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【自分歴史】幼少期①

昨日のオンラインセミナーを受け、自分自身を振り返りながら「なぜ今の自分ができたのか」を思い返すシリーズをしばらく投稿していこうと思います。どうぞお付き合いください。

生まれは石川県金沢市。1987年1月生まれのO型、床屋の第一子、長女として生まれました。両親は石川県能登(すげー田舎)の出身。小泉純一郎の顔をもっと長くしたような顔の父は、中学を卒業してすぐに金沢へ床屋へ住み込みの修行を行っており、骨太で腕力自慢な母はカネボウのセールスレディとして金沢へ出てきました。

生まれてからの3か月検診で、医師より「股関節と大腿骨がうまくはまってないかもしれない」と診断を受けました。調べると発育性股関節形成不全(DDH)みたいです。脱臼しやすくなっちゃうやつですね!

当時のことを母に聞くと、先生は生後3ヶ月の赤子を、まるで船の舵をきるように両手両足をつかみグルグルと回すので、母は驚愕して「なんて狂った医者なんだ!」と怒りを覚えたそう。その話を聞いて涙を流して笑ったのは私です。

さすがに私自身の記憶はありませんが、当時は抱っこされるときに必ず開脚した状態にしたり、おむつを何重にもしたり、そこそこ重度だったようなので専用ベルトなども装着して過ごしていたらしいのです。知らなかった。

そんな私を心配して、母方の祖父母も田舎から毎日のように見に来てくれていた、と大人になって知りました。(当時は車で2時間半くらいかかる)

親や周りの愛情は受けて育ったなぁ。と大人になった今しみじみ思います。感謝です。

が、ちょっと独特なのは、私が保育園生になり、ある程度記憶もあるころから父が言っていたのは、「俺はお前たち(3人兄弟です)を可愛いとは思わないが、大事だとは思っている」と堂々と言われたのを覚えてます。私は「へ~そうなんだ」程度に思ってたんですが、母はお腹を痛めて生んだので怒り狂ってましたね。笑

でも、この感覚はわたしは理解できるので、中身は父の影響が大きいと思います。

ちなみに私は第一子でしたので、母はもちろん、父もお産なんて初めてのことです。母の陣痛が始まり、もう分娩台にいかなくては!のタイミングで病院の看護婦さんが自宅まで電話して(自営業なので基本自宅にいる)父に来るように慌てて伝えると、父は「俺、いかんなんけぇ?😀」と言い放ち、まさかの一言に驚く看護婦さんが「初めてのお子さんで、お母さんも大変でしょうから‥」とフォローしてくれたので、「わかったよ〜😙」と電話をきり、優雅に頭を洗ってヘアセットして病院までゆっくりのんびり来た父です。

ドラマとか周りに見るような、慌てて駆けつける!みたいなのは兄弟3人ともなかったらしいです。笑

こんな風に、ちょっと独特の父と、感情を思いっきり表に出す母の元、幼少期は貧弱で毎年冬には咳風邪をこじらせて保育園をほぼ休むという虚弱体質でした。(今では考えられない)

次回は「人見知りでビビりの保育園生時代」をお伝えします。

ではまた!

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