見出し画像

ACとPTSDという側面から人生を振り返ってみる。

今日は主にAC(アダルトチルドレン)についてのお話しです。
案外このACが一番厄介なのかなって思ったりしてます・・・。
PTSDはちょびっとだけ。記事にして良いか正直迷いました。
人によっては思い出してしまうかもしれないので、不安な方はスルーしてもらった方が良い記事です。何卒よろしくお願いします。

ACって?

Adult Children(アダルトチルドレン)って、今では機能不全家族で育った人を指すけど、元々はアルコール中毒症の親の下で育った子供のことみたいですね。そういわれると、私はACを名乗ることを躊躇してしまいます。
酷い環境だったのかわからないからです。躾は厳しかったけれど、虐待ではなかっただろうし、その時代どこもそうだったのではないかと思うから。

私から見た私の家庭

私は、教育熱心な家庭に生まれました。家族・親戚見回してみて、仕事はだいたい教育関係か医療関係です。私は事務系の仕事に就いたので、親戚カーストの中では一番下。女の子でよかったねと言われていました。そんな私ですが、両親から医者になることを望まれて育てられました。なんでも勉強中心で、成績が良いかどうか、結果が出ているかどうかが大事な家族だったと、私自身は感じています。
勉強の指導は父から受けていて、間違えると怒鳴られる・叩かれる・・・そんな感じだったと思います。弟はとてもよくできる子で、勉強せずとも一度聞けばできちゃうような子でした。私は年上なのに出来ないから「なんでおまえが年上なのに出来ないんだ」って叩かれたときは思考も身体もフリーズして、どうしていいのかわかりませんでした。
反対に、母は天真爛漫な人で。今でも私には理解不能です。常に自分が正しくて、そこから外れていないときは害のないいい人ですが、ひとたび「私が正しい」の主張がはじまると絶対に折れないので、喧嘩して数か月無視されることも度々ありました。

両親の不仲と離婚問題と板挟み

そんな両親はいつも離婚するしないでもめていて、しかもなぜか、私の受験の年に大きな喧嘩になっていました。そしてもめ始めるといつも私に「もう離婚する。あなたはどうする?」と母親から投げかけられるのです。そして必ず「お母さんのお友達や両親にも話せないから、あなたに話しているのよ。わかる?絶対に人に言ってはいけないということなの。約束守れるわね?」と他言無用をきつくきつく言い渡されて。私は言いつけ通り、自分が就職してメンタルダウンするまでその言いつけを守っていました。
父は、そういった夫婦の問題は子供たちに話すことがなかったので、私は延々母からどんなことがあったとか、別れたらお金をどうしたらいいんだろうとか、小学校から高校まで延々と相談された記憶があります。正直、どうなるかわからないけど、もう別れてくれたらいいのになって何度思ったことか。また、高校3年、大学受験前も揉めて。連日連夜板挟みになって、何も手につかなくなって。でも受験は目前で・・・。その時は「頼むから勉強させてくれ!!」って両親に向かって叫んだら、「お前は冷たい人間だ、家族の相談にものれないなんて」と罵られ、「早くこの家を出て自由になりたい」と思ったのを鮮明に覚えています。

実家からの脱出と脱出後のまさかの心理的拘束

大学は飛行機を乗り継がないといけないところに決めて、やっと両親から逃れられた!!!と思っていたのもつかの間、一日5回から6回くらいの電話攻撃に悩まされるようになりました。必ず固定電話に連絡が入り、バイトしてないか(禁止されていました)、部屋に人がいないかなど色々聞かれる日々でした。1年くらい続いたかな・・・。そこから親からの電話=嫌なものになりました。今でも嫌いです。それでも、電話に出ないという選択は出来なかったし、今でも結構勇気がいります。

今の自分で振り返ってみて

随分と長くなってしまいまいたが、こんな感じの家庭で育ったので、常に干渉監視して支配したがる親の態度は本当にイヤで。良く体調を崩したり、アトピーが治らなかったり(社会人になってからも)、IBSだったり、原因不明の症状に色々悩まされていましたが、多分、全部ストレスですよね。今ならよくわかります。我慢して我慢して耐えていたけど、もう耐えれなくなると身体がSOS信号をだしてくれる。私が体調をくずして、両親が一時的に仲良くなるって感じだったように思います。子供は親に仲良くしててほしいんだろうな・・・。まぁ、それも子供側の勝手な願いなのかもしれません。

今私自身も大人になって、結婚して子供はいないけれど、両親だってただの人間で。親だからっていつも理性的でいられるはずがないことはわかります。でも私は複雑性PTSDでACで、やっとそこから抜け出せるかどうかというところで。正直まだ過去は過去だと処理している途中です。逆の言い方をすればまだすべての過去を過去にできたわけではありません。それを思えばこうやって割り切れないことがあるのも致し方ないとやっと思えるようになりました。

ACもPTSDも過去が現在・未来をも支配している?

不思議だけど、過去のことを過去のこととして処理するために、私には「まだ過去のことが過去ではなく現在・未来に影響を及ぼしている」と自覚することが必要でした。過去が現在で未来でもあってっていう生き方になってしまっているんだよって自覚して初めて、過去を過去として処理することができるようになった。これって、以前触れた自己受容が自己肯定の始まりになっているのと似ています。過去を受容して現在が始まるとでも言うのかな?そんな感じです。

過去という支配者から私を救った適応障害

起こってしまったことや過去は変えられない。そこに囚われてしまっていては自分の今もこれからも良くなっていかない。それなら自分で自分のその囚われを脱いでいかなきゃいけないんだってその自覚が出来るようになって、見落としていた日常の幸せや、これからの可能性が見えてくるようになるのかもしれません。私にそれを気付かせてくれたのが二次的に発症した適応障害だったと思います。適応障害にぼっこぼこにやられて(パニックが特につらかったです)、人生終わりにした方が良いんじゃないかとまで思って、やっと向き合えたし、なんとかしなきゃってあがくこともできました。きっと神様の荒療治だったのかな。しんどかった。

まとめ

ACもPTSDも過去に囚われてしまっているから、
「自分が過去に囚われていること」
「過去は変えられないけど、現在の自分を変えることは出来るということ」
「今が変われば未来もずっと生きやすくなっていくこと」
「これらのことがいつか腑に落ちる日が必ず来ること」

を意識していくと少しは希望をもって生活できるのかもと振り返ってみて思います。私はインナーチャイルドがはっきり自覚できるくらいにはヤバかったので(酷くなってたら解離してたかもしれません)、臨床心理士の先生のお力を借りた期間はとても長かったです。頭の中のぐちゃぐちゃを整理できたのは臨床心理士さんたちのおかげだと思います。
今すぐに整理できなくても大丈夫です。私の場合はもがいてもがいてもがいて、ある日突然「あっ」っていう瞬間が訪れた感覚でした。

これは私の主観的持論ですが、ネガティブループから抜け出して、ポジティブな方向へ向きなおし、ポジティブな方向へ進んでいく。この中の「ポジティブな方向へ向き直す」という方向転換が一番労力と時間がかかるように感じているのです。ここではそれが過去に囚われていると自覚することです。。焦らずに、でも諦めないで、つらくなったら時々離れて、また力が戻ったら向き合えばいい。それくらいがちょうどいいと思います。自分の調子や状態は自分自身が一番良くわかると思うので・・・。どうか自分の感覚を信じて大事にしてください。

以上今日も長々と重たい話を読んでくださりありがとうございます。
同じような苦しみの中にいる方、経験した方、また、理解しようとしてくださっている方、そんな方たちと少しずつやわらかい温かな輪を繋げていけたらいいなぁと思っています。これまでなかなか理解してもらえなかったから、仲間が欲しくて(笑)
そんなわけで、これからもどうぞよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?