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【自分歴史】幼少期②

自分自身を振り返ろうシリーズ第2弾です。
どうぞお付き合いください。

今回は保育園時代。私は三兄弟の第一子、長女でした。2つ離れに弟、さらにその2つ離れて妹がいます。

※ちなみに身長は私が170センチ、弟が185センチ、妹が174センチと、まぁなんとも外見だけでっかくなってしまった三兄弟です。170センチの私が三兄弟で一番小さいということになります。巨人族。

保育園では近所にも同じ年の子がたくさんいたので、母親同士も仲良く、なにかあれば結構集まっていたのを覚えています。同級生のお兄ちゃんやお姉ちゃんも優しくて大好きでした。

ですが、なにせ虚弱体質時代だったので、何かあれば風邪をひいて保育園を休む、ということを繰り返していました。

近所の小児科で、毎回吸入をして苦い粉薬を処方されたのを覚えています。その時から粉薬はトラウマで未だに飲めません…。

更にスーパー人見知りで、実家は床屋を営んでいたにも関わらず、お客さんに挨拶するとか、コーヒーを出すとかができなかったのを覚えています。その都度、両親には叱られましたが、すぐに泣きだすので迷惑していたと思います。

そんな中、うちの絶対的大魔王、母が動きます。

スーパーの買い物に連れていかれたとき、必ず「あのおばちゃんに、今何時ですか?って聞いてこい」や「あのお姉さんに、牛乳売り場はどこですか?と聞いてこい」という指示を受け、泣く泣く聞きにいくという修行が始まりました。

やんわり覚えているのは、めちゃくちゃ小さい声で話しかけたけど、見知らぬおばちゃんは優しく教えてくれたことを覚えています。

聞くだけ聞いてお礼を言わずに母の元に戻ることも多かったので、その時には「さっきのおばちゃんを探し当てて、必ずお礼を言ってから戻ってこい」と、商品棚からそのおばちゃんにお礼を言いきるまでを監視されていました。まるで万引きGメンのごとく、商品棚の影から監視されていたのを覚えています。

そんなこんなを繰り返し、年長になるくらいには挨拶程度はできるようになりました。弟、妹が生まれたことも大きかったと思います。

次回は「急成長の小学生時代、中二病発症」をお伝えします。

ではまた!

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