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名将 清水宗治(4日目)

備中高松城に赴く。

が、途中に桃太郎伝説にゆかりのある神社があると先輩が言うので立ち寄る。先輩曰く非常に変わった刀を持つ桃太郎像があるという。
吉備津彦神社はなかなか立派な神社だ。先輩が言ったような変わった桃太郎像は残念ながらなかったが、社殿は立派だし回廊もスケールが大きくよかった。紫陽花を見に多くのお客さんが来ていた。
回廊を歩いているととにかく汗が出る。ジーンズが汗を吸って足にまとわりつく。

神社の紫陽花 
回廊

吉備津彦神社でカロリーを消費した後に高松城址に。

どうでもいいことだが、備中の地名は、備中高松、備中高梁、備中松山など備中がつく地名が多いような。例えば「俺が本家の高梁だ!」と言えない事情があるのだろうか。

高松城址は田んぼの中の湿地帯。池に繁茂する蓮は、往時もこのような風景であったのであろうと思わせた。

高松城址の蓮


公園内の資料館では、いかに清水宗治公が名将であったかを力を込めて展示している。
清水宗治や宗治に殉じた武士たちの子孫は毛利家で禄を食んで今も続いているようだ。



秀吉の喧伝工作の巧みさを感じる。
秀吉にとっても備中高松城での戦いは大いにPRする価値があったのだろう。
高松城の戦いは、中国大返し、山崎の合戦と秀吉が信長の仇を討った。という非常に重要なストーリーの起点だからだ。高松城の戦いのドラマチックな事実はストーリーの価値を高める。さらにこのストーリーは天下取りの話に続く。立志伝は奇想天外、波瀾万丈のストーリーの方がウケがいい。
さらに城攻めの天才秀吉は、名将清水宗治を誰も思い付かない奇策で打ち破ったとなれば秀吉の価値がさらに上がる。どこにでもいる凡将ではなく、名将を屈服させたから価値があるのだ。

毛利家にとっても宗治が名将であること、敗れたとは言え顕彰し子孫を大事にすることはメリットがあっただろう。少なくとも負け戦のイメージがやわらぐ。太閤殿下が相手では如何に名将でも仕方ないよね。

今でも悲運の名将が自己犠牲により散ったという話は受けるのだろう。

そんなことをぼんやり考えた。

秀吉って本当にすごいな!
みんな満足。
自分が一番満足。
相手の毛利も満足。
世論も陰謀まみれではなく、面白おかしく天下を取ったなら楽しいだろう。だから太閤記なんて物語も生まれたわけだ。
まさに三方よしだな。

せっかくなので、渋る先輩を説きつけ、秀吉の本陣があった最上稲荷に上がる。
先輩には初詣で猛烈に混雑しているイメージがあったようだ。
本陣跡は本殿のさらに上でここでも大汗をかいた。

最上稲荷の門前はひっそりとしていた。商店街支援しないと。

先輩の家に戻ったら電池が切れて眠りに落ちてしまった。

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