歳の頃の私とお父さん。
こういう幸せな瞬間を、結婚や出産の制約なく誰もが感じられる世界にしていきたいと思う。)
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