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秀句巡礼番外・句具ネプリ冬至編(前編)

#句具ネプリ 、今回もとても楽しく拝見しました。色んな方の色んな作風に触れることができるのが醍醐味ですね。特に好きな句をTwitterで挙げたので、簡単に鑑賞してみたいと思います。

街小春鎧坂下理容店 吉田芳子

漢字のみの表記ゆえ目立つ。その硬さに触れつつ読めば、ただ硬いだけの句でないことが明らかになる。小春の理容店がこの句の核。サインポールと大きな鏡、雑誌を手に憩う客たちの背など穏やかな光景がありありと浮かぶ。この触感のギャップ。敢えて食感に例えるなら、外はカリッと中はふわっと…とでも言うべきか。

湯豆腐やひとりのときは肉入れて 堀田季何

この句の眼目は「ひとりのときは」。湯豆腐に肉を入れるという、ささやかな出来事を詠まれていつつ、その幸福感がよく伝わってくるのである。鍋、食卓、団欒といった自然だがありふれた心象の連続が、良い意味において裏切られている。1人で鍋と対峙するときの、淋しさを超えた自由を思う。心を、温めてくれる句である。

マフラーのうまく巻けない影ぼうし 土屋幸代

見つめる対象がその人そのものではなく「影ぼうし」である、という意匠がまずは面白い。そのままこの句を見つめているうちに、どこか本体から離れて動く影を連想してしまうようになった。しかもこの影ぼうし、「うまく巻けない」のである。作者の意図は不明ながら、影という存在の不思議さをコミカルに描かれた作品として読むのも面白いと思う。

風花や爪噛むまへに手をつなぐ 箱森裕美

「爪噛むまへに」から、手を繋ごうとしているのは幼い子だろう。風花が舞う中、どこか確かなものを欲する心持ちが連想される。取り急ぎ、目の前の子どもである。ともすれば、どこかへ飛んでいってしまいそうな、幼い我が子の手をとる。すっかりととる。こうした安堵の連続が、つまりは子育ての日々だと言えるのではないだろうか…。

生きるとは吸ふて吐くこと息白し はまゆう

この句を詠んだときに、過去に自分が詠んだ句《吸へば腑を吐けば皮膚灼く暑さかな 涼太》を思い出し、勝手に懐かしさに浸ってしまった。冬という季節にあって、生きとし生けるものすべてが行う呼吸。命の、文字通り息づく姿に感じる逞しさ。それと同時に物─息を潜めるように位置している道、車、塀、家々、街並みの無機質な冷たさまで思い浮かべることができる。翻って「生きるとは」の余韻をいま一度味わう。いま、生きていることへの実感、歓びがこの句の基底に感じられ、寒さを詠みつつ温もりを感じさせてくれていると思う。

後半に続く…。

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