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500日以上の単推し生活を辞めた話

「今日もあの子が頑張ってるから
                                      私も頑張ろう」

そうやって推しメンを
毎日の原動力として生きていた私。

約500日間、その単推ししていた推しメンから秋になろうとしている8月末に、離れた。

ヲタク用語でいうと
そのグループから"他界"した。

きっかけは簡単で、我慢の限界だった。

ずっと好きでいなきゃならない、
私がいなくなったらあの子がアイドルとして生きていけない、そんな束縛された思いに縛られていた。今思えばこの気持ちは典型的なキモオタ思想だけども。地下アイドルで初めてチェキを撮り、その子としか撮り続けなかったわたしは正真正銘の単推しだった。

他界してから彼女がいたグループと対バンしてハマってから通っていたアイドルさん用(特典会は一度も参加したことがなかった)アカウントを本格的に動かし始めた。どっから見つけたのか、誰かが告げ口したのかわからないが彼女からいいねが飛んできた。専垢を消して、オタクたちと繋がっていた垢も消して、ツイッターとインスタのフォローを外し、何も言わずに消えたので気にしてくれたのかもしれない。オタクがアイドルから離れるときにいちいち他界するね!なんてDMするのはきもいと感じたから何も言わなかった。彼女に言えなかったことをここに全部書いていこうと思う。

アイドルにハマったきっかけ


中学2年のときから大学2年の今まで女性アイドルグループがすきで、年を取るごとに推すグループは地下へ降りていった。きっかけは緑の坂道グループだった。かの有名なサイレントマジョリティーに惹かれて初めてアイドルという文化に触れた。初めは曲を聞いたり、けやかけを見るだけのかわいらしいものだった。そのうちに握手会という存在を知り、中学3年生の夏にひとりで全国握手会に行った。だいすきで憧れのアイドルと握手をして、たった数秒でも話せることを知ったときの感動、そして初めて手を洗いたくないと思ったことがオタクの始まりだったのかもしれない。生写真にグッズ、全国握手会、個別握手会と参加するイベントにもグッズに使うお金が足りなくなってグループも大きくなっていったところで自然にフェードアウトした。

運命の出会い

※一部改ざん
アイドルオタクからフェードアウトをしてからはバンドに通った。それなのに、そのままでよかったのに。高校3年になってからあるグループと出会った。そこは私と同じ誕生日にデビューする地下アイドルだった。地下アイドルなんて赤チェックのシャツに眼鏡そして両手でリュックを背負ったおじさんがいっぱいいるイメージしかなかったし女の子がひとりでライブに行くような場所じゃないなあと感じたが、「私の誕生日とデビュー日 一緒とか運命やん!」と、なんせ1人行動が得意なものですぐにライブに行った。私はそのグループのある曲を死ぬほど聴いていたので、初めて聴いた時は涙が止まらなかった。それに、ステージからありえんくらい近くて私に気づいてレスをくれる、ツイッターにもいいねをくれてとにかく今までとは比べものにならないくらい距離が近い、その結果沼にずぼずぼハマっていった。ちなみにそのグループには最初に書いた単推しした彼女はまだいない。

半年くらい、そのグループのライブには通うものの、特典会には一度も参加したことがなかった。あんなかわいい子と近くで話すなんて無理、たったこれだけの理由だ。私は顔面の自信がない、自分の顔が嫌い、メイクをしても垢抜けない、黒髪だから垢抜けない、服も普通でかわいくない、鏡を見るたびに涙が出る。だから特典会には一歩も踏み出せなかった。ライブを見ては即帰り、リプ・DMで感想を伝え、配信でコメントをする。側から見たら在宅がするようなことをずっとしていた。それくらい、アイドルとたった数秒横に並ぶことが嫌だった。そんなこんなで一度そのグループが解散することになった。新メンバーオーディションをしてまた新体制になるということだったが、正直モチベが上がらずもういいやと情報をシャットアウトしようと公式のフォローを外しかけたとき、目に入ってきた動画に心を奪われた。


はじめまして

その動画は新メンバーオーディションの最終審査の動画だった。ひとりひとり意気込みとか志望理由を言う内容で、ほんまにそんなこと思ってるんかな、なんてきもいオタク目線で観てた。(何様)そこでひとりの女の子に目をつけた。その子こそ、私が単推しをした彼女との出会いだった。彼女は一度社会人を経験し、やっぱりアイドルになりたいと奮起した、夢を諦めないその姿に憧れた。彼女が無事にオーディションに合格したのでそのグループに通うことにした。これが大学1年生のときだった。

彼女は毎日一生懸命だった。毎日配信をしてツイートしたり当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、私が初めて地下アイドルで箱推しではなく、この子を推す!この子との特典会を初めてにする!と決めた女の子だったので存在が救いだった。彼女にとって初めての女オタだったので謎の優越感もあった。初めて会いに行けたのがデビューして2ヶ月目だった。感染症が大変なことになっていた時期だったので私は全く足を運べなかった。彼女に会うために全く興味がなかったメイク研究をしたり、かわいいお洋服を買ってみたり、バイトをしていなかったのでお年玉、そしてお小遣いをかき集めライブに行った。

画面越しではなくステージ上で見た彼女は当たり前に生の方が可愛かった。最前にいる私に気づいたときの驚いた顔からのとびっきりの笑顔は今でも忘れられない。可愛かった。初めての特典会。チケットの買い方も並び方も荷物を握手会みたいに預けるのかとか何にもわからなくて、誰にも聞けなくて帰りかけたけれど勇気を出して運営の人にどうやったらチェキ撮れますか?って聞いたことを今でも覚えている(笑)
丁寧に教えてもらい、特典券を4枚購入し列に並んだ。いざ自分の番になって目の前に行くと緊張とかわいいとすきで涙が溢れた。
「わたしほんとに(私の名前)のことが1番すきなの!!!」
こんなこと言ってくれたらそりゃ堕ちますよね。私のためにかわいくしてくれたんだねって言われたことも嬉しくて堪らなかった。目の前と家でもたくさん泣いた。

無事に初接触を終え帰宅した私はすでに作ってあった専垢に感想をばーーーって書いた。それに彼女は全部いいねをつけてくれてそのたびにスクショをしてすきだなあって余韻に浸った。そこからは、もっと感染症がすごくなって大学もオンラインで家に出れず会いに行けない日々が続いた。毎日専垢で彼女の好きなところを呟き、ツイートの写真を保存し、オンラインチェキを買い、家でチェキ飯をし、毎日してくれる配信でコメントを送り画面録画をする。せっかく第一志望に入学したのにオンラインやと面白くないなあとめそめそしてた私にとって、彼女が毎日頑張ってるところを画面越しに見ることで勉強を頑張れた。本当に彼女がいなければ私は大学を辞めていたと今でも思う。それくらい彼女は私にとって頑張る原動力だった。

彼女のため

そんな彼女のことがだいすきだった私はだんだん拗らせてしまうようになった。気づけばアイドルとしても女の子としても好きな存在になっていたので在宅のくせに激重の気持ちをツイートするようになった。(この頃は全部にいいねくれてたけれどね)デビューしてから毎月1枚手紙を送り、同担拒否をし、彼女のいいね欄を片っ端からブロックをする。根本的には専垢がバレたくなかったからし始めたこの行為も彼女にとっては嫌なものだったのかもしれない。結局自分のオタクは仲良くしてくれたらうれしいなんて言葉を配信で聞いたからか、同担拒否を辞めた。(単純)応援しているのに悲しませたくなかった。とにかくだいすきだった。フォロワーが伸びないと泣く彼女のためになりたいと思い布教画像を作り布教用アカウントを作りオタクと繋がり始めた。鍵垢をたくさんつくってフォローした。

書くの疲れてきた^^まだ頑張る

布教画像は彼女が喜んでくれて、知らないオタクにも褒められることが多くて嬉しかった私は、数少ない同担のオタク17人に彼女の好きなところだとかパフォーマンスの好きなところだとかアンケートに協力してもらい最高の布教画像を作った。アンケートの文章をまとめたり配置を気をつけたり会ったこととない人に協力してもらうなんてとんでもない行動力だと思う。何が何でも彼女のためになりたかった。普通にオタクと繋がることは怖いし嫌だったけれど、彼女が喜ぶからツイッターでたくさん絡んだ。相変わらず会いに行けないので専垢では愛を好きなところをツイートし、毎月の手紙も書き続けていたが、彼女がしたある決断で彼女から2週間ほど離れることになる。


ひとつのことを続けることの難しさ

その決断は彼女が毎日配信を辞めることだった。ツイートを遡ると思い出したが、私は彼女の配信を本当に毎日楽しみに生きていた。会えない中で画面越しに会えることが救いだったので、彼女の決断がとても悲しかったし簡単に会える人は何とも思わない、たまにはゆっくりする時間も必要だよなんて言える余裕が羨ましくて悔しかった。毎日配信を辞める理由はその時間にダンスの復習をしたりしたいみたいなことだった。"確かに大事な理由だけど、毎日続けてることを辞めるのもったいないよあの子(彼女が対バンしたときに写真撮ったアイドル)は毎日〇〇してるよ頑張ってほしいよ私は会えないから毎日見れないの悲しい"って感じの、長文を送った。いつだって全肯定をしていたけれどそのときはできなくて責めるような形になってしまった。結果専垢のいいねが来なくなり、配信でコメントをしても私は人と比べられたくなかったなんて公の場で言われちゃって初めて干されるという経験をした。初めてといっても彼女しか推したことがなかったので、これが噂の干されるかあ、って感じでどうでもよくなった。こんなにも好きなのに、オタクと繋がりたくないのに繋がって宣伝画像作ったり、あなたが望むように推してきたのに、私が選んでしてきたこととはいえ、全部無駄だったんだなと冷めに冷めた。"あなたを大切にしてくれる人のことは絶対に干さないでくださいみんなあなたを想ってるから私以外はもう干さないでください"なんてDMを号泣しながら送りSNSをログアウトした。

出戻り


2週間くらいツイッターに浮上しなかったのだが、だいぶ前に頼んだ代行分のチェキが2人のオタクから届きお礼をしようと開いたらDM欄が大変なことになっていた。開くと"あの子の様子がおかしい"、"(私の名前)さんがいないとあの子がだめです"、"お願いですから戻ってきてください"、"特典会で(私の名前)さんの話をしたのですが‥"なんて繋がってたオタクさん方からたくさんのメッセージが届いていた。励ましてもらったり、あなたの存在はあの子にとって大きなものなんですよなんて温かすぎる言葉をもらって、存在していいんだとそんなこんなでまた戻ることにした。その時の記憶があんまりなくてどうやって前みたいに推すようになったか思い出せないけれど気付けば元通りになっていた。オタクたちからのメッセージがなければ私は一般人の生活に戻っていただろう。そして感染症の流行が落ち着いたその頃、2回目の彼女に会いに行く計画を立てる。その頃にはバイトを始め家に納める用にも、奨学金を払う分も、オタク用のお金を用意することが出来ていた。両親はオタクをすることに理解があったので泊まりなしの遠征の許可が降りた。(ありがとう)仲直りという名の初遠征をした。ひとりで新幹線に乗り初めての土地に行く。それだけでわくわくした。2回目の特典会では8枚の特典券を握りしめていた。ありえないくらい距離が近いチェキを撮り、何話したかも覚えていないけれど手元にあるチェキを見たら私も彼女もただただ幸せだったんだなってことは分かる。

初めての生誕祭

無事に仲直り(?)をした私はまた専垢を復活し毎月手紙を送る元の生活、さらに好き度が増したオタ活を送り始めた。そして彼女にとって初めての生誕祭が開催されることが決定した。生誕祭は唯一推しのソロステージがあることを知っていたので特別な衣装を着た彼女を見れることがとにかく幸せで、、。世界一のお姫様にしてあげたいと思い生誕委員に入り着々と準備を始めた。もちろん生誕委員にいるのは男性ファンばかりで1人女の子ぽつんは勇気がいることだし、生々しいが何よりも費用が高い。けれども生誕委員をして、生誕祭にも顔を出したら彼女は絶対に喜んでくれる自信があったので不安を押し退け参加した。メセカカバーを作りながら同時進行でSNS用の本人不在の生誕祭の準備をした。彼女が好きなケーキを作り、写真やチェキを並べたりするあれである。しまいにはアクスタやチェキを入れられる痛バ、動画なんかも作っちゃったり、今まで生きてきた中で1番準備をしたし誰の誕生日を祝うのよりも楽しみだった。生誕祭のチケ番はくそ番だったが優しいオタクが譲ってくれたおかげで最前で見ることができた。生誕祭当日、彼女は本当にお姫様だった。世界一可愛かった。念願のソロステージを見てる時はシンプルに結婚したいと思った。フラスタもケーキも、私が作ったメセカカバーもめちゃくちゃ喜んでくれてる配信を見ながら号泣した。この頃は楽しかったなあ、と今書いてて思う。彼女を好きな気持ちだけで生きていた。

彼女以外見えない

彼女を推して1年が経った。その頃の私のツイートは好きだとかそういう誰にでも言えるような言葉は無くなっていた。本当に好きな人にしか思わない言葉ばかりツイートするようになった。私がアイドルならこんな言葉を伝えてくれる女の子は監視して全部いいねするし毎日楽しみなんだろうなと自分で思えるくらい全肯定の専垢だった。落ち込んだときとかは1番にツイート見に行くと教えてくれたので彼女にとって見たら救いになれるような言葉を選んで一言一句気持ちを込めて送信していた。一時期、オタクに見られるのが嫌でDMに送っていたけれどツイッターがいいと言われたのでツイートしていた。私の専垢の他のオタクとは違うところ、それは日常ツイートが一度もないことだ。開けばアイドルでいてくれてありがとう、何があってもあなたの味方だよ、みたいな長文をツイートしていた。今までひとりの人を好きになったこともあったし恋人だっていたけれど、彼女に伝えたい言葉はいつも初めて思いつく言葉ばかりで本気で恋してた。彼女のアイドル像にも、ひとりの女の子としても私にとって憧れの存在であり彼女にしか救われなかったし、SNSは彼女しかフォローせずに本当に彼女にしか興味が湧かなかった。ゾッコンのまま大学2年生になるときには月一で会えるようになった。

確レスの存在


ある対バンがあった。彼女にしか興味がない私は対バン相手のグループをいつも通りぼーっとペンライトの色を照らさずに見ていた。なのに、執拗に目をあわせようとして確レスを連発してくるグループに出会った。そのアイドルたちがレスをしてくれる度に鳥肌が立った。その場にいる人を楽しませようとしててすごい、ああ、これが確レスかあと素直に嬉しかった。だいすきな彼女からは確レスというものが来たことがなかったからだ。ライブ中に目があって笑ってくれることはあっても振り付け的にもレス曲が少なかったせいか確レスを回収したことがない。私は彼女しか見てなかったから見逃していることは絶対になかった。帰り道、その確レスグループのことが気になって調べ曲を聞いたり動画を見てまんまと虜になった。月一で誰の色も照らさないままそのグループに通うようになった。そこでの対バンでも楽しいグループにたくさん出会った。リフトやマサイ、推しジャン、ツーステ、拳をあげたり声出しmix打ちなどを覚え色んなグループに行ってはライブを楽しんだ。めちゃくちゃ楽しそうなのに特典会には行かないオタクだった。超箱推しなのに絶対レスが来るグループなんて楽しすぎてメンバーとも話したかったが、彼女にしか行かないと言っていたし私以外、本当の単推しはいなかったので本当に特典会に行かなかった。何よりも彼女にとって私は単推しでいつも好きでいてくれるオタクだと信じてくれていたと思うから裏切りたくなかった。

それぞれの推し方


そのままどんどんヲタクに育ち、彼女に会うライブで手元のサイリウムの数が増え、振りコピも激しくなり、他のグループのノリで行くようになった。彼女はサイリウム6本持ちとかも喜んでくれたのでしてたし、チェキのポーズも彼女が嫌じゃないと言ってくれたので他のオタクとやってるのを見たことがないようなものが増えた。(常識の範囲)オタクと繋がってる垢でチェキツイはしていたし同担も見ていた。そんな全力で彼女だいすきヲタ活ライフをエンジョイしているときにDMが2通届く。それぞれ違うヲタクからで、最近調子乗りすぎじゃない?みたいな内容でした。チェキの距離が近い女だからって辞めろよ、みたいなもう消したし思い出したくもないけれどFFの同担しかもグルからの誹謗中傷の長文。これを読んだとき、2回目の冷め期が訪れた。なんで単推しといいながら他のアイドルフォローふぁぼりつ、好きもかわいいも言ってるあなたたちに言われなきゃいけないのと生誕祭を一緒に盛り上げた人たちだっただけに傷ついた。まあこのことはあんまり思い出したくないので割愛するけれどなんとか乗り越えてまた彼女に会いに行った。

あたりまえの存在


推し初めて400日近くなるこの頃から、彼女のファンになるオタクが一気に増え始めた。毎日見てくれていたツイートも2日に1回に減り寂しくなった。特典会で伝えてくれる言葉が本心であることを理解していたけれど、やっぱりツイートに反応がないと悲しかった。会えない間に繋ぐものは彼女からのいいねだったのでワガママなのは分かってるし、アイドルのいいねなんてボランティア活動みたいなものだし期待しちゃだめだと言い聞かせて寝る毎日。朝起きても彼女からの通知がないと激凹みをしうなだれる。常に情緒不安定だった。彼女のいいね欄を見ると他のオタクのツイートにはいいねしてるし悔しいなあとなった私は鍵垢で同担の専垢を見ては、彼女にとって支えになるようなツイートをするようになった。例えば、"いいねがないと落ち込む"ツイート見れば"去年に比べてたくさんファンが増えて、ひとりひとりに求められることが違うから気持ちを伝えることがもっと大変になってると思うけれど、私のこともちゃんと見てしっかり伝えてくれるところだいすきだよ、あなたのすきなところ増えて仕方ない🫶🏻"みたいな。それでいいねが来たら求められてる言葉だったんだなと安心するような日々が始まった。そんな言葉たちを呟いてはいいねで喜び、いいねがなかった言葉を見るとそっとツイ消しをする。(ツイートを見逃していることもあることは理解してる)辛くなったら私のツイートを見てと言ったけれど、最初のような好き!って気持ちよりは"あなたがいなくなったらアイドル辞めるから"という言葉を信じ込み支えにならなきゃ、って勝手に自分を束縛していった。馬鹿ですね。そうやって自分で決めつけていったこと。そんなことくらいわかってます。彼女は何にも悪くないよ、あくまでアイドルとしての言葉だから。今見ても私のツイートは最後まで好きで溢れてたし、本当に好きな気持ちで苦しかった。彼女にとって好きであたりまえな存在でいれたことが誇りだった。



彼女のパフォーマンス容姿ともに魅力が増してさらにオタクが増えた。そんななかで私はふとあることを思う。私の専垢誰かに見られてるんじゃない?って。今まで見なかったツイートアクティビティを見て驚いた。彼女がライブ中に私がしたツイートにかなりの数が見ていた。もちろん彼女はライブ中なので見ているはずがない。ということは彼女より先に彼女への言葉が見られている。分かってはいけれど知りたくなかった事実。仕方ない、毎日私のツイートを見る間も無く熱心にアイドルをしていると頭で理解していたのに、ずっと張っていた糸がぷつんと切れてあほらしくなった。空虚に放った、あなただけに向けた言葉たち誰かもわからない人たちに先に見られてたよ。あとから全部見てくれたらいいのにそれすらも叶わないのかってもう何も悲しくもならなかったし私いらないやん!ってなってすぐにアカウントを消した。そのままの流れでオタクと繋がっていたアカウントも消した。保存していた写真もスクショも全部消した。嫌いになったわけじゃない、ただただずっとずっと見て欲しかった。毎日わたしがツイートしてた好きを毎日欠かさず見て欲しかった。本当にわがままでごめんなさい、好きでごめんなさい、あなたを思う気持ちはかわいくてもいつまでも私自身はかわいくなくてごめんなさい。あなたが付けてくれたあだ名も、毎回くれた言葉も、パフォーマンスも全部全部だいすきでした。私のことがたからものなら、大事にしてほしくなかったし大切にしてるフリをしてほしくなかった。ちゃんと見てるよっていいねが欲しかった。ずっとずっと重くてだいすきだったことごめんなさい。最後に会った日に、"本当にかわいくなったね"って言ってくれたこと死ぬほどうれしかった。彼女の横に並ぶためにたくさん努力をした。あなたのオタクです!って胸張って色を灯せるように。私のリアコも受け入れてくれたあなたは女の子は恋愛対象じゃないはずだから無理させちゃったかもしれないね。たくさん夢を見させてくれてありがとう。初めて会った日と最後に会った日の別れ際の言葉がたまたまだけれど『(私の名前)のことが1番すきなの!』って言ってくれたこと、本当にあなたのヲタクになれてよかった、あなたに出会えてよかったと心から思えた。


もう彼女には会いにライブには行かないしSNSも一切見てない。彼女ならこれからも素敵なファンに囲まれて幸せなアイドル生活を送れるから。これからも彼女の魅力に気づく人がたくさん増えてくれたらうれしいな。私は彼女の一瞬たりとも後悔させるようなことは絶対にしないのをずっと示し続けてくれてるところがだいすきだった。

彼女にはさいっこうに楽しいヲタク人生を送らせてくれてありがとうの気持ちでいっぱい!!毎月分厚い手紙を送ってたけれどこれが過去1長い一万字を超える手紙になっちゃったなあ。
これからも彼女のアイドル人生が幸せでありますように。

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