見出し画像

柴丸とみっちゃんの誕生日

まえがき


こんにちは、らーと申します。

今回「柴丸とみっちゃんの誕生日」という超短編小説を書きました。

この小説は私の処女作であり、私の「2つの想い」が込められています。

(※2つの想いについては小説の本編をまっさらな気持ちで読んでもらいたい、という願いを込めて「あとがき」に書かせて頂きました。)

素人の文章で非常に読みづらい、分かりづらいかも知れませんが、どうか温かい目で最後までご覧頂けたら幸いです。


それでは、本編のはじまりです♪



「柴丸とみっちゃんの誕生日」



これは、イヌの柴丸とその家族の物語



私は柴丸。イヌだ。


チャームポイントはくるりと丸まったしっぽ。

好きなおやつは鳥のささみ。

家のなかで暖かい日差しを浴びながら寝ることが大好きだ。


私には他のイヌにはない特別な力があるようで、人間の言葉が理解できる。
他のイヌたちは人間の言葉を理解していない。

人間の表情や雰囲気で、その思考を感じ取っているらしい。
私の祖先は表情や雰囲気だけで長い間、人間と共存してきた、ということだ。


人間は、私に似たイヌをまとめて「柴犬」と呼んでいる。

そして今現在私と一緒の家に住んでいる人間が、私に「柴丸」という名前を付けた。

なので、私は柴犬の柴丸である。



私の家族を紹介しよう。


私の住む家には人間が3人いる。大きな人間が2人、小さな人間が1人だ。

我々イヌ同様、人間にも♂♀があるようだ。

おそらくだが、大きな人間は一人が♂、もう一人が♀。小さい人間は♀だ。

見た目や匂いでなんとなく判断できる。


せっかくなので、3人の名前も紹介しておこうか。

大きな♂は「パパ」、大きな♀は「ママ」、そして小さい♀は「みっちゃん」だ。

ん?これは名前ではない?

3人はお互いをこう呼びあっているのだから、これが名前だろう?

言葉は理解できても、やっぱり人間というのはむずかしい...



そうそう、人間は同じ家に住む者たちをまとめて「家族」と呼ぶ。

私もこの3人の「家族」ということだ。

そして、大きい人間と小さい人間の関係は「親子」という。
大きい人間が小さい人間を産み「親子」となるそうだ。
我が家では「ママ」が「みっちゃん」を産んだらしい。



みっちゃんとの出会い


実は、私は自分の親に関する記憶がほとんどない。

物心ついた時には、私は透明な壁で囲まれた小さな家にいた。

小さな家にはいつも人間が何人かいて、明るい時間には水やご飯を用意してくれた。
部屋が汚れたら掃除もしてくれた。

小さな家の人間とは別に、毎日たくさんの人間が私の家に来ては笑顔で私を見つめてきた。
手を振ってきたり、家の壁をドンドンと叩く人間もいた。
私は興味本位でその人間に近づいてみたり、寝たふりをしたり、おもちゃで遊んだりしていた。

ただ、いつも同じくらいの時間になると、辺りは瞬時に暗くなり、みんないなくなってしまった。

少し寂しかったが、ちょうど眠くなる時間だったので、私は暗くなると同時に寝ることにしていた。


そんなある日のことだ。私の家に3人が来た。

真っ先にみっちゃんが近づいてきて、私をキラキラした目で見つめてきた。

私はその目に吸い寄せられるようにみっちゃんに近づいた。

みっちゃんは私を指さしながら、パパとママに何かを話していたが、透明な壁が邪魔で聞こえなかった。そのあと、パパとママが家の人間に何かを話していた。

すると、私は家の人間に抱えられて、3人のもとへ連れていかれた。


まず、パパが私を抱っこした。家の人間よりも少しごつごつしていて抱かれ心地は悪かったが、すごく嬉しそうな顔で私を見つめてきた。そして大きな手で私の頭を撫でた。


次はママ。とても温かくて柔らかくて、ママの抱っこは心地がよかった。
ママも笑顔で私を見つめていた。


最後にみっちゃん。みっちゃんの抱っこはぶっきらぼうで、少し恐ろしかった。
しかし、私を離すまいと、必死に抱きかかえてくれているようにも思えた。

そして、みっちゃんはとてもいい匂いがした。みっちゃんの傍にいると、気持ちよく眠れそうだな、と思った。


とても楽しいひと時だったが、私はまた、家に戻されてしまった。

そして、透明な壁越しにみっちゃんを眺めていた。

再び、パパとママが家の人間と話していた。



(これは後から分かったことなのだが)
偶然なのか必然なのか、私はみっちゃんと同じ日に生まれたそうだ。

それを知った3人が私のことを気に入ってくれて、家族として迎え入れてくれることになったようだ。



新しい我が家


じつは、今の我が家にやってくる時、私はひどく恐怖を感じていた。

パパとママが家の人間と話し終えた後、私は家の人間に抱きかかえられた。そして、私より一回り大きい箱に入れられた。中はとても暗かったが、箱には至るところに小さな穴がたくさん開いていたので、そこから外の様子を眺めていた。

パパが私の入った箱を抱えて歩いているようだった。

ゆらりゆらりと箱が揺れ、周りの景色は瞬く間に変化していった。


移動し始めて少し経った頃、広々とした場所に出た。そこには丸みを帯びた大きな箱(車というらしい)がたくさんあった。車を初めて見た時は、どこか冷たい印象を受け、すこし腰が引けた。


車と車の間からは生まれて初めて見る茶色い「木」ときれいな緑色の「葉っぱ」が見えた。

遠くに見えた自然体の「それ」は、見た目には小さいながらも、私を穏やかな気持ちにさせてくれた。


私の入った箱はママに渡された。
ママは車に入り、箱を膝の上に乗せ、両手でしっかりと支えてくれているようだった。車の扉を閉める「バタンッ!」という音が何度か聞こえた後、車は大きな音を立てて動きだした。
時に緩やかに、時にガタゴトと揺れ、どこかに連れて行かれている。


しばらくして車は止まり、ママに抱えられて私(の入った箱)は「家」に入った。

車を降りたあと、穴から見えた「家」はとても大きかった。


家に入ると、箱が開けられた。私は、何が待ち受けているのか、と身構えていた。

そこには、笑顔のみっちゃんとママがいた。


その日から、私は3人の「家族」になった。



誕生日会


人間は1年に一回、自分の生まれた日に誕生日会というものを行っている。

今日はみっちゃんの誕生日だ。そして、私の誕生日でもある。
つまり、私が生まれて1年が経った「らしい」。

...なぜ「らしい」なのか?

いやはや、残念ながら、私には人間の言う「年」という感覚がよく分からないのだ。


私にとっては長い時間をかけて、暑い日々と寒い日々が繰り返されたようにしか感じない。だが人間は寒い日々が過ぎ、暑い日々が過ぎ、また寒い日々が来る頃に「新しい年が来た」と賑いでいるそうだ。


―――――――――――――――――――――――――――――

数日前、家族みんなでみっちゃんの誕生日プレゼントを買いに行った。みっちゃんは人形が大好きだ。いろんな人形があったが、みっちゃんは青い髪の人形を選んでいた。


みっちゃんのプレゼントを選んだあと、みんなで私のプレゼントも選んでくれた。家にはない、噛みごたえがありそうなカラフルなボールだった。

―――――――――――――――――――――――――――――


今日は休日らしく、みんな朝から家にいる。

パパは誕生日会の準備で、壁に様々な装飾を施している。

ママはいつもよりいい匂いのする料理を作っている。

みっちゃんと遊びながら、私は家の中の様子が変わっていくのを眺めていた。


いつもと違う家の中の景色、いつもと違う家族の雰囲気。


私はこれから始まる誕生日会にわくわくしていた。


...


外が暗くなってきた頃、テーブルにママが作った料理が運ばれてきた。

私は背伸びをしてもテーブルの上を覗けないため、パパとママが運んでいるお皿の様子を眺めていた。


誕生日会が始まった。


まず、みんなで音楽に合わせ「はっぴばーすでーとぅーゆー♪」という言葉を繰り返していた。

途中でパパとママがみっちゃんと私の方を向いて、「はっぴばーすでーでぃあ、みっちゃん、柴丸♪」と言ってくれた。

なんだか、私はとても嬉しい気分になった。


その後、みんなでご飯を食べ、最後に生まれて初めて「ケーキ」というものを食べた。
とても柔らかくて、口の周りにべとべとくっついて食べづらかったが、なんだか優しい味だった。


柴丸の気持ち

初めての誕生日を終えて思ったことがある。

それは「また、この家で、この家族で、来年も誕生日を迎えたい」ということだ。


私は誕生日会で聞いた「はっぴばーすでー」という言葉が凄く気に入った。

意味は分からないが、とても素敵な言葉に違いない。

来年の誕生日までに「はっぴばーすでー」の意味を知りたい。


そしてなにより、温もりのある広い家に、優しいパパとママ、いつも遊んでくれるみっちゃんがいる。
とても嬉しいことだ。

私は今、幸せである。



あとがき

最後までご覧頂きありがとうございました。

いかがでしたでしょうか?私がこの小説に込めた想いのうち、一つが伝わっていれば、それはとても嬉しいことです。

では、そろそろ二つの想いについて、お伝えしますね。


二つの想い

まえがきでお伝えしましたが、この小説には2つの想いを込めました。一つずつご紹介します。


一つ目は「相手の目線で物事を考える」ということ。教育の現場でも良く耳にするこの言葉ですが、私は特に「ヒト以外の生き物にも目を向けて欲しい」と思っています。

今回で言うと読者の方々には「イヌ目線」で人間の営みを見てもらいたかったのです。さらに細かくいうと「ペットになるべくして生まれたイヌ」という感じでしょうか。

この小説はフィクションですが、もしも自分がイヌになったら様々な現象をどう感じるか、それを強くイメージして文章を書きました。

 ガラス張りの家、ヒトよりもはるかに敏感な嗅覚、成長して初めて見る「外」の世界、等々。

人間として生まれた私たちには絶対に体験できない「イヌ目線」を、この小説を通じて疑似的にでも体験してもらえたら、私にとっては本望です。

 また、イヌだけに限らず「この動物はこういう時、何を感じているのだろうか?」「この虫はどうしてここにいるのだろうか?」といったことを日頃から考えてみてもらいたい。明確な答えはないかも知れませんが「考えることに意味がある」と、私は思っています。

私がなぜそんな想いを抱いているか...至ってシンプルです。イヌも虫も植物も魚もすべて、人と同じ命だからです。
ヒト同士で相手の気持ちになって考えることはとても大事です。でも、それは全ての生き物に対して同じことだと私は思います。


 もしかしたら、この小説を読む中で、(動物に対しての)人間の営みについて何かしらの疑問を持つ方もいらっしゃるかも知れません。疑問を持たれた方にはぜひとも、ペット業界の現状や日本の動物に関する法律(動愛法等)などを調べていただき、改めて深く考えてみてもらいたいと思います。



二つ目は、私の夢に向けた想いです。私はいつか「子どもも大人も楽しめて学べる絵本」を書いてみたいと思っています。

私は「絵を描く」ことが大の苦手です。ただ、私の想いを私の言葉と絵に乗せて、読んでもらいたいという気持ちがあります。夢に向かって少しずつでも歩みたいと思い、最近絵の練習を始めました。

長い文章を書くことにおいても私はド素人です。自分のイメージしていることを実際に書いてみないと上達するはずがないですよね...なので、今回この小説を書きました。


 私の夢への第一歩となるこの文章。読んでみて、もしもなにか感じたことがあれば、ぜひ教えてください。あなたの声を私の夢への糧にさせてください。

 ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。


著者:らー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?