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Vol24 人生の分岐点

退職日が決まった今。
第二の人生が始まるドキドキやワクワク感、不安感。
いろんな感情を抱えながら今日も進む。

こんにちは。しらすです。

先日退職日が決まり、一安心。心にも余裕が出てきて、身の回りの自然を強く感じられるようになった。
4年と3か月。入社してから苦しいことがあったけれど、初めて自分に「頑張ったね」と声をかけることができた。
それと同時に今までの出来事に感謝できるようになっていた。
少しは成長できたみたい。

もともと自己肯定感が低い私は、何をやっても悪いところばかりに目が行っていた。
「なんでこんなにも仕事ができないんだろう」
「責任感が持てなくなってきたな」
「逃げてばかりで嫌になる」

でもそれって仕事にやりがいを感じられない、楽しくないからだってわかった。

誰の役に立っているのかわからない。
感謝もほとんどされない。
ただただ作業をこなす毎日。

同じようなことを繰り返し、誰でもできる仕事しか与えられず、教育も行われない。先輩たちは仕事を抱え込んで全然下に降りてこない。
これって私が全部悪いのかと思っていたけどそうじゃないみたい。

悪いことは全て自分の責任だと思って過ごしてきた私が、やっとそこから抜け出して私の責任の部分と他人の責任の部分がよく見えてきた。

仕事はお金のためだと割り切れない私。割り切れたとしても、ずっと心の中で泣き続ける気がする。本音を押し殺して「仕事=くるしい」という方程式の中で生き続けるんだ。きっと。

楽しくない気持ちはライター業にも影響が出ていた。シナリオを書く時、話が浅いと指摘を受け、書いているときは苦痛でしかなかった。向いてないのかな、逃げているだけなのかな。そう思っていた。けれど明らかに「書くこと」がくるしくなっていて、本来楽しいはずの執筆活動はお金のためになっていた。

悔しかった。いつの間に執筆が嫌になったのだろう。なぜ言葉が見つからないんだろう。
私にはやっぱり無理だ。このまま飛んでしまおうかな。そんなことさえ思った。

でもたとえ遅くなったとしても返事をしないという選択肢は私にはなかった。本業で下がった責任感も少しは残っていたみたい。なんとかつなぎとめていたという感覚だ。



私の周りには仕事そのものが生き方になっている人が多い。愛情深くキラキラしている。そんな「働き方」に憧れ、私は会社員をやめることにした。

不安は大きい。経済的に生きていけるのか、ホームレスになるんじゃないか。そういった心配事は尽きない。でもつらい道のりだったとしても、いつか一人でもいいから、誰かを救いたい。

私のように親子問題を抱えていたり、気質のせいで生きづらさを感じていたり、日常で困っていることがあったり。
そんな人に希望の光を照らしたい。上からでも下からでもなく同じ目線に立って、話を聞いてみたい。

それには私が今の状況を乗り越える必要がある。だいぶ気分の波もなくなってきて、安定した状態になってきた。それでもまだ問題を抱えている。



節約できない私はお金で母と繋がりを感じることができると思っていて、自分で自分の人生の責任をとる勇気がまだない。

本当は母に愛されたかったし、母のことが大好き。だからこそ、くるしい。もうこれだけだっていうのに。会ったら絶対に振り回されてしんどくなるから地元にも何年も帰ってない。地元の景色をみたいと思うけれど、今はできない。他人を変えることはできないから、私が変わるしかない。



夢って何だろう。幼稚園の頃の夢はお花屋さん。小学生の頃は漫画家。中学生のときは音楽家。高校生では建築家かコンサートホールのスタッフもしくは設計者。大学生では、医療関係で人を救うこと。そして今はカウンセラーとライター。

今思えば、どれも人を感動させる点では共通している。特に大学生の頃は人間医工学の分野を研究し、リハビリを少しでも楽に在宅で楽しくできるようなシステムを考えていた。私自身、骨折と脱臼でリハビリを経験したけど、全然楽しくなかった。だからこそ、誰かが喜んでくれるような、楽しんでくれるような、そんなものを作りたかった。私のようになってほしくない。そんな気持ちだった。

あ、私はやっぱり人のために何かしたいんだ。自分だけが得するようなものはできないし、そもそもくるしい。人間つらいことばかりを続けるのは至難の業。誰かが笑顔になってくれるのって、私も嬉しい。たとえ会話で人を感動させられなくても、ことばや音楽で楽しませたい。



退職すると決まってから、周囲の反応が変わった。どんな人がいたかというと、何も変わらなかった人、びっくりしたと言いながら満点の笑顔の人、私を視界から消した人、一気に冷めた人、退職って手もあるよねと私に言っておきながらショックを受けた人。仕事の関係ってそんなものかと思った。人って本当に十人十色だからおもしろい。

私は今人生の分岐点に立っている。今まで学んできたことや積み上げてきたものを手放したとき、どんな自分にもなれる気がしている。勇気を持って飛び込んだそこは天国か地獄か。
たとえ地獄だったとしても私はそこから這い上がれる気がする。それくらいまでは自己肯定感が上がった。高校生の頃、この世から自分を消そうとしたときほどつらいことはこれから起こらないと思う。何があっても生きるって決めたから。消えるなんてことはもうしない。そう決意したから。



雑談が苦手な私。先日イベントに行って、どうしようという気持ちだった。けど、優しすぎる思いやりのある人ばかりで、いつもより話せていた自分がいた。できなかったことよりもできたことに目を向けられるようにもなった。
本当にありがとうございました。また会いたい人ばかり。

私を変えてくれたのは、紛れもなく、ぬんさんとようへいさん。出会えたことでどんどん人生が進んでる。愛情深いお二人にいつも助けられています。感謝してもしきれません。
私でもここに居ていいんだと思える場所が出来つつあって、私は本当にラッキーだし、恵まれている。これからも感謝を忘れずにいたい。



私の中にはいろんな自分がいる。例えるなら映画『インサイド・ヘッド』のよう。ずっと泣いている。相手を責めている。自分を責めている。他人と比べまくる。そんなネガティブな自分がいつもいる。
これと付き合うのは難しいししんどいけど、きっとずっと一緒にいるだろう。

私は環境に影響を受けやすい。流されやすいからこそ、どこに身を置くのかが大事。人を上から見る人の近くにいるとそうなるし、逆に思いやりがある人の近くにいるとそうなる。自分で気づいて愕然とすることもある。いつの間にこうなっていたんだと自分が嫌になることもある。自分の価値観も分からなくなり、「何のために生きてるんだっけ?」「何でこんなことしてるんだ?」とも思う。客観的に見てみると、今までここに執着していたことが不思議だったりする。コンフォートゾーンから出るのが怖くてただただすくんでただけかも。「自分で選択する」ことができなくて、ずっと小さいことから自分で決める練習もした。だからこそ今のタイミングだったのかもしれない。

大学生のときはいい環境を自分で選べてた。けれど、最初に入社した会社の価値観に染まり、自分で選ぶのではなく、我慢しなければならない、自分の失敗を認めたくない、そんな気持ちがあった。だって我慢をすることがデフォルトだったから。小さい頃から自分の本音を隠して押し込んでいたから。自分が我慢すればいいんだ。他の人がつらくなっていなかったらいいんだ。だから私をいじめてくれればいいんだ。それが平和に過ごすことには必要なんだ。ストレスのはけ口にされる自分。それでいい。そんな悲しい気持ちでいた。

ひとりぼっちでつらかった。毎日泣いて、それでもなんとか会社には行って。軽くうつ病だったかもしれない。



変わるってしんどい。今までの生き方を変えていくのって大変かもしれない。それでも変わりたいから自分と向きあうことを大切にしたい。

可哀想アピールをするのではなく、対等に人とつながりたい。

ゆっくり少しずつでも私は変わる。そう決めた。自分の第2の人生を輝かせるために。今日も前を向いて進む。

たくさんの人が心穏やかに過ごせますように。

ぜひ公式LINEに遊びに来てください。相談受け付けてます。

しらす

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