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詳しいから偉いわけじゃない

久々になってしまいました。すみません。

「ロカビリー評論家」を名乗る様になって約2年が経ちました。大した活動ができてるわけじゃありませんが、今更ながら補足説明します。

そもそも「ロカビリー評論家」なんて不要だと思ってます。自分自身、いちファンでいたい。じゃあ何故?と聞かれたら理由は一つ、「ロカビリー」というワードに少しでも興味を持って欲しいからです。実際、バカにされたり失笑されたりしますが、それでもいいです。「汚れ役」ですからね。ただ、これ以上「ロカビリー」を勘違い、誤解されないようにキチンとした情報と少ない知識を整頓して伝えるようにしています。

「そもそもロカビリーなんて評論するほどの音楽なのか?」
「昔の音楽だよね?」
「ロカビリーって何?」

色々聞かれますが、相手が質問してくるということは多少の興味があるということなので、そのアクションを誘発するための超地味な活動と言えます。

たまたまレコード屋やレーベルを専門的にやっていたので、アーチストやシーン、レーベルの裏事情に多少通じてるだけで、ロカビリー全体のことはまたまだ学んでいる最中。日本においても詳しい方は沢山いるので、色々教わる毎日です。探究心だけは比較的強いと自認しています。

引き続き、アーチストやリリース、イベント、シーンの動向などを地道にお伝えできればと思っています。


チバくんが亡くなりました。もちろん近い間柄ではないです。7-8年前に名古屋のLONDON NITEで会ったのが最初で最後でした。

ファンの方には怒られるんでしょうが、正直彼のバンドにはずっと興味がなく、どちらかと言えばタメなこともあり、30代位の頃は「ロカビリーを語るんじゃねえ」とか「TOE RAG STUDIOはそもそもこっち側だ」なんて反発していました。ルックスも良かったから無意味な嫉妬もあったかと。

40代後半でしょうか、出版社から連絡があって「チバさんが選んだレコードの情報がなくて解説書けないから手伝って欲しい」と。どうやらアルバム100選的な企画だけど、本人は選んだだけで、アーチストや内容の説明が足りなかったそうです。結果、わかる範囲で説明文書いて出版されました。確か最初は季刊誌のコーナー企画で後にムック化されたと思います。

話を戻して、名古屋のLONDON NITE。ゲストDJがチバくんでした。既に若者ではなかったので楽屋でDJや知り合いと遊んでいて、確か大貫さんのDJが始まったタイミング。当然の如く楽屋にいた人達はフロアに移動。残ったのは自分とほろ酔いのチバくんだけ。

元来の捻くれ者で、元々有名人とお近づきになりたいという概念がない自分は無言でお茶を飲んでいるとチバくんが隣に来ました。その時何がフロアで流れていたのか覚えていませんが、彼は「ロックンロールは最高っすよね!」と声を掛けてきました。「そうだね」と素っ気なく返すも、彼がロカビリー好きなのを知ってたから「そういえば昔、雑誌の企画でロカビリーのレコード選んでたよね?」と切り出してしばしロカビリー談義に移行。HOT BOOGIE CHILLINだのBLUE VOODOOだの、あれはドイツだ、TOE RAGじゃないよ、VALVEMOBILEだの、話してるうちにチバくんが言いました。

「ロカビリー詳しいっすね」

これは軽い衝撃でした。そもそもいつも界隈の連中と話してばかりいるので「詳しい・詳しくない」ではなく「どれくらい好きか」という尺度でやり取りすることばかりの中、「ああ、俺は詳しい人と認識されてるのか」と思ったのです。この時に感じたのは「有名人は発信力があるから、間違った情報を伝えてはいけない」という世間では常識とも言える概念でした。これは後にロカビリー評論家を名乗る際に気をつける重要なポイントになったのです。

なんとなく今でも思い浮かぶのは、ロカビリー談義の際、チバくんの目がキラキラしてたことです。

そしていつも念頭においているのは、詳しい人が偉いわけじゃない、音楽を支えてるのはファンの方、ということです。

ロカビリー界隈ではない故人のエピソードを紹介するにあたり少し戸惑いもありましたが、タメであり、また自分も今年ガンを患って立場的には雲泥(もちろんチバくんは雲)の差はあるもののシンパシーを覚え、掲載することにしました。

ちなみにLONDON NITEで会った際に名前を聞かれたけど面倒くさいから名乗らず仕舞い。なのでチバくんは今も「あの名古屋で会ったロカビリーに詳しいおっさんは誰だったんだろう」と思ってるかもしれませんね。

今日はこんな感じで。
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