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「普通スタンプラリー」をやめて人生をリスタートした話

「普通スタンプラリー」をしていた自分

私は静岡で生まれ、大学進学のために埼玉にやってきて、埼玉で就職、結婚、出産しました。

親は自営業の職人系で、インターネットもそれほど家庭に普及しておらず、携帯もない時代の地方出身の私にとって今のような「情報」は皆無(まあ、今思えば全部言い訳で、自分で探しもしていなかったんですけど…)。
高校進学も「なんとなく自分のレベルにあった進学校の普通科」を選ぶのが普通だと思っていたし、大学も特にこれになりたい!という将来の夢や目標があったわけでもないけど「とりあえず興味がある分野の4年制大学」という感じで進学。地方出身者にありがち(?)な東京周辺に出れば何か道がひらけるのかも、というこれまた浅はかな考えで関東に出てきたのでした(埼玉ですが)。

そして静岡に戻ることもなく埼玉で就職した私は、「地元に帰らないなら親孝行も兼ねて20代で子供を産んでおきたいし、その前に仕事もそれなりに覚えたいし、新婚生活も3年くらい味わいたいから25〜6歳くらいで結婚かな」と逆算し、そのとおりに24歳くらいに付き合った人と1年半くらい付き合ったあと、26歳で結婚し、29歳直前で出産。そして子供を保育園に預けて働いていたので「子供のコミュニティ(せっかくできたお友達など)を壊したくない」という気持ちと「職場復帰をしたばかりの会社だから申し訳ない」という気持ちから、退職も転職もしないまま新卒で入社した会社に勤務していました。

この全てが私にとって「普通の人生」でした。
今思えば、社会の流れを勝手に自分で判断して「普通スタンプラリー」を作り、決められたとおりにスタンプを押していただけなんですが、あのころの自分は何の疑問もなく「スタンダードな人生を歩んでいる」と信じて疑いませんでした。そしてその流れにいることでちょっと安心しているようなところがありました。

「普通スタンプラリー」をしていない人たちとの出会い

私の周囲には私のような人生を歩んでいる人が多く(感じただけかもしれませんが)、それもまた「自分はこれでいいんだ」「普通だ」と安心している原因でもありました。
しかし、30歳を過ぎて自分よりも5年以上も若い世代が会社に入ってくるようになったとき、だんだんと若い子たちの価値観が変わってきていることを実感し始めました。
なんというか、「世代」という感覚はなく、「自分」を持っているような。それを「世代の違いだ」というとその世代にはそういう考えがダメなんですよ、と言われちゃうんですが…(あ、また世代って言ってしまった…)
この時私は、若い子たちを見て、「世代」という言葉でくくっている私たち世代は、なんとなく社会的にこれがいいんじゃないという流れを勝手に読み取り、それに合わせてきてしまった感じがあるな、と気づいたのです。

・とりあえず高校は普通科の進学校(だいたいそうだから
・とりあえず大学は4年制(みんな行ってるから
・就職する(みんなしてるから
・親にウェディングドレス姿を見せたい(同世代が20代で結婚してるから
・孫の顔を見せてあげたい(周囲が20代で産んでるから

そうなんです。
私はなんでも「みんなこうだから」と勝手に決めつけてきた結果、一度も自分で人生を選択していなかったのです。
別に誰にこうしろと言われたわけじゃないのに勝手に周囲の流れに流されて自分を持たず、世の中の平均値みたいなところを彷徨っていただけだったんですね…(それも自分が勝手に決めた平均値ですが)。
それに気づいたのが30歳過ぎ。ちゃんと自分のやりたいことを見つけて自分で選んだ人生を歩んできた若者たちを前にして、今までの自分に絶望しました。なにやってたんだよって。

「普通」から抜け出す苦しみ

そんなときに日々のすれ違いから夫との仲がだんだんとおかしくなってきてしまいました。
夫が帰ってきて「ただいま」と言われても「おかえり」とも言えなくなり、顔も見たくなくなり、会話もなくなったとき、子供に「ママ最近笑わなくなったね」と言われました。
何かがもう限界だったんでしょう。何かはわからないです。いろいろなことがじわじわと重なり、傍からみたら「仲良し夫婦」の私たちにはもう夫婦としての絆や思いやりはありませんでした。
子供の前では笑うようにしていたのですが、やっぱり気づいていたみたいです。本当にそんなことを言わせてしまって申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

しかしその時すでにマイホームも建てて(私名義のローンもありました)、子供も小学校に進学するころ。転職も厳しい年齢になり正社員でいるためにはこのまま働いた方が無難だし、子供も悲しませたくありませんでした。

そう、離婚しないことこそが現状から判断して「普通」でした。

人生にリセットボタンがあればいいのに、と何度も思いました。
あのとき自分でもっと大学について調べてたら、就職することについてもっと考えていたら、結婚相手を人生の逆算で選ばずもっと自分の気持ちと向き合っていたら…
そんな気持ちがぐるぐると渦巻いて、でも、誰に相談しても、何度考えてもいつもたどり着くのが「結局自分はどうしたいんだ」という自分への問いかけ

私の人生はずっとこの問いかけから逃げてきたんだ、とこの時思い知ったのです。
自分と対峙することは自分の嫌な部分も全部受け入れないといけないし、今までやってこなかったのも全部自分のせいだ、ということを受け入れないといけないので本当に苦しくて、苦しさから開放されたくて何度も逃げようとしました。
でもここを乗り越えなければ不満を持ったままの人生を歩むことになる…。
そうして何度も何度も考えて、自分と向き合って、「離婚」ということを決めたのでした。

人生にリセットボタンはないけどリスタートはできる

その後、現在の夫と入籍し、今は妊娠6ヶ月。
離婚した時、子供の環境を優先して考えた結果、元夫が親権を持つことになりました(まあ、これもいろいろありましたが、割愛…)。
子供とは月に1回2人で遊んだり、学校行事を見に行ったりしています。離れていても母親なので、もちろんいろんな心配もありますが、子供にも子供の意思があるし、1人の人間として尊重し、接していきたいと思っています。

今となってはこれまでの自分の人生を受け入れて進んでいくしかない、と腹を括っているので、人から何を言われても気にならないようになりました。
あんなに周りに流されていたほうが楽だと思っていたのに、あのときよりもすごく楽になりました。不思議なものです。

人生にはリセットボタンはありません。
しかし、リスタートしたい、という気持ちで人生を選ぶことはできます。というかそれしかできない、ということを私は学びました。
35歳を過ぎてのリスタートは遅いかも…なんて少し前の自分だったら思うかも知れません。「普通」ありえないよねって。
でも今は全然なんとも思いません。むしろこれからの私の人生においては今この瞬間が一番若いわけだし、人生100年と言われてきたからまだ60年以上も時間があります。これからもいろいろなことを自分で選んで挑戦していきたいと思います。

今悩んで苦しくてモヤモヤしている人に、こんな人もいるよ、とお伝えしたくて書きました。参考には…あまりならないかもしれませんが(笑)


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