ken_to_merry

映画とか本のこととか日々感じている事とかを 思いつくままに書いていきます

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最近の記事

カタクリの花によせて

雪がすっかりなくなった頃から私はいつも 豊平公園の花の情報をネットで見ています カタクリの花がいつ咲くか見る為です でやっとカタクリの花が咲きましたと言う 情報を得て公園に行って見ました 長く厳しい冬を乗り越えて札幌に一番に春を 告げるカタクリの花は私にとってはとても愛おしく 感じます 私は徳島出身で結婚して札幌に住むようになり 初めてカタクリの花を見ました 何という可憐な花なのかといっぺんに好きになりました それからは春が待ち遠しかったです 冬の厳しい寒さに耐えて春を迎える

    • 「港で別れた卒業生幸せ願う」

      3月は卒業の季節、別れの時季でもあります。養護施設 の保育士をしていた時の別れは今もまぶたに浮かびます。 その年、中学生の卒業生は一人でした。彼は大阪の工場に 就職が決まっていました。寮に入居する事になり 慌ただしく荷物の整理をし、施設から旅立つ日が来ました。 その日は夜勤明けで、職員3人と見送るため、彼と小松島港 まで行きました。真新しい服を着た彼は少し緊張をしている ように感じました。 大阪行きの船に乗る時、「荷物を置いたらデッキに出て来て」と 言ったのですが現れませんで

      • 父の葬儀にて

        今日は父の命日です 父の葬儀の時に印象に残っている事がありました その女性は父の出棺を待っていました 喪服の凛としたたたずまいのしかし悲しみに耐えるような感じでした とても美しい多分30代位の方でした この女性の事が気になって後日母に聞きました その方は父がよく行っていたスナックのママさんとの事でした その方は東京の女子大を出ていて父も学生時代東京で過ごしていたので 気が合ったとの事です 父が入院中二回ほどお見舞いに来てくれて母とも 色々とお話をしたそうです 父は公務員で

        • 百人一首かるた

          私が小学生の頃お正月頃になると父が読み手となって弟と 百人一首のかるた取りをしていました。それは冬休み中 続いていたと思います。 その頃は上の句下の句を聞いてから札を探して取るという 感じでしたが、私は中学生高校生になると、上の句を聞いて すぐ下の句の札をとるという風に上達していました、最も私が 好きな歌に限ってですが ちなみに私が好きな歌は小野小町の 「花の色はうつりにけりないたずらにわが身世に  ふるながめせしまに」です 故郷徳島に住んでいた頃のお話です その後札幌に住み

        カタクリの花によせて

          阿波踊りの思い出

          お盆の頃になると、テレビで阿波踊りが放映されているのを 見て心がウキウキします。札幌住まいとなり50年ほどに なりますが、夏に帰省した事はないので阿波踊りを 長く見ていません。  父は徳島出身ではなく、若い頃に転勤で徳島に赴任しました。 阿波踊りをこよなく愛していました。私の子どもの頃は街中の あちらこちらで踊りが見られたので、踊っている父の姿を間近で見る事が 出来ました。踊りはぎこちなかったですが、とてもニコニコして 楽しそうでした。   父の病死後、私は友達のお父さんの職

          阿波踊りの思い出

          父と月とお酒

          ほろ酔い気分で帰ってきた父が「お月さんがとてもきれいだよ」と 言うので、外に出て月を見ました。夜空にこうこうと照る月を、 しばし私は父と見入っていました。 父はお酒をこよなく愛していました。その夜は初めて行った居酒屋が 余程気に入ったのか、老夫婦が切り盛りしていて落ち着いた雰囲気の お店で、ゆっくりとお酒を飲むのにはぴったりの所だという事などを 楽しそうに話してくれました。 私は父のこんな話を聞くのがとても好きでした、私が高校生の頃の事です。 父は出世とかお金にはまつたく縁の

          父と月とお酒

          大学の図書館

          私は本を読むのが好きなので、よく図書館を利用しています。 今は公共図書館と、ある私立大学の図書館に通っています。 公共図書館の方が自宅から近いのですが、蔵書数がやや 少なめ。読みたい本がなければ貸し出し予約をし、 手元に届くまで何日か待ちます。 話題の本は予約数が多く、待ちきれずに諦めて、 自ら買う事もあります。 一方、大学の図書館は、話題の本でも割と早く借りる事が できるのです。 ここ3年ほどは新型コロナ禍のため、大学の図書館は、 大学関係者以外の利用を認めていませんでした

          大学の図書館

          徳島新聞「読者の手紙」にて

          今日嬉しいお知らせがありました ツィッターのフォロワーさんの鉄線さんから 私の投稿文が徳島新聞に載っていましたと 画像を添付してくださったのです 本当びっくりしました 1か月以上前に投稿していてもうすっかり 忘れていました 投稿文です タイトル「故郷徳島から作家輩出を願う」 今年も故郷の徳島文学協会の文芸誌「徳島文藝」が 届きました。今年で6号になります。私が思うには 徳島文藝はますます注目度が高くなっているように 感じています。 徳島文學を知ったのは、ツィッターがきっかけ

          徳島新聞「読者の手紙」にて

          北海道博物館にて アイヌ文様

          野幌森林公園内にある「北海道博物館」は 札幌のアイヌ文化を紹介している施設 の中では一番規模が大きい所です。 今回はアイヌ文様の着物を見て見ました このようにアイヌ文様の着物を展示していますが その他にも実際に木綿の布にアイヌ文様を刺繍している のを展示していて、手で触れる事が出来ます 刺繍の大きさは大判のノート位です 展示されている着物との模様とは違うのですが とてもきちんと刺繍をしている過程がわかります アイヌ文様は左右対称が基本になっているようです これは刺繍の

          北海道博物館にて アイヌ文様

          長男の中学時代

          長男は小学5年の時に急性肝炎で1か月入院するなど ちょっと体があまり丈夫ではなかったです そんな長男が中学生になり野球部に入りたいと 言った時はびっくりしました 大丈夫なのかなと心配したのですがどうしても 入部したいとの事で見守る事にしました 二年生になりそろそろレギュラーになる為にも アピールする時でしたが、長男はレギュラーには なれず補欠でした それでも日曜日などの他の中学校との練習試合には 嬉々として出掛けていました 冬はグランドに積もった雪の中長靴を履いてグランドを

          長男の中学時代

          フリーマーケット

          よく晴れた日曜日区役所前広場で開かれた フリーマーケットに行って来た。 広場は思い思いのスタイルの店と、買い物に来ている 人でごった返していた。 タイトスカートを手に若い女性が「これブランド品 なんだけど買わない?」私はすかさず「合わないよ」。 この後別の店で「このラジカセ聴けるの」と聞く私に 「昨夜まで聴いていたんだから」と笑顔の青年。 初夏の日差しを浴び、私は店の人とのやりとりを 楽しみながら、ゆっくりと見て回った。 物があふれている今の世の中にあって、何故これ程多くの

          フリーマーケット

          芦別にて

          夫の転勤で星の故郷というキャッチコピーのある芦別に 2年間住んでいました 芦別は札幌から特急で2時間ほどの所にある 一応芦別市であり当時は人口3万位の街でした 旭川や富良野に近くて北海道の内陸部にという所で 冬は最高気温でも-10度位にはなっていたと思います でも自然が豊かな所で近くには空知川が流れていて 山の方に行くとスキー場とかキャンプ場がありました 当時長男は小学6年次男は小学2年だつたと思います 息子たちは直ぐにこの街に慣れて冬はスキー夏は 家族でキャンプをしたりして

          芦別にて

          良き指導者

          人生至る所に師がいるものです。 以前冷凍コロッケ加工工場の夜間部でパートの仕事を したことがあります。 工場は機械を使っての流れ作業、私が担当したのは ジャガイモの選別でした 倉庫からジャガイモが細長いローラーに乗って ゴロゴロと出てくるのですが、その機械には モーターが二か所にありました 家庭の主婦が見た事もない機械を相手の仕事は 疲れます。果たして私に務まるのか不安な毎日でした でも昼の部のその機械の責任者である50過ぎの男性のAさんが 私の不安を解消してくれました 機械

          良き指導者

          お酒を愛した父の思い出

          昨日は満月だったのに私はすっかり忘れていました 満月と言うとちょっとした父との思い出があります ある時ほろ酔い気分で帰ってきた父が「お月さまがとてもきれいだよ」と いうので、外に出て見てみました さえざえとした夜空にこうこうと照る月を私と父は見入っていました 父はお酒をこよなく愛していました その夜は初めて行ったお店がよほど気にいつたのか 老夫婦が切り盛りしていて落ち着いた雰囲気のお店で 秋の夜にお酒を飲むのにはぴったりの所だということなどを 楽しそうに話してくれました

          お酒を愛した父の思い出

          夏の終わりに

          久々に近くのサイクリングロードを散歩しました 最近気温も低くなっていて散歩日和なのに あまり散歩する気力がなくなつていました 今日は気温が27度とこの時期としては 札幌では高くなっていました 暑いかなと思いながら散歩に出かけました 日曜日の午前中サイクリングロードは 散歩する人サイクリングをする人と 割と色々な人と行きかいました 途中サイクリングロードの横に野球場があり 少年野球をしていて少し見学しました 弾けるような少年達の元気な姿に 私も元気を貰いました どこまでも青

          夏の終わりに

          高校野球

          甲子園での高校野球が白熱している季節になりました 私の故郷徳島は私が若い頃は徳島商業高校は 甲子園出場の常連校でした 残念ながら優勝はしてないと思います 徳島商業出身の板東英二さんは投手として中日ドラゴンズに入団しますが 高校時代の板東選手は私の家の近くに住んでいて 団地の壁にボールを当てて一人でピッチングをしていた姿を私が小学生の頃 よく目撃していました その後甲子園の常連校になったのは池田高校です その頃には私は結婚して札幌に住んでいましたが 池田高校の活躍は私にとっては

          高校野球