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「信じること、探し続ける原点」アールナイン代表・長井亮が語る創業ストーリー後編

このページを見つけてくださった方、ありがとうございます。企業の採用、人材育成などを支援する株式会社アールナインのnote編集部です。

今日は世の中のいわゆる「社長」のイメージとはちょっと違う、私たちの「亮さん」(創業者で代表取締役)を紹介したく、筆を執っています。

富山県出身で、小学生時代はお菓子のカード集めにのめり込んだ亮さん。入社式では「明日からもう来るな」と怒られた思い出も昨日のことのよう。(前半生の紆余曲折は、インタビュー前編でお伝えしています)
https://note.com/r09r09r09_/n/n6e9a9d4965f3

今回はそんな亮さんが、来年15年目を迎える私たちの会社アールナインをつくろうと思い立った日からの物語をお伝えします。

富山の小さなオフィスから始まり、味噌汁とパックのご飯で食いつないでいた創業初期、突然舞い込んだ想定外の依頼で掴んだ逆転のチャンス、「あなたは人を信じないんですか」と問われてはっとしたあの日のこと―。

『これさえすれば成果が出る』と言っても、人の心はついて来ないんだね」。若き日の苦い経験も踏まえ、自分の中にまだない正解を探していると語る亮さんに、今日までの道のりを振り返ってもらいます。


■少年時代の淡い憧れ、社会人8年目の現実は「上司と合わない」

全員があだ名で呼び合う文化のアールナイン。代表は皆から「亮さん」と呼ばれています。飲み会文化はほとんどない会社ですが、イベントの二次会などでは、亮さんが従業員の好きな飲み物を用意してくれます。

――亮さんは富山県内の高校を卒業後、上京して青山学院大に進学。リクルートエイブリック(現リクルート)を経て、2009年に故郷・富山市でアールナインを起業しました。ずっと経営者になりたかったのですか?

漠然とした憧れは小学生の頃からあったよ(笑)
実家が裕福じゃなくてね。(※前編参照)遠い親戚に社長さんがいて私が小学校の時、富山に来たの。車の中に電話が付いたピカピカのベンツに乗って。携帯電話さえない時代。衝撃だったね。父が予約した旅館の食事は社長さんのはからいで豪華なメニューに一変、クルーザーで富山湾周遊にも連れて行ってくれた。こんな粋な大人になりたいなあと思ったねえ…。

――実際、社会人になって独立を考えたきっかけは何でしたか?

入社8年目に価値観が合わない上司と一緒になったことだね。それまで何千人もの転職を支援して、キャリアとかスキルアップとか助言してきたのに、初めて真剣に考えた自分自身の退職理由は「上司とうまくいかない」(笑)
でも、どういうわけか当時の社長と他事業部の部長が、起業するならリクルートでお金出すから、まずは社内で新しい仕事を作る練習しなさいと温かく諭してくれて。懐の深い言葉に決意が揺れているうちに、思いもしないことが色々と起きて私の退職話は完全に流れてしまったんですよ。

■新天地、不慣れなネットサービスに泣いた


社員旅行を楽しむ亮さん。食べる、歩く、しゃべる、全動作が素早い…!

――紆余曲折あって、リクルート本社に出向になったと聞きました。

そういう話が来て、当時の社長に恩義を感じて心機一転頑張るつもりだったんだけど、出向先の仕事がインターネットの新規事業で。合わない上司と離れられたけど、オンラインサービスなんて経験がないから、仕事がうまくいかなくて。つらすぎて社長に泣きついたら、もう戻って来いと言われて、結局古巣で人材紹介の新規事業をさせてもらったよ(笑)

――なかなか起業にたどり着きませんね?

そう。でも、新規事業をしてみてわかったんだ。世の中には新しいものを作る人と作ったものを発展させるのが上手な人がいて、自分は前者だと(笑)
大企業には使えるお金はたくさんある分、制約も多い。2年くらいたった頃、小さくて良いからもっと自由に、世の中にない人の行動や常識を変える仕組みを作りたい気持ちが抑えがたくなったなあ。

■帰郷、キャリアコンサルタントの資格を取ったら働く場が…

アールナイン創業の地・亮さんが生まれ育った富山市。3,000m級の山々が連なる立山連峰がそびえる©(公社)とやま観光推進機構

――それで、起業を目指して退職、富山に帰ったのですか?

そう。お世話になった前職と東京でライバルにならない方が良いと思ったから、いったん地元に帰ることにしたよ。誰かに言われたわけではないけど、リクルートで10年間いろんな人に良くしてもらって、会社をつくるなら仁義は守りたいなと思って。

――もともと独立して何がしたかったんですか?

最初に思ったのはキャリアコンサルティングですね。これまでたくさんの人の働き方やキャリアを支援してきた人が、同じような悩みを持つ人の相談に乗る、そんなビジネスができないかなと。

――仕事の悩みを誰かに相談するのに、お金を払うのですか?

そう。日本では、就職、転職で悩んだ時、つい家族や友達に相談しちゃうけど、専門家に相談する文化はないよね?でも、就職や転職は独断より、詳しい人が間に入る方がうまくいくことが多い。経験豊富なプロに相談できる社会が来たら、みんなもっと自分に合った働き方ができると思って。

―なぜそのようなことを思いついたんですか?

先輩の勧めでキャリアコンサルタントという資格を取ったんです。個人の職業選択や働き方の相談の乗る資格(2016年に国家資格化)。でも、取得後に経験を積む場所がなくて。需要が少ないから雇用も少ない悪循環。有資格者の働く場所をもっと増やしたいなと思ったことがきっかけだよ。

■「そんな事業は3年でつぶれる」相談したら全否定


――独立に際して周囲に相談しましたか?

あ、うん、「そんなもん3年でつぶれる」って言われた(笑)
著名なキャリアコンサルタントの方に起業の相談をしたら「お前は自信持ち過ぎ」って。人格を否定するような言葉が次々と飛んできたのは忘れられないね。キャリアコンサルタントって、人の意欲を高めてしたいことの実現を後押してくれる存在だと思っていたからショックだったよ。

――その方はなぜそのように言ったと思いますか?

最新の事情に詳しくなかったんだと思うよ。一企業に長年勤めて定年退職した高齢の方だったんだよね。資格はあるけど本人に転職経験はない。労働への価値観も少し古い。残念ながら今も変わらないんだけど、キャリアコンサルタントって働く場が少ないから新たに資格を取る若者が少ないんだよね。

■パックご飯とみそ汁で食いつなぐ…必死の「何でも屋」から一転、突然舞い込んだ「面接官を借りたい」

現在アールナインが入る虎ノ門ヒルズビジネスタワー(港区)。富山県内を走り回っていた創業初期には想像もしなかった場所に来た。(2024年、虎ノ門ヒルズステーションタワーに移転)

――そんな経緯で始まったアールナインは現在、企業の採用、特に選考を支援する会社として先駆者です。最初は全然違うことをしていたんですね?

そう。当時は社外の人が採用の選考を手伝うなんて概念なかったし、かといってキャリアコンサルティングも需要がないし…本を執筆したり、富山県内を走り回ってキャリアについての講演をしたり、とにかく色んな仕事を引き受けては安い味噌汁とパックのご飯で食いつないでいたね(笑)

――走り出しは苦しかったんですね。何が転機に?

リーマンショック後の2011年。忘れないよ。昔、お世話になった方が取締役を務める会社から「2週間で面接官50人用意できる?」って突然、相談が来たんだ。話を聞けば、景気が戻ったから採用を増やしたいけど不景気の間に人事部員を営業部に異動させてしまって、人事の仕事がわかる人間が社内にいないから、面接官を「外から借りたいんだ」と。

――当時としては斬新な依頼ですか?

斬新だねえ。書類の整理、電話受付とか事務作業を代行する「採用代行」は昔からあったけど、選考を社外に出す発想はなかったから。大急ぎで知り合いのつてをたどってキャリアコンサルタントを50人集めたんです。それで実際に面接させてもらったら、色んな人材を見た経験があって、会社に利害関係のない第三者が面接する方が、客観的に評価できる利点が見え始めた。

――それが、企業の採用支援を通して、企業からお金をもらう形でキャリアコンサルタントの働く場を創る今のビジネスモデルの原点ですか?

そう。少子化で人が減って、採用は難しくなる。法務や経理と同じように社外の知見がある人に任せた方が安心だねって時代が絶対来ると思って。うちは今、採用だけじゃなくて、従業員の育成、定着まで人を巡る問題はなんでも支援する珍しい会社だけど、原点はあの時の面接代行の依頼だね。
 
――他企業にも需要があると見込み、多くの企業が集まる都会で勝負するため起業3年目の2012年、東京に戻りましたね。

3年間、富山にこもっていたから、そろそろ「みそぎ期間」も終わったかなあと思って(笑)
お世話になった方に仁義を切った。最初にリクルートを辞めたいと私が言い出した時に引き止めてくれた当時の社長に挨拶したら「長井、頑張れよ、うまくいくと思うぞ」と言ってくれて嬉しかったね。

■「苦手なことは頑張りすぎない」就活で言って怒られた


従業員と食事する亮さん

――あれから10年以上たち、最近は企業の採用を支援するビジネスで同業者も増えました。アールナインと他の会社の違いは何ですか?

うん、他の会社は、社員が他の企業に常駐して、採用をお手伝いするスタイルが一般的だけど、アールナインは預かった仕事を細かく分解して、それぞれを得意とする社外の方に業務委託するのが最大の違いだね。
採用って、面接だけじゃなくてメール、日程調整、説明会とか色々な仕事があるのよ。ひとりでこなそうとすれば、得手・不得手が出るでしょ。だったら皆で分け合ってそれぞれが得意なことだけをした方が、効率が良い。分け合えば仕事が減って、長時間労働できない人も働けるよ。

――苦手なことを克服することが偉いと考える人もいませんか? 

多いでしょうね。でも、人は得意なことを磨き込む方が伸びると思う。私は学生時代、チームで対戦するオンラインゲームにハマっていたんだけど、きちんと役割分担するとすごく勝てたんだよね。逆にそれぞれが色んなことに手を出すと勝てない。だから就活の面接で「仕事も分け合って、得意なことを中心にすれば楽しくなります」って言ったら「あほか。1人の人間が一貫して責任を持つもんだ」って怒られたけど(笑)
でも2011年に「面接代行」を依頼された時、「あ、やっぱりこういう形で採用の仕事の一部だけを社外に切り出す需要ってあるんだな」と気づいたよ。

■「あなた、そんなに人を信じていないんですか?」刺さった一言、探している正解

新入社員と話す亮さん。「社長室」はなく、仕切りがない同じ空間で働いています。

――2023年末現在、従業員120人まで増えました。トップダウンではなく、他部署とも協力し合い、仕事の背景を丁寧に考える社風が特徴の一つと思いますが、こういう雰囲気の会社にしたかったんですか?

そうです。

――なぜですか?ご自身が通ってきた道とは違いませんか?

違うからこそ、かな。リクルートの頃、苦い経験があるんです。新規事業で自分のチームに派遣の方を50人採用して、売り上げを出すため毎日、目標、目標とはっぱを掛けたらある日突然、ボイコットされて大慌て。
わかるよね?社員は私の言うことを聞けば出世できるけど、派遣の方は同じようには評価されない。仕事の意義や楽しさを語らず、ただ「これさえすれば成果が出る」って言っても、人の心はついてこないんだと知ったよ。自分が会社を作る時は、もっと心の通った、なぜ働くかや目指す世界を共有できる場所にしたいなと思ったね。きれいごとじゃなくて本当に。

――理念にさえ反していなければ、従業員の自由に任せようとする社風も特徴的ですが、もともと自分で新しいルールを作ったり、決断したりする方が好きですよね。私たちに任せたら、思うようにならない不安はないですか?

これも難しいんだけどね…人に任せるって、信じることだと思うんです。若い頃は、他人は言わきゃ何もできないと思って、部下を細かく管理していた。でもある時、他部署の人に言われたんです。「あなた、そんなに人を信じていないんですか。あなたが選んだ部下ですよね。人材って、人の可能性を信じる仕事じゃないんですか」って。はっとしたよ。だから今、みなさんのしたいことに基本NOと言いたくない。任せるにも色んな方法がある。悩まないと言えば嘘になるし、自分の中にも正解はまだないけど、だからこそ理想の形を探し続けたい気持ちがずっとある。

終わり

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