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失神ゲームで10歳女子が死亡、プラットフォーマーの責任が重くなりつつある

先日の話です。散歩で公園に訪れ、ベンチで休憩をしていると、目の前の遊具で小学生らしき仲良しグループが遊んでいました。全員が女の子のようでした。お城のような形をした滑り台やら雲梯やらが複合された遊具です。他愛もない話をしてると思えば、そのうちの一人が遊具の屋根の上に登り始めました。下で見守っていた1人が「危ないよ」と忠告しても、登り始めた1人は「全然怖くないよ」と言って足を止めません。そして登頂を果たすと、昭和アニメの登場人物が一軒家の上で物語の重要な部分を話し始めるが如く、座ってみせました。少し足を踏み外すと下まで一気に落ちてしまいそうです。結果的に彼女は何事もなく降りた後に次の遊びに興じ始めましたが、端的に言うと非常に危ない行為でした。

子供は危険を平気で冒します。それは無知と経験不足が根底にあります。大人だと危険極まりないと分かっている行為でも、子供はそれを予知できないか、予知できても正常性バイアスが強くかかってしまいます。だからこそ保護者や教師はそこを補わなければなりません。修復可能な失敗はさせつつも、致命的な誤りは避けるように強く指導したり、物理的に保護したりします。それが未来を創る子供たちを育むための、今を生きる大人の役割です。

動画SNSであるティックトックで「失神ゲーム」に参加した10歳の女性が亡くなったと話題になっていました。この事件はイタリアで起きました。ティックトックは規約上は13歳未満は登録できません。しかしながら、このチェックが非常に甘かったようです。この事件を受けて、イタリアでは年齢確認ができないアカウントの利用を停止する措置を取っているようです。

失神ゲームとは自らの首を絞めて酸欠状態になることで陶酔感を味わう行為だそうです。その様子を撮影して投稿するらしいのですが、正直なところ私には何が面白いのか分かりません。価値観の多様性は認めるとして、やはり危険な行為です。首を絞めたら死にます。酸欠状態は死の一歩手前です。近しい人がやっていたら全力で止めるでしょう。

SNSはある種で認知バイアスの加速装置みたいな役割を果たす性質があります。大人が危ないと忠告してたとしても、数人の友人や同年代のインフルエンサーの甘くて響きの良い呼び掛けの方を信じてしまいがちです。結果として信じたい情報だけが集まることで確証バイアスが加速していき、皆(といっても実態は少数派)がやってるから問題ないと信じる正常性バイアスが加速します。

ティックトック自体がどうこうというより、SNSの性質と管理の甘さに問題がありました。イタリアで取られた対応は妥当です。日本人の感覚だと13歳という基準すら緩すぎる気もしますが、その観点における意見は省略します。子供を悪質なコンテンツやコミュニティに近づけなくするのは、子供を遊具の頂上に登らせなくするのと同様です。遊具の使い方を指導するか、それがすぐに出来ないのであれば一時的にでも閉鎖するしかありません。

アメリカ大統領選挙を通じてツイッターやフェイスブックの言論の締め出しが更なる議論を起こしています。失神ゲームの一件を通じて見てみても、プラットフォーマーの社会的責任の重さが増していると改めて実感した出来事でした。子供の健康にしても、世界の平穏にしても、国家よりもプラットフォーマーがある程度のハンドルを握るようになってしまっています。世界を形成する構成図が国家を軸としたものから書き換わってきています。この流れはしばらく注目したいと思います。


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