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Vol.27 エスケープしたい

嫌な記憶。

誰だって思い出したくない。

私もその一人。

いじめを受けていたときのこと。

疎外感を感じたこと。

一度も話したことない人に笑われたこと。

どれも生きていたくないと思うのは一緒。

私は誰にも必要とされていない感覚。

生きてていいのか、わからない。



母親のことは乗り越えられてきたと思ってた。

けれど、精神的に虐待をされていたことを思い出したら、
泣き出しそうになった。

いや、泣きたくなった。

「私が悪いんだ」

「私の性格が悪いから責められるんだ」

「私がいるから母親が不幸なんだ」

そうやって理由づけをして「私が悪い」に帰結。

どこか怒りを手放せたと思っていたけれど、
無意識に手放したことにしたかったんだ。

一回怒りを外せたから、次からもできる。

そう思ってたけど、外し方をまだ上手く言語化できない。

俯瞰的に見る。

親が苦しんだことに思いをはせる。

人生の中で、すべてがつらいことばかりではないことに気づく。
(愛し愛されていた記憶を思い出す)

この3つはわかってる。

それがなかなか俯瞰して見れなったりしてる。



母親へは愛情が生まれたときからある。

だから許せる部分もあるし、本当は好きなんだと認めることはできた。

「毒親」って呼びたくないと自分で気づけた。

けれど、赤の他人だったらどうだろう。

もともと愛情があるわけではないし、
相手がどう生きてきたかもわからないから難しい。

今でも、どうしても怒りが取り外すことができずにいる。

だから、トラウマとなり襲ってくる。

自分軸ができたら穏やかになれるとかじゃないと思う。

ちゃんとその時の感情をしっかりと感じ、
浸って感情を認めてあげることこそが「救い」となる。

あぁ、私は逃げてたんだな。

ここでは書けないような暴言を吐かれた時期もあった。

言い返したい気持ちは今でもある。

でも言い返せない自分もいる。

だって怖いから。

自分のために反抗するなんてしたことないから。

イメージの中では完璧でも、
「これを言われた人は私と同じように傷つくだろうな」
と思ったら言えなくなる。

こんな私はおかしいのだろうか。



「やさしさだけでは生きていけないよ」
と言われたこともある。

今になってその言葉の裏に感じたのは、
「私はあなたのやさしさを利用しますよ」
というサイン。

相手を利用してやろうとする人は、同じオーラをまとっている。

どれだけ愚痴を言って待遇がいい人。

実は人を上からみている人。

もう嫌だ。

そう思ったから前職をやめた。

組織に入るといざこざが多い。

出社スタイルだろギスギスした感じも増す。

在宅はそこらへんをあまり感じないから良き。



こういったことから逃げたい。

けれど逃げるとあとで大きくなって返ってくるから、
今のうちに問題の芽を摘んでおきたい。

一人でできるかな。

不安だな。

でもこれからは自分で自分を癒していかなきゃいけない。

また困ったらこうやって書き出してみるね。

今立ち向かってることは、
将来何倍にもなっていい形で返ってくるはず。

ただただそう信じて、行動し、時には立ち止まって自分の感情を知る。

私の強み「やさしさ」を大切に生きていきたい。

私は不器用だから、そうやってでしか生きていけないから。

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