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映画『福田村事件』をみて思ったこと

※今回は語尾なしです。ストーリーの根幹は話さないつもりですが一応ネタバレ注意。また作中からの引用には一部差別用語を含みます。


旅行の締めくくりに『福田村事件』見てきました。

数々のドキュメンタリー映画を手掛けた森達也監督による初めての劇調作品とのことです。関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺の一角をモデルとしています。

史実の福田村事件概要

千葉県福田村(現野田市)で関東大震災後に起きた殺人事件です。
震災後「朝鮮人が暴動を起こしてる」「朝鮮人が井戸に毒をいれた」等のデマが流され、不安にかられた人々は各地で自警団を結成、朝鮮人、中国人、社会主義者とみなしたものを次々と虐殺していきました。
福田村の自警団は通りがかった薬の行商人15人を襲撃、9人が惨殺されました。(さらに被害者の一人は妊娠しており胎児も亡くなった)。なお被害者は朝鮮人でも社会主義者でもありませんでしたが、香川からきた彼らの讃岐弁は福田村の人々には外国人のように聞こえていたと言われています。
自警団員は裁判にかけられます福田村事件が「憂国の士」とみなす世論に押されてか一番重い刑の加害者でも懲役10年、さらに刑期を終える前に恩赦されました。

福田村事件の慰霊碑

多くの人がこの映画を注目していた

まず驚いたのはこの映画が数多くの劇場で満員御礼となったことです。
いわゆる「社会派」と呼ばれる作品はセンシティブな問題を取り扱う以上、来場する人はどうしても頭打ちになりがちです。それを見越してか公開劇場も少なめでした。
(そのせいで最寄りの昭島の映画館にいけず立川まででてこないといけなかった💢)
その予想を裏切る形で大盛況でした。私はなんとなく前日にチケットを取っておいたのですが、当日には満席になっていました。予約しておいてよかったー。

この映画が注目を浴びることになった理由は複数考えられますが、私が見るきっかけになったのは松野官房長官による失言です。

関東大震災の朝鮮人虐殺、松野官房長官「事実関係把握する記録見当たらない」
松野官房長官は30日の記者会見で、関東大震災の発生時にデマによって起きた朝鮮人虐殺について「政府として調査した限り、事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と述べた。

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230831-OYT1T50076/

もちろんこの発言は大嘘である。2008年時点で朝鮮人虐殺に言及した内閣府資料が存在しており、また福田村事件含む複数の裁判記録も現存しています。
こうした歴史修正の動きに抗議したい気持ちも劇場に足を運ぶ理由になりました。おそらく他の人もアレがきっかけになった人もいるのではないでしょうか。

面白かったところ抜粋

というわけで特に興味深かったシーンを抜粋して語っていくのだ

登場人物全ての人間模様が鮮明

主人公や被害者一行はもちろんのこと後半加害者になってしまう人の生活模様も描かれていました。この手の作品は加害者側の偏ったパーソナリティや異常行動にのみ注目してしまうことも多いのですが、関東大震災後の虐殺が『普通の人』によって行われたと再確認させられる素晴らしい技量でした。

人間の悪い面いい面両方が見える

映画の1シーンで国から指示された差別的編集姿勢に若手の記者が抗議するシーンがあります。
朝鮮人はいい人も悪い人もいます!日本人と同じです!
これは国籍や民族で善悪をカテゴライズするレイシストを批判する時に現代でも使われる言葉です。もちろんこの認識は皆さんに共有してほしいのですが、『福田村事件』ではさらに踏み込んでいました。
それは同じ人でもいい面と悪い面があると言うことです。

例えば在郷軍人会所属で思想は典型的な軍国主義、後半の虐殺を前衛した長谷川秀吉(水道橋博士・演)がいます。あ、水道橋博士が元れいわ国会議員であることを忘れて殺意持つくらいには名ヒールでした。そんな彼ですが主人公がなれない農作業に苦戦しているときにはアドバイスをくれたりもしています。日本人を殺めてしまったと気づいた後の彼の「村を守りたかった」と泣き崩れたシーンは本心だったのでしょう。

また被害者の行商人一行にも朝鮮人を『鮮人』と呼び自分たち『エタ』のほうが上だという人たちもいました。彼らは自らを『エタ』と自嘲する被差別部落出身だったのです。団長はその一行の中では比較的まっとうな考えを有しています。
『エタ』の売る薬なんか何入ってるかわからん。ワシらもそう言われてきたじゃろ」と団員を宥め、朝鮮人の飴売りに対しても同じ人間として物を買い、お礼もできる人物でした。
そんな彼でさえもハンセン病で苦しむ人々に効くかどうかもわからない薬を騙して売りつけたりもしていたのです。また大正デモクラシーの追い風を受けて活動していた社会主義者が震災に乗じて迫害されたときも「お上に逆らうとこうなるんじゃ」と冷たく言い放っています。

これは重要な観点だと思います。善良な人がいるのを無視して悪魔化するレイシストが論外なのは言うまでもありません。しかしマイノリティは清廉潔白でなければいけないというのもまた差別的取り扱いでしょう。人間なら誰しもがいい面も悪い面もある、それがマイノリティだからとどちらかが強調されるのはよくないと思い知らされました。

事件が起きるまでの背景がはっきりしてる

この映画が発表された時一部からこんな批判がありました。
「日本人が朝鮮人と『誤認』された福田村事件じゃないと世間に出せないという時点で終わっている」と。
つまり朝鮮人差別に向き合ってないという批判でした。
しかしこの映画では日常パートでも、震災後の混乱でも朝鮮人や社会主義者が迫害され惨殺されたことを伝えています。虐殺シーン前の団長による「『鮮人』なら殺すんか?朝鮮人なら殺していいんか!?」と問いかけるシーンは我々にも投げかけられています。

意味のある濡れ場

私は一フェミニストとして濡れ場やお色気シーンの濫用には批判的です。性搾取であると同時に作品のメッセージを矮小化することにも繋がると考えているからです。
『福田村事件』にも濡れ場はありました。それを批判してたフェミニストもいました。だけど私はあのシーンは意味のあるものだと思っています。
村の船頭をしてる若者(東出昌大・演)がその役目を持ちました。人妻に手を出したりした間男です。当然の如く彼は村で孤立していました。だからこそ彼は村の自警団に参加はせども、周りの村人のような集団心理には巻き込まれなかったという重要な役割を果たしました。移住者である主人公夫婦、被害者一行とは別に「構成員ではあるが積極的な加害者ではない」という視点を持たせるのに必要なシーンです。

キャストが我々に警告している

『福田村事件』のキャストは東出昌大さんやピエール瀧さんなど脛にキズがある俳優さんが参加しました。
森監督も言ってましたがこの映画は政治的にセンシティブな問題を取り扱うので政治団体からの抗議が想定されます。だからこそ「仕事を選べない」人々が集まったのでしょう。
それが結果的に過剰な社会的制裁への警告という作品のテーマに合致したキャスティングになりました。
無論彼らがしたことを批判してはいけないとは言いませんし、彼らには行為に対する責任があります。だけど社会復帰すら許されず「徹底的に叩いていい人」のように扱われる様は竹槍で「不逞鮮人」とみなした人々を殺し回った姿と重なります。気をつけないといけませんね。

最後に

これ以上書くと本格的にネタバレしてしまいそうなのでこの辺で終わります。
歴史を繰り返すことなく、私達はこの史実に向き合うためにも見てほしいなと思います。公開劇場が少ないのがただただ残念。
森監督や演者の皆様、スタッフの皆様素晴らしい作品を世に生み出してくれてありがとうございます。
最後に、関東大震災で被災死した人やそれに伴う流言で殺されてしまったすべての人のご冥福をお祈りします。




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