見出し画像

友達関係が難しくなったアラサーの話

もうやだ、全部リセットしたい。
そう思ったことはこれまでの人生幾度となくあるが、実際にそれを実行したことは1度も無い。わたしにそんな勇気は無い。

秋の訪れとともに空気が澄んできて、夜になれば肌寒さを感じる夜だ。
今この手の中にあるスマートフォンから連絡先をすべて消して、SNSのアカウントを全部削除して、誰のプライベートを知る機会もなければ、誰に知られる可能性も無い、誰とも繋がらない状態になれたらいいのに。
そんな風に思う夜が久しぶりに訪れた。

きっかけは取るに足らない本当に些細なことで、もう5年以上いわゆる「親友」として付き合ってきた友人から明らかに距離を取られていると感じ取ってしまったこと。
連絡をしても返事が返ってくるのは一週間も経った頃で、会う予定はなあなあになって結局決まらないまま流れた。
今までこんなことは無かったし、彼女がわたしにあまりよく思っていない人間のことを話していたときと同じことが起きているわけで、あながち被害妄想というわけでもなさそうである。

もう立派な「大人」であるわたしは、学生の頃のようにわんわんと泣き叫んでみたり、うまくいかなくなった恋人関係のように「何かした?」等と問い詰めてみたりもしない。起こった事実を受け入れるだけだ。
ただ、なにか癇に障ることをしてしまったのかな?とか、たまたま忙しくて余裕が無いとかなのかな?とか、考えても明確に答えの出ないモヤモヤが心の中にほんのりと闇を落とすだけ。
ああ、こんな悲しい思いをするくらいなら、人間関係なんて全部捨ててしまえればいいのに!なんて。

そういえば最近、友達と遊ぶ時間がぐっと短くなった。
本来わたしは友達という存在が大好きで、20代半ばまでは時間さえあれば遊んでいた。でもそれは、若ければ若いほど自分という存在が曖昧で、置かれた環境の近い人間が多いからだと思う。
わたしにとって友達同士の関係というのは、恋人同士のそれ以上に繊細で絶妙なバランスで成り立っていると感じる。大好きな相手だからこそ、わざわざ時間をつくって会うことになったからには嫌な思いをさせないような配慮と、楽しい時間をつくる努力と、適度な利害関係を保ち続けるようにする。
恋人関係にももちろん大切なことではあるが、こちらは性欲と恋心が目をつむる部分も大きいし、一緒に生活を営む者でもある相手でもあるが故にお互いにある程度は許容していく前提がある。
時が経つほど様々な経験を積み重ねる中で、自分というものが確固たる意志を持って現れはじめ、単純に体力が衰え始めている今、その絶妙なバランスを保てる時間がどんどん短くなってしまっているのだ。

感情が高ぶって直接イヤミを言ってしまったわけでなくても、大人になって置かれた環境も収入も立場も考え方もどんどんと変わっていけば、自分にとってはなんでもない一言が相手を傷つけてしまうことがある。勝手に傷つくこともある。ましてやSNSが普及した現代においては、話してすらいなくてもその投稿が気に入らないという理由で距離が生まれることだってある。
大人の友達関係は難しい。

少し心が荒れて悲しくなってしまったけれど、冷静になればわたしに悪いところがあったのかもしれないし、相手になにかあったのかもしれないし、それは考えても仕方のないことだと理解してやめた。
人間関係というのは、そのとき必要な存在が現れるものだし、一度疎遠になっても数年経って急に縮まることだってある。

明日はお気に入りのカフェに行って読書でもして独りで過ごそう。そう思ってスマホを消し、布団の中で目を閉じた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?