「#」だけでは伝わらない

ここ最近、タイムラインでよく目にする「#検察庁法改正案に抗議します」の字面に飽き飽きしていた。その考え自体を否定している訳でなく。

語弊が無い様に言うと、そのハッシュタグ"のみ"が書かれているつぶやきに。

始めに断っておくと、自身に確固たる(という言葉を使うのもおこがましいほどに)政治的思想はなく、小中高と一貫して一番嫌いな教科は社会で、これまで生きてきて、今の内閣はどうだとか、この法案・法律が良い悪いだとか、そういった問題を殊更真剣に考えた事もなかった。(おそらくこの先もなさそう)
話し合うのは嫌いじゃないけど、その為に必要な知識がスカスカなので。ダメな大人です。

それは単に、「『政治と自身の生活が地続きであるという現実』が、実感としてかなり希薄である」からで。まぁその理由は書くと長くなるので。
たまに「これはダメでしょ」とか思ったりはするけどね。その程度。

兎に角、今の政治に対して自分の考えと異なる意見を持っている人に対して、その考えひとつだけで嫌ったりする事はないし、ましてやその人の人格を否定するなんてことは絶対にしない。かといって好印象を抱くこともないと思う。
「あぁ、この人はこの国に生きる一個人として政治のことを考えているんだなぁ」って思うくらい。と、いう意味では、フラットな目線であると自負している。

重ねて言うけれど、違和感を覚えたのは「#検察庁法改正案に抗議します」という
"一文のみ"が書かれたつぶやきに対して、で。

例えば、AがBに対して「あいつムカつく」と発言したとする。
ここで分かるのは、"AがBに対して何かしら良くない感情を持っている"という事実だけで、Aがなぜ腹を立てているのか、Bに何かをされたのか、またAには過失がないのか、などは一切不明なわけで。
そもそも明確な理由なんてなく嫌っているだけなのかもしれない。
AとBとの間に何があったのか、「あいつムカつく」だけじゃ分かりっこない。
なぜなら、その"怒り"に客観的な正当性があるのかを推し量る為に大前提としてまず必要なものは「理由」だから。
何に対して怒っているのか、それはAの口から聞くしかないし、また怒りの正当性を他者に伝えたいのであれば、それを説明する義務が生じると思う。

「#検察庁法改正案に抗議します」
とだけ書かれたつぶやきは、

僕の目には

「#あいつムカつく」
としか映らなかった。

その一言だけでは、あなたがそれを書くに至った背景も、想いも、怒りそのものさえも、僕には汲み取ることができない。
たった140文字しか書けない文字制限を、それすらを何故使い切ろうとしないんだろう?
ハッシュタグというものが持つ特質性にもたれかかり、その奥にある大事なものを表すことから逃げていないか?

意思表示って、それでいいんだろうか?

加えて、その理由が明示されていないつぶやきに「いいね・リツイート」という共感の"意思表示"をする人たちのとんでもない数にも、なんとも言えない気持ちになる。

「そうそう、Bってムカつくよな!」
と、Aの怒りがどこから来たものかも知ろうとせずに賛同する人たち。
もちろん皆が皆そうではないと思うけれど。

人間は言葉を使う。口に出そうが文章に起こそうが、それはとても曖昧で、発せられたシーンや受け取る側によって様々な意味を持ち、その姿形を変える。
そんな不確定なもので作られた「法」というルールを、たったひとつの解釈で読み解くなんて不可能に決まってる。
ならばそれに反対する人たちの理由も様々であって当然なのに。

なのに、

なんで「#検察庁法改正案に抗議します」の一文で済ますのだろう。
なんで理由を書かないのだろう。
僕はそれが知りたいのに。

決して意見を統一しろと言っているわけじゃなく、理由(そもそもその根拠になる情報が正確であるかは置いといて)の分からないうちに共感するのは、とても危険で、勿体ないと感じた。

これは政治の話じゃないです。僕アホなので。
感情を持ち、言葉を使う生き物としての、一意見です。

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