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「キャンセルカルチャー」の一意性の低さについて

記事では、キャンセルカルチャーについて『被害者と向き合う姿勢』と関連付け、法整備の必要性についても言及されている。他方、世間的な理解という側面でみると、いくつか懸念も考え得る。

そもそもマイノリティであった人々の発言に耳が傾けられ始めたきっかけ自体は記事でも述べられているように『我慢を強いられてきた人々がネットなどで結びつ』いたことかもしれないが、力を持つようになったのは同調する第三者の影響が大きく、その意味でキャンセルカルチャーの立役者は差別の被害者であるとともに第三者でもある。
であれば、世論という観点において、法的処罰が(信頼性が向上することで影響自体はすると考えられるものの)どの程度『一罰百戒』的な"過剰反応"を防げるのかは必ずしも自明ではない。

また、現状のキャンセルカルチャーは『過去の罪と向き合う』意味を持つと同時に「当人の評価を過去に遡及して行う」意識を内包する。これらは不可分ではなく、両者が併存しているのはカルチャー形成における構造的な問題である。語るまでもなく後者は「当人の学び/成長」を否定する危険性を孕み、仮にそれらが人々の間で区別されないままに「キャンセルカルチャー」として広まった暁には、不当な評価を受ける人物が増えることは想像に難くない。このトピックに伴う「意識の変容」には殊更に注意をはらう必要がある。

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