私とお笑い(幼児~中学生編)

※こちらの記事は
 2023年12月末に書いたものとなります。
 実家に帰ったときに書いたもの。
 おそらくお酒を吞みすぎて
 酔った勢いで書いていたものになるので
 下書きに保存したままに
 なっていました。

2023年冬。実家に帰省。
家を出て行って10年以上経つのに
未だに私の部屋が高校卒業したときのまま
残っているのはとても有り難い。

私は幼き頃からお笑いが好きだった。
きっかけは幼稚園…確か年少の頃。
母と一緒にボキャブラ天国を見ていたのが
きっかけだった。

そこから私のお笑いに対する
熱が高まっていく。
ボキャブラ天国は
90年代末に終了してしまった。
そこから始まったのが
NHKの「爆笑オンエアバトル」。
毎週のように録画して見ていた。

そこで初めて目にしたのが、
数々の大阪芸人さんたち。
私の記憶が正しければ、
ボキャブラ天国には大阪の芸人さんは
あまり出ていなかった。
ボキャ天は「漫才」を
披露する番組ではなかったと
いうのもかなり影響しているとは思う。

そこで私が一目惚れしたのがルート33。
テンポの良い漫才、
漫才中に所々出てくる堂土さんのギャグに
ドハマりしてしまった。

小学生当時1番好きだったのは
ルート33だが、
私はどちらかというと漫才よりも
コントのほうが好きだった。

お笑いと同じくらい、
本とくに小説が好きだった事が
大きく影響していると思う。

漫才はノンフィクション、
コントはフィクション。

フィクションは
私に良い意味で
現実逃避の機会を与えてくれた。

月日が経ち中学校に入学。
周りの友達は皆、「エンタの神様」を
見ていた。
私も毎週見てはいたが、
オンバトで活躍していた芸人さんたちが
良い意味でも悪い意味でも
老若男女にわかりやすい形に改変された
コントを披露していて
悲しい気持ちになる事もあった。

だがオンバトは私を裏切らなかった。
世間的に人気者と呼ばれている芸人さんが
出演する機会は格段に減ったが、
その分私の大好きだった
キングオブコメディ、トータルテンボス
あたりが勝ち上がる機会が増えた。

人力舎の先輩たち、
アンジャッシュやアンタッチャブル、北陽が
オンバトを卒業した事もあり、
エレファントジョンや鬼ヶ島、CUBEにも
オンバト出場の機会が回ってきた。

そして忘れもしない
2005年11月19日。
私はこの後大いに影響を受ける
芸人さんのコントを
初めて目の当たりにした。

彼らのコンビ名はラバーガール。
ボケの方が初期の頃の
スピードワゴン小沢さんに
見た目が似ていたので
前から気になっていた。

彼らが披露したのは「バイトの面接」。
東京都所沢市。
一人暮らしているわけではなくて
犬と一緒に住んでるんで。
ボク即戦力ですよ。
え、今日から働けないんですか?
→あ、今日から働ける?→いや今日無理です。
青森って林檎の?→いや、ねぶたの。

強烈なボケを淡々としたトーンで放っていく
コントに私は一瞬で虜になった。

ここで私は決めた。
将来私は芸人のなるんだったらJCAに。
マネージャーになるんだったら
人力舎で働こうと。

高校編に続く。


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