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Drawing Sea 11 (再創造/六十一)

 十月十四日。日曜日。まだ明るい夕刻。縹市北東の山あい。
 水鳥は、紫尽の元を訪れていた。
 等間隔な墓石の間を歩き、階段を上る。
 三段目の山側の端。木々に背を抱かれた、水鳥の目指した共同墓の前に、一人の男が立っていた。何も手にせず、ただ一回り大きな墓石を見上げている。
 水鳥の足音に気付き、男が振り返る。全身を包んだスーツは、ネクタイに色がある。
 どこか見覚えのある目をしていた。
「こんにちは」
 仏花と桶を手にした水鳥に、男が声をかける。
「こんにちは」
 と返すと、
「君は……お友達だったりするのかい? 和田……」
「はい。紫尽の友人です」
「ああ、そうかそうか。僕はね、和田紫尽の父親なんだ。一応ね」
そうして、対話は開始された。
 スーツ姿の男が語る。
「昔……うんと昔だ。彼と……紫尽と海に行った。僕の生まれが海の近くでね。田舎の小さな町へ、一度だけ家族で行ったんだ。それきりだったなあ。紫尽とは。それきりにしなければ、何か変わっていたかもしれないね」
「海、ですか」
 水鳥が答える。
「ああ、海だったよ。だけど、海に連れて行った事は後悔していない。あの海はうんと綺麗でね。青い海を見た紫尽の喜びようと言ったらすごかったんだ。だからね、後悔してないよ。うん。海はいいものだ」
「そうですね」
 その海でさえ。
 紫尽のとっての海では無いのだろう。
 どこですかとは、聞かなかった。
 今の持ち物で満足だった。
「夏に、彼と近くの海へ行きました」
 水鳥が語る。
「ここから二駅の、橙止駅の浜です。何もない、何の特徴もない平凡な海ですが、いいところでした。最後には、海に入ってえらくはしゃいだりしました。子供のように」
「君たちはまだ子供だよ。思うままに遊ぶといい」
 大人らしい台詞を吐く紫尽の父。
「そうか、海に行っていたのか。自分の足で……いいね。ここから近くなら帰りに寄って行こうかな……さて、僕はそろそろ失礼するよ。また会うかもしれないね」
「俺はもうここへは来ません」
「そっか。それは寂しいけれど、今日出会えた事を精一杯喜ぶとしよう」
 男はくるりと背を向け、共同墓地から遠ざかって行った。振り返らない、黒い背中ばかりが曇り空の鈍い陽を浴びる。
 その姿も束の間。水鳥は一息の間に見送りを切り上げ、中断されていた墓参りを再開した。
 供えた花を前に手を合わせる。
 冷たい風の中、百合の香りがした。

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